読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

大石静『しあわせの記憶』

f:id:hiko1985:20170111104424j:plain
MBS開局65周年を記念して制作された新春ドラマ『しあわせの記憶』を観た。渡辺謙が出ているなら、というくらいの軽い気持ちで眺めていたのだけども、気付けば完全に魅了されてしまった。まずもって役者陣がいい。渡辺謙の屈強さと軽みは言わずもがな、北川景子の衒いのない美しさは観ていて大変気持ちがよく、二階堂ふみは声を荒げることなく高い演技力を見せつける。一体何から身を守ろうというのか、常にリュックを前掛けする丸まった背中の出で立ちは、染谷将太と並んでこの世代の代弁者と言っていいだろう(それって『ヒミズ』ではないか)。2人の娘に負けないキュートさを撒き散らしていたのが麻生祐未で、しばらくは世の中の母親役はこの人と斎藤由貴が独占すればいい、と思いました。清掃員として働きながら、孤独にしがない生活を送る渡辺謙ということで、どうしても『星ひとつの夜』(2007)などを想起してしまうわけだが、自分のやりたいことがわからない青年、方向に行き詰る中年、人生のやり直しに挑む老年というトライアングルはやはりどこか山田太一的であった。


勉強不足でして、向田邦子賞を始めとしたテレビドラマ界の権威を総なめにしているベテラン脚本家である大石静の作品をこれまでまともに鑑賞したことがなかったのだが、抜群に”生きた”本を書く人である。冒頭における何やら姉妹であるらしい北川景子二階堂ふみの朝のリビングでの会話から目を見張った。

夏波:おはよう
冬花:カレーなんてあったっけー?
夏波:レトルトよ
冬花:はあ~イチローみたいだね
朝からカレーだなんて
夏波:第一線で戦う者はランチの暇なんかないんだから、朝ご飯はがっつり食べとかなきゃだめなの
冬花:イチローもお昼食べないの?
夏波:イチローは食べるでしょ!アスリートなんだから
冬花:アスリート・・・スポーツ選手でいいのに

おもしろい。ここには生活者としてのリアリティーがあるし、さりげなさの中に作家の持つほどよいユーモアとシニカルな視線が込められている。そして、自己紹介がわりにという感じで、勤勉な姉、少し抜けた妹といった人となりがスッと視聴者に入ってくるのも美味い。姉妹の衣装や小道具にもそれらが明確に視覚化されている。タイトでテロテロした服を纏う社長の姉とオーバーサイズのスウェットを上か下に必ず身につけるフリーターの妹。芸が細かいと感じたのは、玄関のショットが挿入されると、必ずナイキやニューバランスのスニーカーが入船のまま置かれた様子が写り込んでいる点。おそらくそれは妹の靴で、母や夏波の靴はきちんと出船に揃えてある。5年ぶりに家に舞い戻った父は脱ぎっ放しで玄関を上がる。姉は母似、妹は父似なのだろうか。こういった登場人物や小道具を余す所なく使う脚本術が見事なのだ。とりわけ夫婦の出会いであったというプロ野球観戦を巡る挿話が素晴らしかった。

太郎:すごかったよなぁ、5万だぜ神宮。
純子:うん
太郎:掛布のホームランに佐野の犠牲フライだ
   あの日出会ってなけりゃ夏も冬もこの世には存在しなかった
   不思議だよな、偶然知り合って好きになって家族になって

人生の途方もない偶然性、クサい言葉で処理すれば”奇跡”というやつを、去る日のプロ野球の1試合で語る。そして、この会話を導き出したタイガースのメガホンは、別々の道を辿ることになる夫から妻へのエールに使用されるのだ!この照れと攻めのケレンミ。ジャガイモの皮を剥きながら「玉葱が目に沁みる」と泣く、なんてズラしも心憎い。


家族とは何か?を定義するのはどうしてかテレビドラマ界が背負う宿命のようなものだが、本作は”記憶”である、とした。

親孝行ってのはな 何も年とってからだけじゃねぇんだ
最初の5年間で一生分の忘れらんねぇぐれぇの思い出、くれんだよ

記憶なんだなぁ家族って
子どもが育ってしまえばいずれみんなバラバラになってしまう
でもみんなの記憶の中で家族は生きてんだ

どこか藤子・F・不二雄の『ドラえもん』の傑作中編「のび太の結婚前夜」における静香のパパの台詞を引き継ぐような筆致だ。

それからの毎日、楽しかった日、みちたりた日々の思い出こそ
きみからの最高の贈り物だったんだよ
少しぐらいさびしくても、思い出があたためてくれるさ

たとえ家族であろうと、いずれ離ればなれになる。人はどこまでいこうと孤独だ。しかし、記憶が孤独を温めてくれる、そっと背中を押してくれる。そんな家族の”記憶”というやつが実体化してしまうシーンがある。信号の灯りがどこか幻想的な夜道を、疲弊した夏波がトボトボと歩いている。突如現れるボウリング場に導かれるように入店してしまう。そこは何故だか照明は薄暗く、お客はおろか従業員も誰1人といない。しかし、何故か父がいる。無人のボウリング場で勝負をする父と娘。異様だが、どこか温かい。あのまるで夢のような質感のボウリング場は、家族の記憶、思い出そのものが具現化した空間なのだ。