青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

藤岡拓太郎『コーヒー吹き出さないように気をつけ展』

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夏の終わりの高円寺に『コーヒー吹き出さないように気をつけ展』を観に行ってきた。奇しくもこの日の高円寺では恒例の阿波踊りが開催されていて、街は異様な活気に満ちている。私は踊らぬ阿呆であるし、またどんな顔で阿波踊りを視線を傾ければいいのかもわからない。仕方なしに、陽射しの照り返しによろめきながら、下を向きながら歩いた。翻弄されてばかりの人生だ。展示会場は「クラウズ アート プラス コーヒー」というカフェスペースだった。アイスコーヒーを注文して、一息の涼をとりながら、じっくり展示を眺める。展示されている作品はどれも何度も読んだものだが、溢れる人混みの中で(誰もがコーヒーを吹き出さないように)眺める、その奇妙な連帯感が心地よいのです。「エレベーターの中でボタン押し忘れてるおじさん」という作品の顔ハメパネルがあって、とても賑わっていた。「パネルに顔をハメている人を撮っている人」を撮っている人がたくさんいて、それを見ている私がいて、なんて複雑な視線のサークルなのだろうと思った。



写植も藤岡拓太郎自ら手掛けているという原画を眺める。原画で完成版の間には、細かい修正の跡が見られる。台詞はもちろんのこと、オチのコマの表情に皺を入れるか、入れないか、そんな些細な違いが作品の笑いの質を左右するのである。血の滲むような選択の痕跡の数々に身が引き締まるような想いがした。『夏がとまらない』という大傑作については、以前ブログに想いを綴っているので、そちらを参照して欲しい。
まだお読みでない方はすぐにも本屋さんに走るといいでしょう(うれしい予感をたたえながら)。こんなに素敵な本、そうそうないのですから。『夏がとまらない』刊行後にも藤岡拓太郎は精力的に1ページ漫画を更新していて、そのどれもがまた素晴らしい。何の意味もないことだが、とりわけ好きな作品のタイトルを羅列しておこう。「"おいしい"を"うれしい"と言うおっさん」「もらったプレゼントをすぐゆでる人」「美しい夜」「50018年4月、東京」「ラジオ大好き家族」「夏のこども」・・・また風見2との合作「夕方の作り方」「タクシー」の2本の美しさは言葉にできないものがある。中でも私の1番のお気に入りは「夏祭り」という作品だ。
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藤岡拓太郎 公式ブログ - 1ページ漫画「夏祭り」 - Powered by LINE
カメラワーク、"黒"の表現、人々の表情や仕草、すべてが大好きだ。例年になく人々で賑わう夏祭り。じゃがバター、クレープ、焼きそば・・・出店も多種多様である。その中の一つ、「腹筋」と書かれた屋台では、男がストイックに反復運動にはげんでいる。それを目にした1組のカップルが、ささやかな笑いに包まれながら大きな選択をいとも簡単に決断してみせる。このあらすじ、その脈絡のなさが凄い。藤岡拓太郎はたった1ページで世界そのものを描いてしまっているではないか、という気にさせられるのだ。この世界には、あらゆる人生がてんでばらばらに散らばっていて、それらが人知れずに意味も無く折り重なる。そんな時、わたしたちは何やら確信めいた"生"の実感を得るののではないだろうか。

