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八鍬新之介『ドラえもん 新・のび太の日本誕生』

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「映画ドラえもん」の記念すべき10作目にあたる『ドラえもん のび太の日本誕生』(1989)のリメイク。オリジナルは、教養と蘊蓄を見事な物語運びでエンターテイメントと為す、原作者である藤子・F・不二雄の力量がいかんなく発揮された不朽の名作。その味わいを損ねる事なく、現代的なアップデートに成功している。

大長編ドラえもん (Vol.9) (てんとう虫コミックス)

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個人的にも非常に思い入れが強い作品で、そのリメイクには慎重な態度をとらないといけない所なのですが、監督をあの八鍬新之介が務めるとアナウンスされた時点で不安は解消されていました。八鍬新之介とは、2期ドラ映画としてはベストに近いもの*1を見せてくれた『新・のび太の大魔境 〜ペコと5人の探検隊〜』(2014)の監督。
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クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』や『河童のクゥの夏休み』で知られる原恵一を指標とするという35歳の新鋭だ。八鍬は今作において、監督のみならず、脚本まで兼任しているわけで、ほぼ全権を任された形である。まず、痺れてしまうのがタイトルだろう。これまでのリメイクにつきものであった、「~7人の魔法使い~」とか「~はばたけ 天使たち~」といったサブタイトルなしに『新・のび太の日本誕生』とドーンと啖呵を切っている所であろう。細かいポイントではあるが、個人的には結構重要というか、グッときてしまう。何と言うか、原作への強いリスペクトを感じるのだ。八鍬が信頼できるのは、彼が「藤子・F・不二雄原理主義者」とでも言いますか、リメイクにおいて「いくらこねくり回そうと、最終的な正解は藤子脚本なのだ」という諦念の果てに掴みとった藤子先生への絶大な敬意を持ち合わせている点にあるだろう。安易な改変や妙なオリジナルキャラクターを登場させるといった愚行は決して行わない。原作のリズム感を重視しており、藤子流に研ぎ澄まされた台詞やアクションをしっかりと継承している。



いや、しかし『新・のび太の大魔境 〜ペコと5人の探検隊〜』では旧作からの忠実なトレースに徹した八鍬であったが、監督2作目となる『ドラえもん 新・のび太の日本誕生』においては、いくつかの大幅な変更を試みている。いくつか例に挙げてみたい。大きいのはタイムパトロール隊の扱いだろう。旧作においてあまりに印象的であった、のび太を救助するマンモスに偽装したタイムスキッパーが登場しない。マンモスのくれる栄養ドリンクだとか「後期更新世にワープして張り込んでいた」というよくわらかないハッタリ感が好きだったので、個人的には非常に残念。何と言っても、窮地に追い込まれたのび太が、あの小箱型の発信器を押す事でタイムパトロール隊に助けられるという演出は捨てがたい。「SOSを発すれば、きっと誰かが助けてくれる」というのは藤子作品が教えてくれた世界の”優しさ”みたいなものだ。こういったエモーションは、今作においては多少意味合いが変わってくるが、犬笛という形でわずかながら形を留めている。確かに25年前に比べると、現代というのは、自分達で何とかしなくてはいけない時代になっているのかもしれない。時空乱流による神隠しの世界的事例をドラえもんがとくとくと挙げていく旧作におけるあの不穏さ、1回目のヒカリ族救出後の宴での歌やゴチソウ、ククルが「ほんやくコンニャクお味噌味」をいたく気にいる、といったシーンも削られている。特に、中国大陸から移住し、日本を開拓していくパイオニアとなるククルが、ほんやくコンニャクの”お味噌味”を気にいるというのは、今作の日本文化の形成というテーマをさりげなく演出するシーンであっただけに未練が残る。普段のび太達が口にしないハンバーガーとフライドポテトというアメリカンなメニューが昼食として登場し、それらに感動しながらもククルは「お味噌味のほうが好き」と言う。まさに日本の食文化の方向性が決定づけられた瞬間なのだ。今作においては、前述の台詞は削られているもののハンバーガーは登場、更に「ほんやくコンニャク」は”醤油味”として、玉コンニャク串の形状で登場する。味噌田楽でも構わない所をあえて”醤油味”に変更しているわけで、旧作における日本の食文化の誕生という演出の意図を汲みながらも、泣く泣くカットしたのだという事を主張しているようでニヤリとさせられた。『ドラえもん のび太の日本誕生』を観た誰もが強烈に記憶しているのは、庶民的イマジネーションの極致とも言える、大根に包まれたカツ丼やスパゲッティであろうが、(当たり前だが)こちらはしっかりと継承。
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のび太が蓋を開けずに大根のまま齧り付くというあの素晴らしいボケに対しては、もう少しイジってあげてもよかった気がしないでもありませんが。ちなみに今作における食事が「グルメテーブルかけ」でも「植物改造エキス」でも「出前電話」でもなく、「畑のレストラン」で演出されているのは、狩猟民族として住居の移動を繰り返すヒカリ族との対比として畑作を描く為であり、やはり藤子先生はさりげなく日本文化の形成というテーマを作品に忍ばせている。



カットされるシーンがある一方で加えられた演出もある。旧作においてもいささか弱さが感じられた、のび太とペガ・グリ・ドラコの絆の強調。「僕が君達のお母さんだよ」という追加台詞からも伺えるように、「史上最大の家出」というテーマが、”親子の絆”を振動させる。ドラえもん映画のメインターゲットは勿論、子ども達である。しかし、その付き添いとして多くの大人達が劇場に足を運ぶ事になる。なんせ35年以上の歴史を誇る国民的プログラムピクチャーである、その大人達の多くはかつてドラえもん映画に夢中になった観客だったのではなかろうか。そんな彼らの想いを反映させる存在として、のび太のパパとママは、『のび太の恐竜2006』以降の作品において、とても丁寧に演出されている。八鍬のパパとママの扱いもまたとても素晴らしい。ママは旧作での畏怖の対象という役割以上の複雑な輪郭を獲得しているし、今作におけるパパは、もはやかつてのび太そのもののようである。つまり、27年前のあの旧作版ではるばる7万年前に家出したあののび太の成長した姿なのだ、と言わんばかりの演出。これはもう泣かないわけにいかぬのです。ドラえもんの家出の原因となる部長のハムスターを見て、

ずっとカゴの中じゃ、息がつまるよなー

とパパがつぶやく。旧作ではギャグパートでしかなかったあのハムスターを更に展開させる脚本術。そのあまりに見事な肉付けに、八鍬新之介への信頼が更に高まった。

*1:個人的なベストは『のび太の恐竜2006』でしょうか。『ホーホケキョ となりの山田くん』『千年女優』『かぐや姫の物語』などで作画監督を務める小西賢一のリリカルな線とアクションが叙情性を際立たせる傑作だ