青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

大根仁『SCOOP!』

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福山雅治が粗野で下品な中年パパラッチを演じる。スクープ写真が題材という事は、“盗み見る”という映画的運動が静かに持続していくようなサスペンス(もしくはエロス)を期待してしまうわけだが、今作におけるシャッターを押す瞬間にはそのような寡黙さの欠片もない。爆音BGMや怒声が彩り、果てには花火が打ち上がり、沈黙を嫌うかのような盛り上がりで演出されていく。唯一、静(福山雅治)がファインダーを覗いている際に野火(二階堂ふみ)から注がれる視線に寡黙さは感じられるのだが、それもaikoの歌詞のような少女漫画的文脈に回収されてしまっている。しかし、そこに強い不満は感じない。 “盗み見る”という内に潜るような運動を、あえて外に外に開放していき、挙句に国道でのカーチェイスにまで発展させてしまうエンタメ志向こそ大根仁に期待するものであろう。野火が度々口にする「この仕事、ほんと最低っすね」が「この仕事、ほんとサイコーですね!」に切り替わっていくまでの高揚感を観る者に共有させるような矢継ぎ早のパワフルな演出、そしてその興奮を体現する自然発生的な静のキス、までが序盤ながら本作のハイライトのように思う。戦場カメラマンロバート・キャパの名前が持ち出されるあたりから雲行きは怪しくなるわけですが、序盤は”撮ること”の意味性が排除されているのもいい。「何故、芸能人のスキャンダルを撮らねばならないのか?」という問いに答えはなく、2人はただただ無意味に仕事に熱を上げていく。意味から解放されたその高揚に、観る者は多幸感のようなものを覚えるのだ。スキャンダル、酒、買春、ドラッグ、殺人etc・・・ひたすら下世話でアンモラルな世界が繰り広げられながらも、不快感に包まれないのは、”業の肯定”というような大らかさが作品全体を包み込んでいるからであろう。


欲張りな作家である大根仁が、欲望を抑制しているのが功を奏している。『モテキ』『バクマン』などで大手を振っていたサブカルチャーへの目配せや、奇をてらった演出が鳴りを潜めている。喘ぎ声と車の揺れから、長回しのままに空撮で都会の夜景を収める冒頭には、シンプルに映画を始めるぞ、という気概を感じた。しかし、ダサいエピローグとか中途半端なベッドシーンはいらないので、後20分くらい短くてもよかったような。役者陣は軒並み好調。肌や身体をくたびれさせた福山雅治(演技はいささか過剰だが)と弾けんばかりの若さを体現する二階堂ふみのバディがいい。この2人の役名がシズカとノビという、『ドラえもん』由来になっているは実に大根仁らしい遊び心、と思いきやリメイク元である原田眞人『盗写 1/250秒』(1985)に基づくようだ。吉田羊と滝藤賢一の、与えられた仕事を最大限に全うしている様も実にプロフェッショナル。リリー・フランキ―の本当に何でも出来てしまう感じはもはや鼻につくレベル。


余談になるが、「福山雅治だと思ってなめていたけども、いい意味で裏切られた」というような意見が主流のようだけども、それはいささかお門違いなのである。福山雅治フィルモグラフィーを改めて眺めてみて欲しいのだけど、その数は想像以上に少ない。そして、そのほとんどが西谷弘、永山耕三福田靖、大友啓史といった実力派のヒットメイカ―が関わった作品ばかり。福山側からの実に綿密なクオリティコントロールが感じられるはず。西谷弘『真夏の方程式』(2013)、是枝裕和そして父になる』(2013)という2本の傑作にて、いよいよその成果を見せ始めたわけだが、福山雅治はメインストリームをスターとして歩み続ける一方で、実に優れたポップカルチャーの批評家でもあったのである。



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