青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

小花美穂『こどものおもちゃ』


改めて、大傑作である。「捨て子」「学級崩壊」「学級崩壊」「ホームレス」「三角関係」「暴力事件」「奇病」「イジメ」「自殺」「芸能界」とまぁ、ザッとタームだけ挙げてみると、ウンザリしてしまう感じなのだが、これがビックリするほどに面白い。ウンザリするどころか、ググッと惹き込まれてしまうのは、語り口のコメディとシリアスのブレンド感覚が絶妙だからだろう。いや、ブレンドというより常に表裏一体。まるで1コマごとに語り口が切り替わるような手法である。その在り方こそが本来の世界の姿に違いない。しかし、読みやすさを成立させようとするには、どうしてもどちらかに片寄らざるをえない。今作における小花美穂のパワフルな筆致は、その困難をはねのけ、キャッチーに軽妙に”世界そのもの”と”ほんとうのこと”を描く事に成功している。

こどものおもちゃ (1) (りぼんマスコットコミックス (791))

こどものおもちゃ (1) (りぼんマスコットコミックス (791))



こどものおもちゃ』という作品の核を要約してしまえば、

うまれる前から愛していたのよ
だからがんばってうんだのよ

という母から受ける圧倒的な生の肯定を再認識し、「生まれてくれてありがとう」と思える相手を獲得する、そんな物語だ。紗南、羽山、直澄という3人の主要キャラクターは全員が母の存在を知らぬ孤児。その3人が強烈なディスコミュニケーションとの葛藤を経て、「おめでとう」という祝福を受ける。つまり、『新世紀エヴァンゲリオン』の変奏であると言えよう。『こどものおもちゃ』の連載期間が1994年から98年、『新世紀エヴァンゲリオン』が1995年から96年。そして、この同時代の表現の興味深いシンクロニシティにもう1つ共調する表現がある。同じく母という存在から隔離されたミュージシャン中村一義の『永遠なるもの』(1997年)という楽曲だ。

感情が、全ての人達に、降り注ぎますように。

愛が、全ての人達へ…。
あぁ、全てが人並みに…。
あぁ、全てが幸せに…。
あぁ、この幼稚な気持ちが、どうか、永遠でありますように。

こう歌われる、疑いようのない彼の代表曲。『こどものおもちゃ』最終話にて、紗南はこうつぶやく。

ああ…誰の上にもちゃんと幸せが降ったらいいなぁ
そーだといいなぁ…

さらに、中村一義の「永遠なるもの」にはこんなフレーズがある。

急にね、あなたは言う…。
「やっと笑えそうだっていう時に、判んなくなって、泣けない、笑えない…」

これは、物語の後半、「人形病」という心の病気にかかり表情を失ってしまった紗南そのものではないか。

また言うまでもなく、『新世紀エヴァンゲリオン』における綾波レイの「こんな時、どういう顔をすればいいかわからないの」である。いくらなんでも出来すぎたシンクロ。90年代という時代がそうさせたのか、なんなのか、とにかく興味深い現象であります。何にせよ、『こどものおもちゃ』も中村一義も、獲得した感情を、放射状に出力している。



そして、時を経て2010年。小花美穂は連載中の『Honey Bitter』において、『こどものおもちゃ』のメンバーのその後を描いている。ちなみに、『Deep Clear』というタイトルで『Honey Bitter』から独立して単行本化されている。

Deep Clear―「Honey Bitter」×「こどものおもちゃ」

Deep Clear―「Honey Bitter」×「こどものおもちゃ」

この作品において、『こどものおもちゃ』から反復されるのは、やはり生の肯定だ。大人になった紗南が言う。

「産まれる前から愛していたから産んだのよ」って
台詞か何かで言った時は意味をしっかり把握してなかたけど…
今、自分の体でそれが体感できて幸せ

円環する肯定と感情が『Honey Bitter』の登場人物、そして私たち読者に降り注ぐ。『こどものおもちゃ』は10年の時を経て『Deep Clear』にて完結したのであります。タイトル一つとっても、明らかに小花美穂がセンスとパワフルさを失っているのは明らかなのですが、『こどものおもちゃ』ファンは必読だろう。