台北旅行記2018

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台北という都市の魅力は、ノスタルジーと未来とが混在となっているところにあるように思う。たまらなく懐かしくて、新しい。東京という街が年老いて行く中で切り捨てていったものが、自然なままにテクノロジーと調和している。猥雑で多様なその有り様は、どこかで誰かが想い描いた未来のよう*1。そして、ノスタルジーを掻き立てるのは、この国に流れる”青春”の匂いだろう。眩し過ぎる陽光、予測できない空模様(なんて雨のよく降る星なのだろう)、甘酸っぱく湿った風、けたたましい音で街中を疾走するバイク、野性味溢れる食事と瑞々しい果実・・・そういったもののすべてが、過ぎ行く青春のワンシーンを彷彿とさせ、訪れる者をフレッシュな心持ちにしてくれるのだ。旅行するなら秋から冬にかけてがベストシーズンなんて説もありますが、個人的には夏を推したい。街全体に流れる夏休みの終わりみたいなセンチメンタルな気分は、あらゆる感性を全方向に開いてくれる。それに、バカバカしいほどの南国の暑さは、どんな日陰者だって陽気に浮かれた気分にさせてくれるのだ。



すっかりお気に入りの店がいくつかできてしまった。3年前に書いた「台湾旅行記」を読み返してみたら、お店の名前がほとんど記載されていないことに気づいた。なんと不親切なことだろう。今回はしっかり店名と最寄り駅を記載して、トピック別に紹介していきたいと思う。ここには書ききれませんでしたが、豆花、葱油餅、葱抓餅、焼麻糬、大腸包小腸も絶対食べておきたい台湾グルメだ。

<魯肉飯>

これぞ台湾を代表するローカルフード。台湾に美味しいものは山程あるが、なんだかんだでこれを食べに来ているような気にもなるのだ。日本でも魯肉飯と名のつくものは食べられるのだけど、ソボロ丼だったり、餡かけ肉だったり、八角が入っていなかったり、そのどれもがはっきし言って偽物。日本で魯肉飯を食べて「こんなものか・・・」と思って貴方!どうかまずは本場を体験してから、魯肉飯という食べ物にジャッジをくだして欲しい。定番中の定番のセレクトですが、まず間違いない2店を紹介したい。


金峰魯肉飯(最寄り駅:MRT中正紀念堂駅)

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やはり信頼できるのは地元のお客で溢れている店だろう。昼時はあちこちからバイクに乗った現地の人々が、テイクアウト弁当を買い求めにやってくる。たいてい並んでいますが、回転率が早いので臆することはありません。キングオブ魯肉飯をとくとご賞味あれ。甘辛く味付けされた肉の脂が、無限にご飯を盗んでいきます。食いしん坊を自覚されている方は、焢肉(豚バラブロック)と魯蛋(煮卵)を追加して、その全部を乗っけてワシワシと白米をかっこみましょう。燙青菜(茹でた空芯菜)も美味です。


黄記魯肉飯(最寄り駅:MRT中山國小駅)

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ライムグリーンの看板が目印。香辛料がガツンと効いた魯肉飯で、「台湾に来たぞ!」と感じさせてくれること間違いなし。ぜひとも追加して頂きたいのは蹄膀肉(豚足)です。プルプルの豚足は一見、しつこそうですが、パクパクいけます。パクチー付きなのもうれしい。鰹だしがきいた花枝焿米粉イカのとろみスープ)も絶品なので、ぜひ。お弁当も美味いです。
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台北の空港にはろくな食事処がありませんので、最終日の夜に買って、空港の待ち時間で食べたりするのがオススメ。


<水餃子/蒸餃>

台湾というと小籠包のイメージが強いのですが、それは観光客向けで、地元の人は水餃子や蒸餃(セイロで蒸した餃子)をこよなく愛しているように感じた。小籠包を出す店は何やらかしこまった場所が多く、価格も高め。よりリーズナブルかつ大胆に食べられる水餃子や蒸餃が断然オススメなのです。ときに日本では定番の焼き餃子。出しているお店も少なからずありますが、台湾ではあまり主流ではないようです。


鴻(最寄り駅:MRT中山國小駅)

