『笑っていいとも!』と日常性と天皇制について
『森田一義アワー 笑っていいとも!』通称「いいとも」が2014年の3月いっぱいで終了する、という報が日本中を駆け巡った。
今までに何度もそういう噂は出ていたし、それでも何事もなかったように続いていた「いいとも」がついに終わる。タモリ自身の口から終了予告を告げられてしまったのだ。自分でも想像していた以上に動揺してしまった。一応、週5日朝から夜まで社会人として働いているので、現在「いいとも」はほぼ観ていない。でも、そういう事じゃないんだ。「どうせ観てないからいいや」「つまらなくなっていたし終わる頃合いだったでしょ」とかいう声も多く上がっているようだけど、そういう事じゃないだろ!とオロオロしながら心の中で叫んだ。「ここからまた新しい事が始まるんだ」というポジティブな意見も見られたが、自分はまだそこまで気持ちを持っていけてない。観てないのに、たいして面白くもないのに、何故ここまで動揺してしまうのか。
笹口騒音ハーモニカがうみのてというバンドの「もはや平和ではない」という曲で
笑っていいともやってるかぎり平和だと思ってた
と歌っていたように、「いいとも」の中のミニマルな惰性に、日常性の維持を託していたのかもしれない。芸術作品でもいくつかそのような事象を取り上げている。例えば、本秀康の『ワイルドマウンテン』。
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精神に異常をきたした人の中に、初期症状として「タモリは犯罪組織の一員だ」とか「タモリに監視されている」などタモリに関する妄想を語り始める人は少なくないらしい。私が知っている限りでも2人いる。「いいとも」におけるタモリは我々の日常性に強く結びついている、と言い切っていいだろう。しかし、何かこうもっとこう根深いものを「いいとも」に感じている。「いいとも」はこの国の通奏低音だった。観てようが観てまいが、面白かろうが面白くなかろうが、関心があろうがなかろうが、延々と続いていく。一気に論が飛んでいくが、「いいとも」はこの国の天皇制のようなものではないだろうか。いくらなんでも飛び過ぎかしら、と思いながら「いいとも」のサブリミナル性に着目しサンプリングで作り上げたK.K.『ワラッテイイトモ』という作品を今更ながらYouTubeで観て驚いた。
この作品の冒頭「君が代」が流れ、タモリに日の丸がオーバーラップしているではないか。「いいとも」終了説が大々的に流れてもいなかった約10年前に既に「いいとも」=天皇制の図式に辿り着いていた者がいたのだ。ネットで「いいとも 天皇」でググってみた所、特にこれといってそのような指摘をしている記事は見つからなかった。しかし、2013年3月にコーナー内で行われた「扇子でひな人形を倒す」というゲームに苦情が殺到したという記事を発見する。
内裏雛は天皇を示す物であり、それを投げ倒すというのは、天皇を倒すのと同じ事だ!という論調だ。いやはやちょっと鳥肌が立ちました。今年の3月の段階で、「いいとも」(=天皇制)は既に自己倒壊を示唆していたのであります。どひゃー。