青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

木皿泉『パンセ』

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のりぶぅ(のっち)が意味もなく言葉を3度繰り返し、どんちゃん(あ~ちゃん)に「なんで、3回言う」とツッコまれる。豪華絢爛ながら、300万円という破格の売値がつけられた洋館を前にして、どんちゃんが言う。

これ、3人で割ったら・・・割り切れるじゃん

なんだか変な台詞だ。「1人あたり100万じゃん」が普通のはず。あえて3で割り切れるということを強調しているわけで、つまりはこのドラマは”3”という数字にこだわっている。3は偉大だ。Three is a magic number、3人寄れば文殊の知恵、など言いますし、3の倍数と3が付く数字のときだけアホになる人だっている。もちろん、Perfumeというユニットの完璧な三角形へのリスペクトもあるだろう。とりあえず3人いれば会話はおもしろいように転がり、物語も踊り出すのです。


木皿泉と3人娘というと連想してしまうのは、もたいまさこ×室井滋×小林聡美の『やっぱり猫が好き』だろう。

やっぱり猫が好き』というシットコムは、小林聡美との結婚というインパクトもあって、三谷幸喜が全部書いているかのように錯覚してしまうのだけども、実際の所は複数のライターが参加していて、第2シーズンなどは木皿泉が4割ほど執筆している。あの永遠に続くかのようなとめどない“おしゃべり”の魔法が、Perfumeの3人に受け継がれてしまったならば、それはどんなに素敵なことだろうか。序盤こそそんな風合いが漂っていたのだけども、『やっぱり猫が好き』のあの無意味性の連続がもたらす陶酔はやはり三谷幸喜の色であって、この『パンセ』というドラマは(いい意味でも悪い意味でも)肩に力の入った木皿泉という作家のドラマに仕上がっている。つまり、観る者に”生きるということ”を見つめ直させようとしてくるような深度があるのだ。


今作は30分ずつの前編と後編で構成されていて、CMを除いてしまえば、尺は1時間にも満たない短編ドラマだ。であるから、登場人物の背景を書き込む余裕はほぼなく、役名すらきちんとは紹介されない。かしゆかが”おかみど”という役名だったことを、HPを見るまで気づかなかったくらいだ。そのような状況の中においては、木皿特有の”いい言葉“がいささか悪目立ちしてしまっているきらいがあるのは否めない。これをパイロット版にして、ぜひとも、連ドラ化を果たして頂き、そこらへんのバランスのとれたものを観てみたいものです。演技未経験ということだが、Perfume3人のやりとりに嘘っぽさがないのがよかった。それこそまさに並行世界の3人を観るようである。なんといってもやはり3人とも”声”がいい。尺のない中でも、何気ないやりとりや所作でもって、3人の性格や関係性などを掴ませてしまう脚本術。どんちゃんはしっかり者で、おかみどは抜け目なく、のりぶぅは自由人。おそらく、Perfume本人らのパーソナリティとそんなにズレていないのだろう。その点においても非常に優れたファンムービーとなっている。


おでんを載せたラジコンが庭を横断して孤独なテントに辿り着く、サイレント大相撲とムード音楽、鞄一杯に詰まったレモンと資本主義、なんていう木皿泉特有のイメージの豊かさは、やはりたまらないものがある。力丸(勝村政信)の抱える潔癖症の象徴とも言える石鹸、その泡がシャボン玉となって空に舞い、下を向く人々の顔を上げる、なんて演出もニクい。本作のとりわけ感動的な点は

大変だろうねぇ
今までも これからも

というような力丸というキャラクターへの、3人の察しの良さにあるだろう。(もちろん尺の問題もあるのだろけども)その”察しの良さ”からくる、力丸を受け入れることへの”葛藤のなさ”にグッときてしまう。

でもさ
力丸のこと心配してる自分って嫌いじゃないんだよね

人の幸せをこんなに願うことができるんだ
ってビックリしてる

そこに漂うのは、誰かのことを強く想ってみることへの圧倒的な肯定である。木皿泉の”居心地の悪い人達”に向けた優しいまなざしが、どこかリアリティがなく浮足立ったこのドラマに真実味のようなものをもたらしている。ババ抜きで"ハートのエース"を引き抜くこと、「いってきます」と家を飛び出した冒険者を「おかえりなさい」と迎えてあげること。こういった小さなドラマに大きな感動を付与できるドラマ作家は、現代において木皿泉くらいのものではないだろうか。

悲しいだろう みんな同じさ
同じ夜を むかえてる

と歌われる吉田拓郎の「どうしてこんなに悲しいんだろう」は反則的なまでに胸に響く。誰も等しく悲しい夜を持っている、その事さえ忘れなければ、私たちは何かをわかち合って生きていけるような気がするのだ。