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晴光夜市の一角に構える屋台。店名が「鴻」なのか「鴻丸」なのかは謎だが、赤い看板を目印にズンズンと夜市を歩こう。もう一つの目印は、黙々と餃子を茹でる"笠智衆"感のあるおやじさんと遠藤憲一に激似のおかみさん。何店舗かで食べ比べてみたけども、皮も餡もこちらの水餃子が頭ひとつ抜けているように感じた。透けたニラもセクシーだ。日本人用に醤油やお酢も用意されているが、現地の人に倣って、擦りおろしニンニクをダイレクトにつけて食べたい。台北の人々は平日の夜中だろうと、ガシガシ食らっています。


亓家 蒸餃專賣店(最寄り駅:MRT南京三民駅)

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水餃子よりも皮が薄いでの、ペロリといけてしまう蒸し餃子もオススメ。こちらのお店は客層はほとんど地元民、家族やカップルで溢れています。感動的な美味さのエビとヘチマの餃子はマストでお願いいたします。ショウガや辛味がセルフサービスで、地元の人々はこの千切りショウガを山盛りで食べています。



<マンゴーかき氷>

もはや台湾の象徴的存在。台北の人気店「ICE MONSTER」や「Mango Cha Cha」の日本上陸も記憶に新しい。フワフワの氷と高級フルーツであるはずのマンゴーの惜しみないトッピングはもはや革命。
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「ICE MONSTER」も「西門町芒菓冰」も確かに美味しいが、やはりNo.1はこちらのお店だろう。


冰讃(最寄り駅:MRT雙連駅)

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1年中マンゴーを提供しているお店もありますが、冷凍ものを使用しないこちらの「冰讃」はマンゴー収穫期の4〜10月しか営業していません。夏場に台湾旅行をオススメする要因の一つとも言えましょう。メニューは1番人気の芒果雪花冰がマスト。フワフワのミルク氷は、ココナッツ感もあって乳臭さは皆無。アイスクリームやプリンといった添え物はなしで、熟れたマンゴーと練乳だけでシンプルに。人生ベストかき氷です。これだけたっぷりマンゴーが乗って150 元(約600円)というのは、日本では考えられない破格。これはもう滞在中、毎日通うべきでしょう。


<サウナ>

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台湾のサウナはちょっといかがわしい。風俗産業が隠れ蓑されていることが大半で、休憩室で休んでいると、「スペシャルマッサージ?」と訪ねられ、承諾した客は隠し扉の向こうへと消えていくのです。しかし、サウナや風呂だけを楽しむお客が多くいますので、安心して足を運んでみよう。「金年華三温暖」「亜太三温暖」「天龍三温暖」と3つのサウナに足を運んでみたが、基本的にどこも一緒である。値段は12時間で600元(約2400円)とそこそこする。内装は古代ギリシャ調で、彫刻がそこかしこに。110℃越えの湿度の低いカラカラのサウナと10℃以下のキンキンに冷えた広大な水風呂。「亜太三温暖」の水風呂は6℃と表示されていた。そこまで低いと水面から冷気が立ち上るのだ。10秒入っているだけでビリビリと手足が痺れだし、たまらなく退散してしまう。しかし、これが気持ちいい。サウナ自体はあまりよくないし、外気浴もできないのだけど、この水風呂の強烈な冷たさで強引にととのえられ、恍惚の表情へと導かれてしまいます。ちなみに、1番驚いたのはトイレが更衣室ではなく、浴場スペースに鎮座していることです。


<スタンドドリンク>

台湾にはほとんど自動販売機というものがない。そのかわりにスタンドドリンクという文化が定着していて、これがどこで何を飲んでもめちゃウマなのだ。タピオカミルクティーフルーツティー、ヤクルト緑茶、凍頂烏龍茶、ライチウーロン茶・・・・とにかく飲みまくったがどれもが最高。たいていの店で、甘さや氷の量を自由にカスタマイズできます。ビックサイズのタピオカミルクティーを200円で飲めてしまうのはちょっとした衝撃です。ちなみに現地のセブンイレブンではコーヒーの要領で、タピオカミルクティーが注文できますが、やはり専門店に比べると味は落ちます。



