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『それでも、生きてゆく』1話にみる坂元裕二脚本の真髄

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坂元裕二が脚本を手掛けたテレビドラマ『それでも、生きてゆく』を観返している。会話が噛み合わずズレていく。そのズレが笑いを生み、ドラマを生む(そういった点では坂元脚本には落語的な要素があるのかもしれない)。意見の合わなさ、考え方の根本的な相違、そういったある種の絶望的な隔たりを、肯定していく試みが坂元脚本であり、この『それでも、生きてゆく』はその最初の到達だ。最新作『問題のあるレストラン』での密度と情報量の多い台詞回しの後に観ると、驚くほどにミニマル。しかし、ゆえに実にクールで、かく革新的だ。1話を観返しただけで、痺れまくってしてしまったので、少しだけ紹介したい。



洋貴(瑛太)が父と経営する釣り船屋に、双葉(満島ひかり)がある目的を持ってやってくる。見慣れぬ車が停まっているので、湖のほうへ様子を窺いにいく洋貴。2人の出会いのシーンだ。

洋貴「ああ」
双葉「えっ?」
洋貴「車、アレすか?」
双葉「あっ、すいません」
洋貴「いや、別になにも、アレなんで」
双葉「・・・はぁ」
洋貴「・・・はい?」
双葉「いや・・・」
洋貴「なんすか?」
双葉「いや・・・ここの方ですか?」
洋貴「まぁ、ちょっとアレなんで、自分・・・」
双葉「えっ?」
洋貴「・・・いいすか?」(去ろうとする)
双葉「あっ!」
洋貴「えっ?」(立ち止まる)
双葉「いや・・・」
洋貴「なんすか?」
双葉「いや・・・お腹空いちゃって」

凄くないですか!?書き起こしてみると、ほぼ何も言ってないのに等しい。だけども、洋貴の「話したいけど、話せない」、双葉の「話したくないけど、話したい」という複雑な感情が描かれている上、2人がどういう風に世界の隅っこで生きてきたのか、という人となりも顔を出している。そして、会話としての圧倒的なリアルさ。つまり、省略と指定代名詞の多用。この文法をドラマ脚本に持ちこみ、エンターテイメントとして成立させた坂元裕二、そして満島ひかり瑛太の功績ははかり知れない。素晴らしいドラマである事に異論はないが、『問題のあるレストラン』に感じる違和感の1つに、「人ってこんな風にして喋り出すだろうか、こんなに内容のある事ばかり喋るだろうか」というものがありました。その違和感のなさが、凡百のドラマと坂元作品を隔てるものであったように思うのですが、『問題のあるレストラン』は「男女差別」という題材がいささか重くのしかかり過ぎたのでしょう。さて、話を『それでも、生きてゆく』第1話に戻します。上記のシーンの続きがまた秀逸なのだ!



「お腹が空いた」という双葉を連れ、釣り船屋の室内に戻った洋貴はカップ焼きそばを彼女に差し出す。ポットでお湯を湧かそうと思うも、なかなかコンセントが見つからない。コンセントを探す中でたまたま目に入った電話機の横に貼ってある「自殺防止ガイドライン」で、、洋貴は彼女を「自殺志願者」と思い込む。やっと探し当てたコンセントは何故か壁の高い場所にあり、お湯が湧くまでポットを持ったまま立ち続ける羽目に。そして、カップ焼きそばを食べる準備を進める双葉。

洋貴「あの・・・」
双葉「はい?」
洋貴「お湯入れる前にソース入れちゃったら・・・」
双葉「あっ・・だ、大丈夫です、食べれます」
洋貴「無理です。相当無理だと思います。あの、おにぎりとか、そういうおにぎりのとか買ってきます」
双葉「あっ、ほんとよくて!」
洋貴「おかかか梅か、どっちがいいですか?」
双葉「じゃあ・・・鮭?」
洋貴「あっ、あぁ・・・すいません、鮭、気づかなくて」

なんていう噛み合わなさ!脱臼しきった、内容のない緩い会話劇のようでいてコミュニケーションの困難さゆえの面白さ、その真髄が描かれているように思う。勘違いやすれ違いこそが、コミュニケーションを加速させていくのだ。『それでも、生きてゆく』は、こういった会話劇と共に、少年犯罪、その被害者家族と加害社家族という、「面白い」と言っては語弊があるが、圧倒的な強度を持ったドラマが並走している。改めて完璧な、ドラマ史に残る1作である。
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