というボリス・ヴィアンの言葉に感化されて、せめて1つくらいは!とデューク・エリントンをずっと聞いている時期が大学生の頃、一瞬だけあった、というのを何の脈絡もなく思い出した。そういう恥ずかしいことはできるだけしておいたほうがいいと思う。あと、最近のお気に入りの1曲は江本祐介×原田晃行(hi,how are you?)のTWO NICE BOYによる「恋のトライアングル大作戦」であーる。 soundcloud.com
全部が全部いいね。
先週末からの最近のことを振り返る。金曜日は仕事後に桜台POOLへ。敬愛する映画監督である三宅唱がアフタートークで出演するというので、バストリオの公演を観に行ったのだ。桜台は地元という感覚があるので気楽だ。開演まで時間があったので、駅前をブラブラしていると、いつもは行列ができている「破願」が空いていたので、汁なしラーメンを食べた。美味しかったけども、寒かったので、どうせなら汁のあるラーメンを食べればよかったな、と店を出て気付いた。桜台POOLはとてもいいスペースだ。何度行っても、その秘密基地感にワクワクする。はじめて来たのは何年前だったか。シャムキャッツとcore of bellsだったか、NRQとmmmだったか。ライブに足繁く通っていた頃の話。さて、肝心のバストリオの公演ですが、現段階の私の感受性では必至におもしろがらねば、楽しめない代物だった。開いているようで、すごく閉じているようにも感じた。いつかまた勉強を積んで、感性を磨いて挑戦したいものです。アフタートークでの三宅唱は、クレバーで明瞭でフレンドリーで、とても素敵でした。帰宅して、テレビをつけると錦鯉がおぎやはぎと松岡さんの前で漫才をしていた。ちょっと前までは信じられない光景。まさのりさんは45歳を超えた今も「俺はさぁ、ナイナイみたいに売れまくりたいんだよね」とキラキラして眼でまっすぐに語るらしい。素敵だ。時代の波は来ている。GYAO動画で『M-1グランプリ』の予選動画をパラパラと。男女コンビが目立っている。ゆにばーす、相席スタート、メイプル超合金が相当おもしろかったので、南海キャンディースに負けないで欲しい。頼んだ。Aマッソのネットテレビ番組『Aマッソのゲラニチョビ』をまとめて観た。 sunsettv.jp
おもしろいなぁ。「マジカル・オオギリ・ツアー」の最初のほうの「私の好きなもの??(はにかみながら)コナン?」のくだり3回観た。後、デシベルの回でオレンジ色の騒音測定器に「昔のダイノジか」って小さくつっこんでたのツボでした。
というように、豪華な出演者だった。ほぼ全組(あえて、濁さないのであれば、ステレオパンダとノブナガ以外)がおもしろかった。元スパナペンチ永田と元フルパワーズ大内が新たに馬稼業というコンビを組んでいるのを知らなかった。かつてのコンビより希望の匂いがする。楽しみだ。アントワネットには確かな勢いを感じる。王子様が南原清隆顔なのがいい。ツッコミが的を得た事を言って、笑いをとるスタイルなのだけども、ちょっとドヤ顔し過ぎるとこが気になった。そして、ついにまんじゅう大帝国の漫才を生で観ることができました。 hiko1985.hatenablog.com
生まんじゅう、うれしい。セブンイレブンでも発売して欲しい、生まんじゅう。この日の漫才を観ていても、ヤーレンズとモグライダーが、漫才の大会で3回戦落ちしてしまうのはやはり悪い冗談のようにしか思えないし、現在のウエストランドの、あの強烈に人間が香る漫才が、準決勝にすら進めないというのは、大会にとって損失でしかない。なんでテレビで井口さんが重宝されないのか理解できない。敗者復活求む!圧巻だったのは、POISON GIR BANDだ。芸歴16年目、と言う事で賞レースから解放され(M-1グランプリは芸歴15年目まで)、尺とかフォーマットから逸脱。芸術としか呼びようのない固有の話芸の世界に突入していた。こういう表現が観たかったんじゃ、と身体がカッカと熱くなった。千鳥、ダイアン、POISON GIR BANDが天下を獲る時代を待ち望んでおります。 hiko1985.hatenablog.com
帰宅途中に本屋で『A子さんの恋人』の新刊を購入し、貪り読んだ。
ド頭からなんて強度のボケだろう。セオリーでいけば、「なんでだよ!」というツッコミが入る箇所は全て「あー」で処理されており、ボケは強度を保ったまま自由に羽ばたき続ける。どこかに落としてしまったクイズの回答を探している内に、気がつけば、お祭りに辿り着いてしまう。このイマジネーションの跳躍。お笑いのみならず、こういうものに触れたくて芸術を浴びているのだ、私は。ツッコミの田中が強い否定を行わない様に、象さんのポッドやおぎやはぎの姿を重ねてしまうわけだが(事実、田中の声色の矢作成分は強い)、より色濃いのは落語の影響だろう。竹内の口上はまさに噺家のそれだ。そもそも、「まんじゅう」という時点で落語との親和性に気づきべきだったのかもしれない(まんじゅうこわい)。しかし、落語は1人、まんじゅう大帝国は2人。田中は竹内のボケを否定しないだけでなく、聞く者の予想を裏切るような切り返しで、そのイマジネーションを加速させていく。この型に最も近しいのは、『談志・円鏡 歌謡合戦』か。そう考えると、まんじゅう大帝国を評する際の比較対象には、POISON GIR BAND、浜口浜村、ランジャタイといった面々がしっくる来る気がする。そんなジャンルはないのだけども、所謂”イリュージョン漫才”ってやつだ。そうなると、冒頭にさくらももこを引用したことも理解して頂けるだろうし(『神のちから』、とりわけ「それていくかいわ」を読もう)、竹内の立ち姿が爆笑問題の太田光を彷彿させる事も合点がいく。まんじゅう大帝国、コンビ名からして、イリュージョンではないか。“まんじゅう”という柔らかさそのもののような響きに、”大帝国”という硬質な言葉を重ねる。そこに不思議と違和感はない。あるのは、かけ離れた2つの事象があまりにしっくりと収まっている美しさと、闇雲に想像力を刺激してくる何か。まぁ、何せよ、彼らの漫才からは、美しい川の流れのようなものが見えてくる。あまりに正しいお笑い史の流れ。このお笑い界の大型新星の出現に胸を躍らせないわけがないのである。