<かわいいもの>

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「オークラプレステージ台北 The Nine」(最寄り駅:MRT中山國小駅)のパイナップルケーキ。やや高価なのだが、パッケージが抜群にかわいくて、味も美味。配るにはちと高いので、自分へのお土産としていくつか購入するのを推奨します。ちなみにお土産にオススメなのは「佳德」(最寄り駅:MRT南京三民駅)というお店のパイナップルケーキ。お土産というより地元民に人気のパイナップルケーキで比較的、安価で美味いです。ラズベリーやメロンのケーキもあります。



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おそらく駐車場会社であろう「車麻吉」の看板。車のアイコン化が見事としか言いようがない。徹夜明けにこのデザインを思いついた時、ガッツポーズしたんじゃないかな。




youtu.be
台北のCD屋でジャケ買いしてみたアルバム。最高のジャケットである。帯によると、雀斑(FRECKLES)というバンドのメンバーによる別バンドで、シティポップ、90年代台湾歌謡曲、日本的ネオアコ、という言葉が並んでいる。日本的ネオアコなんて言葉あるんだ、と思ったが、聞いてみるとこれが「まさに!」という感じだった。文句なしに好き。めちゃスウィートなメロディ、台湾語とトロピカルな音像も耳に心地よく、インディーポップファンであれば聞いてみて損はない1枚です。最高の1枚を発掘したぞ、と思っていたら、ココナッツディスク吉祥寺店ですでに取り扱いされていました。さすがです。



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台湾のセブンイレブンにいます、乃木坂46。このキャンペーンは、日本のようなクジではありません。レジ画面に現れるスロットを押して、割引金額が決定するというギャンブル魂をくすぐる企画。あと、台湾のセブンイレブンでは「プレミアムモルツ」のサーバーがあります。
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ちなみに、私が台北を離れたその日に、斉藤飛鳥さんが台北入りし、台湾プロ野球の始球式に登板したらしい。
youtu.be
Lamigoモンキーズには元ヤクルトスワローズのロマン投手が在籍していたので、少し贔屓にしているチームだ。



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店先に置いてあったお猿。口がいい、としかいいようがない。



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このエントリーのトップ画にも選べれているロボットは子ども用のパチンコ機。駅の地下街に5体だけ放置されていた。台湾のSMAPじゃん。いや、そのルックは手塚治虫火の鳥』に登場するロビタ、もしくは『機動戦士ガンダム』のジムに似ている。SMAPだろうとロビタであろうとジムであろうと、もの悲しい気持ちになるではないか。解放してやられねば、とお金を入れてプレイしてみた。これが非常に難易度が低く設定されていて、打つ度にフィーバー。やり終えないくらいビー玉が溢れ出てきてしまったので、放置していまいました。あのビー玉たちが、どこかの見知らぬ子どもに繋がれば幸いです。




日本に帰ってきたら、夏が終わったみたいな顔していた。
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*1:たとえば、リドリー・スコットの設計した『ブレード・ランナー』的な未来都市

『LOOPY!鹿皮』雪おばけにまつわる物語

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雪おばけは冒険に出たいと思っていました。だけども、外は陽射しがとても強かった。それはもう、雪おばけの全てが溶けてしまいそうなほどに。あまりの暑さに一度はお家に逃げ帰ってきた雪おばけ。それでも諦めきれない彼は、自らの身体にサンスクリーンを塗りたぐり、眩しい方角へと再び冒険に繰り出すのでした・・・

そんな物語がこの"snow strange"には込められているのだそうだ。それを聞いた私は、何やら奇妙なまでに感動してしまった。日焼け止めを塗って、南へと歩み出す雪おばけ。憂鬱なブルーにふりかけるひとさじのユーモア、跳ね返るポジティブなフィーリング。ポップカルチャーはこうでなくちゃ!と思ったのだ。そして、「もっと世界を面白がらなくては」という気持ちがムクムクと蘇ってきた。疲弊しているのは、もうおしまい。"雪おばけ"をポケットに忍ばせて、私もアドヴェンチャーへと繰り出したいと思います。



