青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

岡田恵和『ひよっこ』20週目「さて、問題です」

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あるど、澄子
おめえにいいこどはある
起ぎるよ

そのいいこどっていうのは・・・5分後に始まります

さながら預言者のような豊子(藤野涼子)がいる。思わせぶりな台詞の数々に、「なんだ、なんだ?優子に続いて結婚か?」と、澄子(松本穂香)のみならず視聴者もソワソワです。翌日の放送にて、豊子のニヤケ面のそのわけが「喜ぶ澄子の姿を想像していたからだった」とわかった時の幸福感ときたら!豊子&澄子、フォーエバーである。


豊子がクイズ番組を勝ち抜き、賞金30万円とハワイ旅行を獲得する。「がんばろうね」「がんばりましょう」と声に出して踏ん張ってきた『ひよっこ』の乙女たち。

きっとあるよいいこと、必ずあるみんなにある、私には分かる

という愛子(和久井映見)の無根拠ながら真っ直ぐな励ましも素晴らしかったのだけども、彼女達の”がんばり”が、ついにはっきりとした形で報われた。

がんばってたらいいことあるね

たくさん傷ついてきた彼女たちが、確かな実感を込めて放つその言葉に、涙腺を刺激されてしまう。豊子に”いいこと”をもたらしてくれたクイズ、その最終問題は、澄子の苗字である「青天目 なばため」の読み方を問うものであった。東大生のクイズ王ですら間違えたこの問題、もしかしたら澄子と出会わなければ、豊子であっても答えられなかったかもしれない。「かけがえのないパートナーに出会った」という豊子の実感が、言葉ではなく、物語の筋として結実する。実に美しい筆運びではないか。



とにかくおもしろい*1。これが「生放送のクイズ番組に出演する豊子を、みんながテレビの前で見守る」というセオリー通りの展開であったら、ここまで感情は揺さぶられなかっただろう。クイズ番組が録画放送であること、その”捻り”がこの115話と116話をグッと魅力的なものにしている。

こういうのって今やってるんじゃねえのがよ

と澄子さながらに驚いてしまう。ついこの間、みね子(有村架純)が急遽出演したお茶漬けのコマーシャルですら、撮って出しの生放送であったのに。『ひよっこ』が描く1960年代、テレビ放送は目まぐるしく進化しているのだろう。録画放送という概念が脚本に組み込まれることとで、「テレビに映る豊子を、豊子が見る」という時間と空間の捻じれが巻き起こる。これがおもしろいではないか。結果は全てわかっている豊子が、みね子たちと一緒になってクイズの結果に一喜一憂する姿はどこか愛おしい。豊子を演じる藤野涼子の預言者めいた佇まいにはどこか”神聖さ”すら漂っている。また、テレビの中の豊子の「簿記と速記とそろばんの資格を取ってます」という発言に、「ね〜!」とテレビに向かって反応するみね子。目の前の豊子ではなく、時間も空間もズレた所にいる豊子と会話をするというズレが、そのかわいさを倍増させている。前述の通り、豊子は登場してから終始ニヤケ面、「これから”いいごと”が起こります」と何度も宣言しているわけで、みね子らにしても視聴者にしても、このクイズ番組の結果はわかりきっているはず(秋田の優子と澄子以外は)。であるにも関わらず、誰もがそれに気づかないふりをして、手に汗握り、クイズの行く末を見守るというこの共犯関係が生み出す親密さ。豊子が小水勉三(ラバーガール大水)にリーチをかけられようものなら、BGMもここぞとばかりに盛り上げるのがおかしい。視聴者の関心はクイズ番組の結果ではなく、その結果をしった澄子のリアクションにスライドしていくわけだけども、その期待を裏切らない満点の表現を見せてくれる松本穂香さん。



優子(八木優希)が同窓会に参加せず、嫁ぎ先の居間のテレビで結末を見守っているという演出も効いている。離れた場所にいる人が、同じ時間に、同じものを見つめ、同じことを考えているということ。テレビが巻き起こした愛子の部屋の熱狂があかね荘全体に伝染し、早苗(シシド・カフカ)たちが引き寄せられてくる。そして、テレビは、遠く離れた秋田の地でも、同じようにして熱を生み出す。そして、それを見つめる我々もまたテレビを通して、同時多発的に熱狂している。106話は、テレビというメディアの魔法のような力を、メタ的に描き切った良回でもあるのだ。

*1:週単位ではなく話単位で感想を書き出してしまうほどに!