青春ゾンビ

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岡田恵和『ど根性ガエル』6話

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河野:2話では福島に行くんですよ、ロケで。ゴリライモがパン屋を経営していて、大量の移動販売車で下町を渡り歩いています。その車をひろしがちょっと拝借して、福島に逃亡するんです。ロードムービーっぽい話になります。


ー福島のことは盛り込んでおきたかった? 


河野:6話目が8月15日(土)の放送になります。そこでメッセージを声高にあげたくはないですが、土曜の9時に、ちびっ子から大人にも見てもらうドラマをつくるある種の責任は感じているんです。とすると、8月15日で、しかも今年は戦後70年という節目なので、ドラマなりにちゃんとなにかを伝えなきゃいけないという思いもあって、6話に至るフックを2話でつけておきたいという考えがありました。1話でも「変わるのが嫌だったら自分の力でなんとかしろ」というシーンがありますが、いろんな意味を含めて作っています。勝手な解釈で憲法を捻じ曲げて欲しくないですし(笑)

bylines.news.yahoo.co.jp
こちらの河野プロデューサーのインタビューを事前に読んでいたので、今、この国の情勢の中で、どう”戦争”を扱うのだろう、と期待を込めつつ色眼鏡で観てしまった。なるほど上記の言葉どおり、メッセージを強く訴えかけると言うよりは、サラッとドラマの中に組み込んでおり、(少し拍子抜けではあったが)好印象。映像がいい。不発弾が見つかり、その一帯が撤去作業の為、避難区域となる。ドラマでお馴染みの舞台である、ゴリラパン工場、宝ずし、学校、団地、路地etc・・・そこにいつも賑やかな人々の姿がない不穏さ。爆弾を落ちたら、落としたら、そこにいる人々はいなくなってしまう。戦争は人の命を奪う。そのシンプルな大前提を、平和ボケと呼ばれる現代に70年越しに静かに訴える。


ピョン吉が、”不発弾”にシンパシーを抱く、という展開が最初はやや強引かと思ったのだけど、4話において”花火”として舞い上がったピョン吉が、今度は落下してきた”爆弾”へ、と空を舞台としたイメージの変容と考えればスムース。山下清

みんなが爆弾なんかつくらないできれいな花火ばかりをつくっていたらきっと戦争なんか起きなかったんだな

なんて言葉も思い出してしまう。また、ピョン吉が不発弾にシンパシーを抱いてしまう理由も明らかになっていく。

あいつは嫌だったんだよ。爆発してさ、人を殺しちまうのがさ。
だから根性出して黙って眠り続けたんだよ。
みんなにはよ、爆発しなかったせいでこうやって不安にさせたり迷惑掛けちまってるけどよ。傷つけたくなかっただけなんだよ。本当はど根性あるヤツなんだ。そう思うんだ、おいら。だからさ、静かに眠り続けさせてやりてぇんだよ。

これはそのまま、いつ剥がれるやわからない身体を根性でTシャツに貼りつけ続けているピョン吉自身、もしくは自分に死期が迫っている事をひろしに言えずにいる彼の心情にトレースされる。本当は誰よりも打ち明けたい相手なのだけど、大好きなひろしの悲しむ顔が観たくないから根性を出して我慢するピョン吉。


重要なものとして描かれていたのは、”言葉で伝えていく”という事だ。京子ちゃんのおばあちゃんの戦争体験しかり、「本当の俺を語って欲しい」とひろしに応援演説を依頼するゴリライモしかり。であるから、話を聞いていないひろし、プロポーズの言葉が続かない梅さん、ゴリライモの”いい話”を聞いてなかった京子ちゃん、声が出なくなるひろし、代弁するピョン吉、という風に、”言葉”や”話”にまつわるモチーフでドラマを展開していく。そして、このドラマにおいて何をさしおいても必ずや伝えなくてはならない話があるとすれば、前述のピョン吉のそれである。そう、ゴリライモの応援演説の途中であろうとも。

おいら、もうすぐみんなとお別れみたいなんだ。寿命が来ちまったみたいだ。
もうすぐ…おいら、死んじまうんだよ!

この事実を伝えた時、「ひろしがどんな顔をするか見てられない」と漏らしたピョン吉が、ちゃんと告白できるようにとセッティングされたTシャツを裏返しに着るという構図。その「Tシャツを裏返しに着る」という状況を作り上げる為に、←ピョン吉が変わりに声を出す←声が出なくなる←応援演説を頼まれるという風に逆算でドラマが作られている。それが、扇風機の付けっ放しやかき氷といった細部も伏線として豊かに駆動させる。


満島ひかりがどんどん凄い。回を重ねるごとに滅私していき、もはやピョン吉そのもの、命そのものみたいな声になっている。多くの命が失われた戦争の終戦記念日に、1つの命が消えていく、それがどういう事なのかをファンタジックに描いた第6話。なんと、志の高いことよ。