山崎貴/八木竜一『STAND BY ME ドラえもん』
「ドラ泣き」という深夜のテンションで思いついたとかし思えない醜悪なキャッチコピーからも容易に察しはつくわけですが、かなりきつい。山崎貴がドラえもんを3D化する理由を述べているインタビューを読んだ。「より現実に近い形でドラえもんを表現する事で、子どもたちにドラえもんの物語をもっと身近に感じて欲しかった」といったような主旨だったのだけど、いくらなんでも子どもの想像力をバカにし過ぎていやしないか。学校に遅刻しそうな子どもが「あーこんな時、どこでもドアがあったらなぁ」と夢想する、その気持ちを見くびるな。漫画だろうがアニメだろうが2Dだろうが3Dだろうが、『ドラえもん』はいつだって僕たちの物語だったはずだ。想像力というものを信頼していない人間が、藤子作品の再構築に手を出し始めているのは、危惧すべき事態に思える。とは言え、最新技術での「タケコプター」飛行シーンにはそれなりに見所がある。お話自体は当然いい。「未来の国からはるばると」「卵の中のしずちゃん」「しずちゃんさようなら」「雪山のロマンス」「のび太の結婚前夜」「さようならドラえもん」「帰ってきたドラえもん」という傑作7本をマッシュアップした、(表現は悪いが)バカでも泣けるつくりになっている。特に「しずちゃんさようなら」は一般的にあまり有名な作品ではないので、のび太の「好き好き大好き!」という祈りに心奪われる人も多いに違いない。しかし、この国のトップクリエイターと呼ばれているような人間が、聖典と言っていい『ドラえもん』という作品の中でもとびきり叙情的な話をいくつか闇雲に並べ、「さぁ、ドラ泣きして下さい」と提示してしまう神経は、やはり疑いにかからねばなるまい。
細かい事を言えば文句は無数にある。何より許し難かったのは、山崎貴と八木竜一の2人が、『ドラえもん』の始まりの物語をサラリと書き換えてしまっている点である。ドラえもんはのび太の面倒を見るのが嫌で仕方なく、やたらと未来に帰りたがる。業を煮やしたセワシによって「成し遂げプログラム」(未来に帰ろうとすると電流が走る)を埋め込まれてしまい、渋々のび太の元に留まるである、これは「さようならドラえもん」にも効力を及ぼし、その「成し遂げプログラム」を達成したが故に、ドラえもんは未来に帰る事になるのだ。山崎/八木は、ドラえもんが側にいる理由、帰ってしまう理由を、明確に論理的に説明してくれるわけだが、その事が作品の魅力を損ねる可能性を1ミリも疑っていない。「成し遂げプログラム」の存在が物語をより一層エモーショナルに仕上げるだろう、と信じて止まないようだ。感性の違い、の一言で片づけるしかないのだろうか。何だかわからないけどずっと側にいてくれるドラえもん、唐突に理不尽なまでにわけもわからず帰ってしまうドラえもん。それが『ドラえもん』という作品の魅力、「さようならドラえもん」の魅力だと、私は思う。そういった理由の不在が、のび太とドラえもんの日常を、美しく振動させていたように思うのだ。『ドラえもん』の最終回は「さようならどらえもん」以外に2本書かれている。1つは時間旅行が禁止されたからドラえもんが未来に帰らなくてはいかなくなる「ドラえもん未来へ帰る」、もう1つはドラえもんに頼りすぎてはのび太の為にならないから未来に帰る「ドラえもんがいなくなっちゃう!?」の2本。どちらもドラえもんが未来へ帰る明確な理由が記されている。
- 作者: 藤子・F・不二雄
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2009/07/24
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