青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

never young beach『YASHINOKI HOUSE』

f:id:hiko1985:20150731150333j:plain
never young beachのファーストアルバム『YASHINOKI HOUSE』を聞いた。

YASHINOKI HOUSE

YASHINOKI HOUSE

新しいボヘミアンの登場だ。アルバムの冒頭を飾るナンバーのタイトルは「どうでもいいけど」ときた。

朝の陽射しが なんだか気持ちいいな
駅前の パン屋が
開く頃だな 行こうかな

あー伸びた髪が 風に吹かれてなんだかちょっと邪魔に感じたけど
金も無いし 束ねて忘れる

ナンバーの 剥げている
車が行く その先は
ママのご飯 久しぶりだな
年をとった 犬を撫でる


あー伸びた髪を「そろそろ切ったらどうなのよ?」って言われて思うんだ
僕もなんか 大人になった

youtu.be
社会の流れに背を向けて、日常に潜むエキゾに淫している。特筆すべきような出来事や感情は何も描かれていないが、「どうでもいいけど」は、ほぼ全てのフレーズに”経年”のフィーリングが託されている。何気ないシーケンスの積み重ねだけで、時間の流れていく質感、のようなものが見事に表現されているというこの筆致。詩人である。


”喫茶店” ”珈琲” “路面電車” “ボーイフレンド” “商店街” “機関車”などあえてどこか時代を遡るようなフレーズを散りばめ、はっぴいえんどを源流とした日本語ポップスのメロディを色濃く受け継いでいる。言葉とメロディの親和性がもたらす魔法。サウンドのテクスチャーに耳をすますと、リズム隊のビートメイキングしかり、USインディーやチルウェイブを咀嚼した現代的なグルーヴを纏っている事に気づく。特に秀逸なのはギターのアンサンブル。BPM自体は抑えめなリズムを躍動させている。分離の効いたフレージングとアレンジで、時に3本のギターが重なりながらも、耳に痛みを与えない音像もポイント。そして、フロントマン安部勇磨の歌声がいい。「現代のトロピカルダンディー」とでも呼びたくなる滋味を、なぜ20代前半の若者が体現してしまっているのか。細野晴臣が提唱したチャンキーミュージックは「異国から見た東洋」であったが、never young beachの温故知新なサウンドにも遠い場所から”今”を見つめるような眼差しが感じられる。バンドは「伝えたいメッセージは特にない」と各インタビューで公言しているわけだけど、この国の時流において若い表現者が”あえて”そう公言するのは逆説的にメッセージになり得ているような気もする。never young beachの描く都市生活者のエスケイプがあまりに快楽的に機能するのは、この時代に生きる事の困難さが前提として浮かび上がる。

ハローハロー聞こえるかい?
誰にも 届かない


「無線機」

しかし、never young beachは、こういった”断線”、ディスコミュニケーションをその表現の中心には置かない。彼らは、それが”逃避”と揶揄されようとも、何気ない日常の幸福なシークエンスのみを切り取り続ける。それは不意に混線して誰かに繋がっていく。

ベンチで座っているおっさんのラジオから
いい感じの名曲が聞こえて来たんだ


「駅で待つ」

これは新しいボヘミアン、ヒッピー、もしくは新しいヤンキー達のチルアウト。「西海岸のはっぴいえんど」という冠もしっくりくるが、フィーリングとしては、フィッシュマンズ『Neo Yankees' Holiday』(1993)のアップデート版としても聞けるのではないだろうか。

Neo Yankees’Holiday

Neo Yankees’Holiday