青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

最近のこと(2020/03/01)

会社より大阪への転勤を告げられ、4月から東京の地を離れることになった。少なからず”東京”というアイデンティティに寄りかかっているという自覚もあったので、それを剝奪された自分はどうなっていくのだろう。そんな混乱の中で、ふと「日記をつけてみよう」と思い立った。30年と少し東京で暮らし、ここ最近はすべてのことに煮詰まっていて、ライフワークであったはずのブログも放置状態になっている。「書くこと」「考えること」へのリハビリも兼ねて、新しい暮らしに向けての、その心情の変化を記録してみようと思う。どんなに短くてもいいから毎日書く。これをルールとしたい。

意気消沈の毎日である。転勤先がわからないまま過ごす休日はモヤモヤと憂鬱で、外に出る気がおきない。強度のあるものを観たり、読んだりできないので、意味のないものにすがった。『オードリーさん、ぜひ会ってほしい人がいるんです。』(中京テレビ)なんて実にちょうどいい。あまりに意味のない“個”の発露に、実存みたいなものを色濃く感じてしまう。人間って美しいな、とすら思えてしまう番組だ。あと、NetflixとDVDにて『水曜どうでしょう』(北海道テレビ)を眺めていた。YouTuberの台頭で、完全に過去のコンテンツとなってしまった感は否めないが、大泉洋はタレントとしての格が違うので、まだまだ視聴耐久性を保っている。「対決列島 〜甘いもの国盗り物語〜」「日本全国絵ハガキの旅」「シェフ大泉 車内でクリスマス・パーティー」「東北2泊3日生き地獄ツアー」「シェフ大泉 夏野菜スペシャル」「サイコロ4 〜日本列島完全制覇〜」「サイコロ5 〜キングオブ深夜バス〜」と軽めのものを延々に垂れ流した。引き伸ばしされた青春に、はしゃぎつつも気怠い感じが伴う番組のフィーリングがとても心地よい。ときに、『水曜どうでしょう』は細部の会話や些細なアクションが肝であるので、ながら見してしまうと意外と楽しめないのだ。極極に集中力を高める必要がある。メシ食う時は新聞を凝視する必要がある。中間試験を受ける必要はない。ということで、NUMBER GIRLZepp Tokyoで行った「無観客状態」の中継観ました。全然変わっていないように見えるけど、この18年で色々あったはずの田淵ひさ子の奏でる轟音を聞いていると涙が出てしまう。マスク姿でトレンチコートを羽織って踊り舞う森山未來がかっこよかった。

気が狂いそうになったので、外に出てとにかく闇雲に歩き回ることにした。隣駅の町に大きな団地地帯があることをはじめて知る。この町には東京大仏があったことを思い出し、7年ぶりに訪ねてみることにした。暗闇で目の当たりにする巨象はとても怖い。最寄り駅からも徒歩で20分以上かけて入口に辿り着くも、夜間は開放していなかった。寺の入口では自転車で待ち合わせしてイチャついている中学生のカップル。その少し離れたところにスマートフォンポケモンドラクエに興じる中年が数人。わたしの暮らしている東京はちっともアーバンじゃない。ローソンストア100でひじきご飯弁当(200円)とカップのお味噌汁を買って帰った。