そんな風にして、私にエネルギーを沸き起こした"雪おばけ"を生み出したのは林嘎嘎と陳幸運という2人のデザイナー。台北の中山エリア*1で『LOPPY!鹿革』という雑貨ショップを営んでいる。この"雪おばけ"のみならず、お店に置かれたすべてのアイテムに物語が宿っているのだそうだ。
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中でもお気に入りは、「歩く時はしっかりと前を見つめよう、後ろはコウモリ夫人が守ってくれるよ」という物語が添えられた丸型バックだ。私が「スキル併せ持つかわいこちゃん©プチャヘンザ!」であったらな、これを背負っていそいそと街へ繰り出していたことでしょう。あと、気になっているのはこの「満腹クマさん」だ。
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一体、彼にはどんなストーリーが用意されているのだろう。




ちなみに『LOPPY!鹿革』の入口ではイカした構図のビートルズのポスターと野球をする猫が出迎えてくれる。
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さらに、店内には手塚治虫藤子・F・不二雄さくらももこといった作家のアイテムが各所に潜んでいる。3年前に訪れた時も書いているが、異国の地に兄弟を見つけたような気分になってしまうのである。そういえば、お店を代表する人気アイテムであるキョンシーも一種の"ゾンビ"である。
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青春ゾンビ、腐乱しながらもまだまだ這いつくばっていきたい所存でございます。まずは、月3本くらいのペースで更新を目指して頑張ります。

*1:台北においても非常に文化的感度の高いエリア

芝山努『ドラえもん のび太と夢幻三剣士』

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ドラえもん のび太と夢幻三剣士』(1994)という映画がある。決して出来のいい作品ではない。1980~90年代におけるドラえもん映画の黄金期と照らし合わせてみると、そのストーリーテリングには雲泥の差があると言っていい。おそらく今後もリメイクの対象になることはないだろう。原作者である藤子・F・不二雄も「失敗作」とはっきりと語っているほどで、作品は構成力に欠け、物語の細部の繋がりは曖昧だ。しかし、その不明瞭さが故、今でもカルト的人気を呼び続けてもいる作品でもある。個人的にも妙に心惹かれるものがあって、折に触れて観返している。

現実の世界は、どうしてこんなにつらくきびしいのだろう・・・。

こんな、あまりにもブルージーのび太の嘆きから物語は始まる。寝坊や遅刻でママや先生に怒鳴られ、ジャイアンスネ夫にバカにされる。大好きなしずかちゃんにすら冷たくあしらわれてしまう。夢の中では完璧な自分、しかし現実の世界ではあまりにも情けない。ならば、夢の中だけでもかっこいい自分でありたい!とドラえもんに泣きつく。なんとも後ろ向きな導入。血沸き肉躍る冒険を求めて、宇宙や魔法の世界に飛び出すのではなく、辛い現実に絶望したのび太が、「せめても・・・」と夢の世界へと没入していくのである。当然、ドラえもんのび太を諭す。

夢の世界に逃げたって
さめたらみじめになるだけだよ!
あぁ情けない・・・
もっと現実の世界でがんばらなくちゃダメだよ

実に辛辣だ。しかし、のび太の家出騒動*1ドラえもんは考えを改め、「夢の世界で自信を取り戻せば、現実の世界でやる気になるかも」とのび太を自由気ままな夢の世界へと誘うのである。



