青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

蛭田直美『銀河の一票』1-2話


すごいドラマが始まってしまった。演者や脚本・演出・音楽などのクレジットを眺めているだけでも、期待に溢れていましたが、改めてプロデューサー佐野亜裕美の圧巻のクオリティコントロール。物語が至高する志に目頭が熱くなるだけでなく、あらゆる細部に目を凝らしても、テレビドラマとして頭一つ二つ抜けていている。


まずもって、とにかく充実した時間がドラマに流れている。すべてのシーンに意味がある。それは、あらゆる台詞や仕草がストーリーの伏線になっているというような窮屈で余白のないドラマということではない。一つの出来事が複層的な意味合いをもって絡み合いながら物語を推進させていく、そんな感触のことだ。巷のテレビドラマに溢れている「この人物はこういう性格なんですよ」と視聴者にわからすため“だけ”の描写みたいなものがない。たとえば、幹事長秘書室で勤務する平泉(槇尾ユウスケ)の「待った!鳥の糞は拭かずに…つまむ」というたった一言で、平泉というキャラクターの在りようが把握できる上に、「スーツを汚すこと」を主題とした物語が回っていく(この1話において、滝沢・雫石・茉莉と三者のスーツが汚れていく)。さらに、鳥の糞というのがまた効いている。1964年にノーベル物理学賞を受賞した宇宙背景放射の発見は、アンテナに付着した鳩の糞がきっかけだったという逸話がある。詳細は割愛しますが、つまりは宇宙からのメッセージを暴き出した鳩の糞というのは、“銀河”を題するこのドラマのはじまりにふさわしいモチーフなのです。他にも、スナックの客である樫田(岩松了)の卵サンドのおねだりは、樫田の常連客ぶりやかわいらしさを表現するとともに、茉莉(黒木華)とあかり(野呂佳代)の出会いに繋がっている。こういったように登場人物が“生きている”と感じられる時間を創造しながら、同時に物語を駆動させていくという高度な脚本術が繰り広げられていてるので、ドラマが緩まず、常に活き活きとした時間が流れていくのだ。


また脚本術で舌を巻いたのは、何気なく画面に登場したかのように思える“予約2年待ちの林檎ジャム”が物語を振動させ続けるという筆運びだ。桃花(小雪)から茉莉に受け渡されたそのジャムは、住田(佐藤まゆみ)に、雫石(山口馬木也)に、日山流星(松下洸平)に、と何度も所有権が移りそうになりながらも回避され、最終的にあかりに手に渡る。そして、ジャムはサンドイッチとして茉莉の元に戻ってくる。そこで、ジャムの美しい黄色い輝きが、“光”であったことに気づく。“明るいほうへ”と志向するあかり、そんな届くべき人のところに光が届き、その光を改めて差し出された茉莉がそれを泣きながら食べる。すると、茉莉が発光する。

茉莉:あの、どうして分かったんですか?私がここにいるって
あかり:あぁ...光ってたから
茉莉:光ってた?
あかり:うん...それ
茉莉:光らないんです。これ、壊れてて...
あかり:でも、光ってたよ

お守りとして携帯し続けていた“壊れたはず”の電球のおもちゃが光り輝くののである。電球を光らせながらビルの階段を駆け上げることで、雑居ビルが“灯台”に変容し、誰かのSOSが受信する場所のように描写される。このマジカルさ!


「政治の話じゃないです。わたしたちの話です。わたしと、あなたの」「上じゃなくて、前です」「綺麗事じゃないよ。キレイなことだよ」と政治ドラマとして完璧なアフォリズムを連発している点も抜かりないのだけど、ついつい別の部分に目を向けたくなってしまう。父(坂東彌十郎)から娘への「わきまえなさい」という呪詛のような言葉が劇中で何度か繰り返されることで、このドラマが女たちの「わきまえてたまるか!」ということを宣言する物語であることがわかる。プロデューサー、脚本(蛭田直美)、メイン演出(松本佳奈)が全員女性であることも、そのフィーリングに同期しているだろう。そして、描かれるいくつかの連帯。しかし、物語に充満しているのは“父殺し”や“シスターフッド”というよりも、“母と娘”というモチーフのように感じる。「スナックのママが都知事選に挑む!?」というドラマの宣伝文句において重要なのは、「スナックという市井の人々が集う場所から政治を作っていくのだ・・・」というようなことはもちろんなのだけど、それ以上にこの「スナックのママ」の“ママ”の部分にあるように思う。本上まなみ演じる“母”の喪失が物語に大きな影を落としていて、それを補完するかのように、作中ではいくつもの疑似母娘関係が結ばれていく。

茉莉ちゃんはいいの?やられっぱなしで
リングから降りて 届かないヤジ 飛ばして死んでく?
......そんなタマじゃないよね? あんた

と「わきまるえな!」と茉莉を、そして物語を鼓舞するのは、義理の母である桃花(小雪)であった。「まつりさんあっての雨宮なんで!」とまで言わしめる茉莉と新聞記者の雨宮(三浦透子)の関係性も母と娘のような親密さを覚える。また、とし子(木野花)と月岡あかりにも、スナックという形態の中で、ママと娘の関係が構築され、さらには「きょうからあかりちゃんがママ」と“ママ”が譲渡されている。そして、月岡あかりと星野茉莉の関係性にも、母と娘が重ねられている。なるほど、宮沢賢治よろしく「銀河系を自らの中に意識してみる」と、“月”は星々の母である。月岡あかりの言動は、あきらかに亡き母の面影と重ね合わせられ、

わたしを一人にしないでください

と茉莉を泣かせる。まだ明らかにはされていないが、あかりも過去に娘もしくはそれに等しい存在を失ったのであろう描写が散見される。

世界ぜんたい幸福にならないうちは
個人の幸福はあり得ない

という宮沢賢治の言葉が作中に引用されていて、それが「あなたは世界の一部で、わたしの一部である」という風にかみ砕かれる。その“わたしの一部である”という感覚を最も身近に感じられるのが“母と娘”というモチーフなのかもしれない。ここには、昨年の参議院選挙でのある候補者の発した「わたしを日本のお母さんにしてください」や某宗教団体の“お母様”といように、政治において不気味な存在に貶められている、“母”の意味を書き換えてやるんだ、というような志を推測してしまいます。そして、母と娘に限らず、デュオの尊さを謳うドラマだ。

ほら 通販の
ひと組買ったら ひと組無料ってやつ

というように通販の購入特典の布団で、“2人で1つ”というモチーフを物語に落とし込み、さら2つのアイスを2人で分け合うことで、“2人”ということの素晴らしさを表現していく。

あかり:アイス食べる?どっち?
茉莉:えっ あ...月岡さんは?
あかり:どっちも...!半分こする?
<中略>
あかり:あ~幸せ 両方食べれるなんて
茉莉:はい
あかり:いいね 2人って

こういったところに、脚本家の力を何よりも感じます。政治の話じゃなく、“わたしたち”の話。わたしと、あなたの。