青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

川本三郎/稲越功一『記憶都市 RUST CITY TOKYO』

東京の街を彷徨っていると、ふと、時代に取り残された風景というのに出会う事がある。まだこんなものが残っているのか。これは本当にここに在っていいものなのかしら。見てはいけないものを見てしまったかのような、妙な興奮と背徳感を覚える不思議な体験だ。今では、団地や銭湯といった風景ですらそういった感覚を喚起させるものになってきているからして、”時代に取り残された風景”の対象は、当たり前だが、どんどん増えていっているような気がする。ときに、そういった風景に心動かされるのは、ノスタルジーだけが作用しているのではないだろう。どう見ても古ぼけくすんだ風景であるはずなのに、圧倒的な存在感で迫ってくるのは、他との違和だけではないはずだ。



というような事を考えているおりに、NHKの『ニッポンサブカルチャー史』という番組で1冊の本が紹介されていた。
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『記憶都市 RUST CITY TOKYO』という1987年に刊行された写真集。どうしても手にとって見たくなり、ネットで東北の古本屋で購入しました(ちなみにamazonでは3万円というバカげた値段がついていますが、古本屋で探せば1500円とかそこらで買えます)。山下敦弘の『マイバックページ』の原作者として印象深い川本三郎の抑制された不思議な文章数編に、写真家稲越功一が捉えた80年代の”東京”の風景が収まっている。
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稲越の映す”東京”には、人が映されていない。風景のみ。あえて、人を映さない事で、その場所に残っている、かつていた人の”記憶”のようなものを撮ろうとしていたのだろう。この13年後に中野正貴『TOKYO NOBODY』という無人の東京を捉えた作品が発表される。稲越の写真にも『TOKYO NOBODY』に流れる独特のフェティシズムが漂っているが、今作が捉えているのは、「人が映っていない都市空間」ではなく、時代に取り残された”廃墟”めいた風景であり、時の流れの裂け目のようなものである。もう本当は在るはずない空間、それが残されている不思議。どこかSFめいた質感で我々のイマジネーションを刺激してくれる1冊だ。保坂和志『東京画』や松本隆の”風街”への副読本としてもオススメかもしれない。