青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

『うつくしきひかりワンマンライブ』in 旧グッゲンハイム邸


塩屋という町にすっかり魅了されてしまった。神戸からJR線に20分ほど乗っていると、窓から突然水平線が見える。そこが塩屋駅だった。どこかの離島に来てしまったのだろうか、と錯覚してしまうたおやかさが漂っている。駅は国道をはさんで海。その反対に密になって固まる商店街。商店や家屋は曲がりくねり高低差のある道に並んでいる。途中で海も見渡せる。養老孟司宮崎駿の共著『虫眼とアニ眼』で

うねりのある地面は感覚を呼び覚ましてくれる。ゆるやかなカーブのもたらす視線の変化の連続する反復はなつかしさという感情を生み出すのだ。良い町とはなつかしさをいだかせる町だ

なんて事が書いてあったのを思い出す(それをアニメーションで実現させたのが『崖の上のポニョ』のあの町ではないかしら)。ここはいい町だ。道を進んでいくと現れたカレー屋「ワンダカレー」を発見。


揚げ野菜カレーを頂く。トロトロのルーに色んな”美味しい”が染込んでいる。店内では小さな音でうつくしきひかりのアルバムが流れていた。これにはすっかりうれしくなってしまって、「街中が今日のライブを楽しみにしているんじゃないかしら」なんて想いに駆られる。もちろんそんな事はないのだろうけど、そんな事が起こりそうな佇まいの街だったのだ。



旧グッゲンハイム邸は、明治頃に神戸にやってきた貿易商達が塩屋を別荘地として建てたものらしい。その後、所有者を転々としながらも、100年以上塩屋の地に根を張っている。本来なら、その価値の保護のため、立ち入りの制限された文化物と扱われてもおかしくないのだが、ライブ、演劇、パーティー、録音と様々な目的での貸出を行っているそう。ずっと塩屋の生活を見守り続けてきたグッゲンハイム邸は、ただの象徴となる事なく、今も生活の風景の一部に溶け込んでいる。

クラシックな洋館の広々とした庭先でお酒を飲んだり、カレーを食べたり、子供と遊んだり、とお客さんは思い思いに過ごしている。その様子を観て演奏前のMC.sirafuが「なんだか、天国みたいだね」とつぶやいた。


塩屋に、旧グッゲンハイム邸にすっかり魅了されてしまったわけですが、そこで奏でられたうつくしきひかりの音楽も、改めて素晴らしいものだった。この日はアルバムのレコーディングを担当した西川文章がPA。建物の、土地の、人の空気や記憶を吸い込んで鳴らすようなサウンドが構築されていた。

風が騒いで街を揺らせば ぶつかり合う 記憶も匂いも 
抱いて持って帰ろう それで飾ってみる

うつくしきひかりの音楽の余白は、聞く者に何かを省みるきっかけを与えてくれる。ライブ中、聞こえてくる子どもの声、近くを走る列車の音。時の流れとか距離とか。そういうものを意識せざるえないシチュエーションが整っており、演奏を聞きながら私は様々な記憶と出会った。記憶の中では、かつての自分やもう会う事のできない誰かに再会する事ができる。2人の奏でる「セカンドライン」のピアノとスティールパンのフレーズのように。離れ離れになったものが再び交わる瞬間。うつくしきひかりの音楽はそういう美しき祈りなのだと思う。うつくしきひかりの音楽は、中川理沙の歌とピアノだけでも成立すると思うのだけど、MC.sirafuのスティールパンが加わる事で、歌声や楽曲の違った側面、魅力が浮かび上がってくる。人と人の重なり合いも、こんな風だったらとても素敵だ。


終演後、お客さんを巻き込んでの宴が始まる。お酒は飲めないけど、あまりにも美味しそうなモヒートがどうしても飲みたくってアルコール抜きで作ってもらいました。会場に小さな音で流れていた、西川文章氏が録音したという塩屋の海の音やキッチンでの調理音がとてもよかった。生活の音だ。音が重なり合う事の美しさを想うライブでした。