青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

大森立嗣『まほろ駅前多田便利軒』


この作品は「循環」についての映画である。途切れそうになる循環を、瑛太松田龍平の2人がひたすら繋ぐ運動で結んでいく。オフビートであったり、突拍子がなかったりする彼らの行動全てが循環に基づいており、とてもエモーショナル。とにかくハートのある演出の数々にすっかり打ちのめされてしまった。


まず、冒頭で舞台であるまほろという町について「たいていの人は留まるし、たとえ出ていったとしても皆ここに戻ってくる」というなナレーションが入る。つまりはこれは「循環」の物語ですよ、と冒頭で宣言しているのである。これはTwitter鈴木卓爾監督も指摘していたことだが、監督の前作『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』ではひたすら伸びていく線の移動をしていたのに対し、今作は留まり回り続ける。2作は対となっている。絆、引き継ぐ、受け継ぐ、断ち切る、出る、戻るといった循環のモチーフが映画をさりげなく支配している。このさりげなさが実に憎い。この映画を鑑賞して最も印象に残るであろう過多な瑛太松田龍平の喫煙シーンも、吸って吐いて吸うという「循環」なのである。物語はラスト当然のよう始まりにループして終わる。もう清清しくてニヤニヤしながら劇場を後にした。


夜のシークエンスでの光が実に美しい。これだけでも満ち足りた気持ちになる。そして、よく歩く2人の主人公も実に魅力的であった。松田龍平という役者がまた一段と好きになった。劇中で瑛太が「なんじゃこりゃぁぁ」と言うのに対し、「誰それ?似てないよ」と返すサービスカットもございます。カットの繋ぎ方も軽やかで気持ちのいい省略の仕方だったなぁ。重苦しい『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』の数倍いい。


最後に「循環」についての美しい文章を紹介したい。

大噴柱は、水の作り成した彫塑のやうに、きちんと身じまいを正して、静止してゐるかの やうである。しかし目を凝らすと、その柱のなかに、たえず下方から上方へ馳せ 昇つてゆく透明な運動の霊が見える。それは一つの棒状の空間を、下から上へ凄い速度で 順々に充たしてゆき、一瞬毎に、今欠けたものを補つて、たえず同じ充実を保つてゐる。 それは結局天の高みで挫折することがわかつてゐるのだが、こんなにたえまのない挫折を 支へてゐる力の持続は、すばらしい。


三島由紀夫「雨の中の噴水」

そして、小沢健二が文章の練習に役立てたという『三島由紀夫レター教室』から

三島由紀夫レター教室 (ちくま文庫)

三島由紀夫レター教室 (ちくま文庫)

還流式の噴水というのがあるでしょう。ふき上げた水が落ちて、また元へ戻って、噴き上げられる。ちょうどあれですわ。今まで自分ひとりの生命と思っていたのが、その命が、自分からお乳を通して子供の中へ流れ込み、その子供の体から、今度は目に見えない光の流れになって自分の中へ戻ってくる。その光の流れが、また、私の中で乳になって、子供の体へながれこんでゆく。生命は環になったのです。