ときに、タケコプター、どこでもドア、スモールライト、もしもボックス・・・ドラえもんがそのポケットから出すそれらは、いくらなんでも便利すぎやしないだろうか。あらゆる法則を無視したかのようなその利便性は、世界に大きな無理を強いているはず。であるから、均衡をとるようにして、ひみつ道具はバグを起こし、ときに”邪悪なもの”を世界に生み出していく。その関係性はディズニー映画における夢のようなイマジネーションの代償としてのヴィランズたちのあり方を想わせる。たとえば、『のび太の魔界大冒険』(1984)での「もしもボックス」によって出現した大魔王デマオン、『のび太のパラレル西遊記』(1988)において「ヒーローマシン」から抜け出した牛魔王・・・その系譜の最終形態が今作での妖霊大帝オドロームドラえもん映画シリーズの中において、その様相を含めて極めて凶悪なヴィラン。そんな困難な敵に対してのび太たちは、ある種の責任を負いながら挑んでいく。その在り様が、上記に上げた3本の映画をとても魅力的なものにしている。

映画ドラえもん のび太の魔界大冒険 [DVD]

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のび太と夢幻三剣士』の最大の特徴はやはりそのダークな色調と不明瞭さだろう。オドロームの攻撃により燃え尽きて塵になるという、のび太としずかの死の描写は今なお語りぐさだ。オドロームを生み出したのは、「気ままに夢見る機」に使用する特製カセット「夢幻三剣士」だ。このカセットの特徴は以下のように説明されている。

この夢は強いパワーをもっているので、あまり長時間みつづけると現実世界に影響することがあります。

このカセットはこれまでの夢とちがって”第二の現実”を創造する、画期的新製品であります。

つまり、このカセットにおける"夢"とはパラレルワールドもしくは別宇宙であり、それらは相互関係を持ってしまう。そして、おそろしいのが「気ままに夢見る機」に設置された"かくしボタン"だ。

ドラえもん:かくしボタンをおす!!
のび太:かくしボタン?
ドラえもん:つかわないつもりだったんだけどね。
      このボタンをおすと・・・・夢と現実とが入れかわるんだ。
      つまり、夢が現実の世界になって、
      今ここにこうしていることが夢になるんだ。

夢と現実がシームレスに入れかわることで、2つの境界は曖昧になり、その世界は入り混じっていく。のび太たちは夢宇宙でのオドロームとの闘いを決し、夢から覚めて、現実世界へと戻ってくる。しかし、翌朝のび太としずかが向かう学校の様相が、以前とはすっかり異なっていることを示すショットで映画は終わる。
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実に不気味な印象を残すラストなのだが、この夢と現実がイコールになるかのように入り混じった状態こそ、のび太が望んだものなのだ。のび太は映画の序盤にして、すでに夢と現実の区別が不明瞭である。

のび太:きみはしらないけど・・・、ゆうべはあぶないとこだったんだよ。
     それをぼくがたすけたんだよ。
しずか:なあに?人の顔みてニタニタして!
     変なのび太さん!
のび太:いいよ!そのうち本当のぼくの姿がわかるさ。

スネ夫:ハハハハ。のび太はおくびょうだなあ。
のび太:そっちこそ!
    ゆうべは青くなってふるえてたくせに。
ジャイアン:なにねぼけてんだよ
のび太:ほんとだぞ!!

のび太は誰もが自分と同じ夢を見ている、と思い込んでいる。いや、それどころか夢と現実があきらかにごっちゃになっている。この世界の常識に当てはめれば、はっきり言ってほとんど狂人の様相だ。しかし、一つの冒険を終えた時、世界はのび太の望む方向に書き換えられている。前述の学校の描写はもちろんであるし、最後のしずかとの会話を抜粋したい。

のび太:惜しかったなぁ。もう少しでいいとこだったのに・・・・・。
しずか:おはよう、のび太さん。
のび太:あ、おはよう。
    ゆうべさ、しずかちゃんの夢みちゃった。
しずか:あたしも、のび太さんの夢みたわ。
のび太:え、どんな夢!?
しずか:それはないしょ!
    でも、のび太さんかっこよかったわよ。

