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青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

ティム・バートン『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』

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バートンお得意のゴシック調のおどろおどろしいOPから一転、”フロリダ”というクレジットとともに、太陽が燦々と照りつけるビーチが牧歌的に映し出されるのには思わず笑ってしまう。主人公ジェイクが働くドラッグストアでのクラスメイトとの一連のやりとりを見るに、ティーンエイジャーの葛藤を描いた学園ドラマが展開されていくような予感に満ちているが、すぐさま画面はダークな質感を取り戻す。曇り夜空の下に現れる、どこか見覚えのある住宅風景に、ここでいう”フロリダ”というのは、つまりはあの『シザーハンズ』(1990)の舞台ということであるここに気づかされる。ハサミ男エドワードの孤独が、周りの同年代のこどもたちとうまく関係を築くことができないジェイクに重ねられる。であるから、今作もやはり”歪さ”を、”奇妙さ”を、”変わり者”を、優しく肯定する物語だ。その完成度はティム・バートンのキャリアにおいても、最高ランクに位置するのではないでしょうか。間に『ダーク・シャドウ』(2012)。『フランケンウィニ―』(2012)といったおおいに愛すべき作品も挟まれるが、

『ビックフィッシュ』(2003)以来と言っていい、感動が今作にはある。こどもたちは震えるばかりに愛らしく、それも見守るエヴァ・グリーンも気高く美しい。


ティム・バートン至上最も奇妙、という煽りはどうかと思うが、確かに怪作であることには違いない。あまりに要素が詰め込まれ過ぎている。超人的な能力を持ったこどもを迫害から守るための施設、という設定はもろにマーベル・コミックの『X-メン』なのだけども、更に日本のアニメーション作品との強い親和性を有している。(その証左というわけではないが、一瞬だが、日本が舞台として登場するのだけども、それは秋葉原的な電脳都市だ)「1943年9月3日」という時間をループし続けるこどもたち、という導入からして数々の名作を想起せざるえないだろう。そして、全体を通してほとばしる、藤子・F・不二雄ドラえもん』大長編のフィーリング。現実世界ではボンクラの男の子が別世界ではスーパーヒーローに、というやつ。色々、混ぜ合わさった結果、最終的に新海誠の『君の名は。』的なラブストーリーに辿り着く。そんなもの面白いに決まっているのである。すぐさま劇場に駆けつけよう。以下はネタバレ。



祖父が、古めかしい写真を元に、たびたびベットで語り聞かせてくれた”おとぎ話”を端とする。両親らが「旅先で買ったインチキ写真だ」と一蹴するそれらには、宙に浮く女の子、怪力兄妹、透明人間、身体の中に蜂を飼う男の子、マスクをかぶった双子etc・・・あらゆる奇妙なこどもたちが映し出されている。人は、その写真を前にして何を”見る”のだろう。インチキ写真としてのトリックか、奇妙なルックの子ども達への差別感情か、はたまた、彼らに渦巻く豊潤な物語か。バートンは物語を”見よう”とする変わり者を支持する。前作『ビック・アイズ』(2014)から引き続き、”見ること”を問う作品であり、その主題を元に、物語が展開されていく。主人公ジェイクの能力は他の人の目には写らない怪物を”見る”こと。双子の見た者を石にする”ゴルゴ―ン”的扱われ方、怪物たちは能力者を殺し、その”目玉”を食べる。そして、ヴィラン達は一様に”白目”という特徴を付されている。”見ること”の困難さ、重要性が物語の中で説かれる。「1943年」という時間軸をことさら強調することからもわかるように、第二次世界大戦時のナチスの有様が物語に下敷きされている(これも『X-メン』と同様だ)。主人公のジェイクは(おそらく)ユダヤ人だし、怪物たちは、ホロコーストを隠喩した”ホローガスト”というあまり巧くない名称が与えられている。歴史を顧みた上でのこども達への継承、それらが今作をより重層的なものに仕上げているのは確かだが、そういった史実との関わりを”読む”よりも、やはり類まれなるイマジネーションに裏打ちされたカットの連なりを”見る”ことに注力するほうが賢明であるようにも思う。奇妙なこどもたちの1人にホーレスという少年がいる。
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片眼にカメラをはめ、スクリーンに夢を投影できるという彼の能力!!映画というメディアへの溢れんばかり愛が込められている(ホーレスが紳士の装いを好み、その能力が戦いにおいて何の役に立たないところも含めて最高である)。そして、オーソドックスであるが、繰り返される落下と浮上のモチーフ。ドイツ空軍が孤児院に投下した爆弾、海中に沈められた豪華客船(さらに巣から落下するリスまで!)といった”下降”の悲劇を、なかったことにしてしまう”浮上“のイマジネーション。その浮上の運動を一身に背負うのが主人公が恋に落ちるエマ。自らを地上に繋ぎ止める鉛の靴を脱ぎ捨て、重力に逆らい宙に浮く彼女の姿を観た時の心の動揺(トキメキ)が、そのまま物語を救済してしまう鮮やかさ。そして、ロープでくくられたエマを、ジェイクが凧のようにして海岸を歩くショットの美しさよ(その青の蒼さ!)。前前前世とは言わないまでも、70年の時を隔てた2人のラブストーリーは、「ロープを腰に巻いてあげる」「ネクタイを結んであげる」、という2つの運動によって、固く結びつけられるのだ!!