のび太の世界からの"狂い"が改善されるでもなく、狂ったままに肯定されてしまうエンディングがあまりに感動的だ。そもそも『ドラえもん』というのは、のび太のダメさが改善されるような作品ではない。のび太という”わたしたち”を重ねずにはいられぬ少年が、あらゆる冒険を経ながらも、成長することなくダメなままに未完に終わったからこそ永遠に愛され続けているかもしれない。


*好きなところ追記
・月に針を刺すシルク(しずかちゃん謎の二役)
・月に空気を積めてぷかぷか浮かぶノビタニヤン)
・スネミスの美味しそうな食事
・トリホーのルックと超越者ぶり(映画版だと未来デパートの職員もトリホー)
・スピルバーガー監督の『ジュラシック・プラネット』



関連エントリー

*1:実際は裏山で気絶していただけ

E・L・カニグズバーグという児童文学作家

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E・L・カニグズバーグという児童文学作家*1に夢中だ。『クローディアの秘密』『魔女ジェニファとわたし』『ベーグル・チームの作戦』『ティーパーティーの謎』・・・・どの作品を読んでも夢のように素晴らしい。

クローディアの秘密 (岩波少年文庫 (050))

クローディアの秘密 (岩波少年文庫 (050))

魔女ジェニファとわたし (岩波少年文庫)

魔女ジェニファとわたし (岩波少年文庫)

ベーグル・チームの作戦 (岩波少年文庫)

ベーグル・チームの作戦 (岩波少年文庫)

ティーパーティーの謎 (岩波少年文庫 (051))

ティーパーティーの謎 (岩波少年文庫 (051))

これから折に触れて読み返すであろうという確信でいっぱいだ。カニグズバーグの筆致の秀逸さを端的に伝えるため、ちょっとばかりの引用を許して欲しい。

むかし式の家出なんか、あたしにはぜったいできっこないわ、とクローディアは思っていました。かっとなったあまりに、リュック一つしょってとびだすことです。クローディアは不愉快なことがすきではありません。遠足さえも、虫がいっぱいいたり、カップケーキのお砂糖が太陽でとけたりして、だらしない、不便な感じです。そこでクローディアは、あたしの家出は、ただあるところから逃げ出すのではなく、あるところへ逃げこむのにするわ、と決めました。どこか大きな場所、気もちのよい場所、屋内、その上できれば美しい場所。クローディアがニューヨーク市メトロポリタン美術館に決めたのは、こういうわけでした。


『クローディアの秘密』より

図書館は、ひそひそ話をするところです。ジェニファは、まるでやかんからでる湯気みたいなシュシュという音で、すばらしく上手にひそひそ話ができました。


『魔女ジェニファとわたし』より

パーティーの土曜日は、目をさました瞬間から、ついてないことばかりでした。すべてのことが。第一に、その日はバタースコッチの日でした。バタースコッチの日は、わたしはいつも気分がよくないのです。町にはキャンディ工場がありました。そこでは、毎日、香りのちがうものをつくっていました。町じゅうが、においのついた空気をすっていたわけです。オレンジは気もちがいいし、チェリーやライムはほとんど気になりません。ハッカはおいしいくらいです。けれどバタースコッチのにおいは息苦しいのです。


『魔女ジェニファとわたし』より

クーキーはふり返ってにこっとした。クーキーが笑うと、顔に夜明けが来たみたいだ。はじめは細い光のすじだが、すぐに顔じゅうにその光が広がる。夜明けを告げるみたいだ。たしかに口は大きすぎるけど。
ぼくは袋に手をつっこんで持って来たものを出した。クーキーが手をのばし、その手の出し方を見て、ぼくは何気なく持ってきたものをするりとかの女の人さし指にはめた。
「ベーグルだよ。」ぼくはいった。「食べるものだよ。」
クーキーはぼくを見上げて、じっとぼくを見ながら人さし指に通したままのパンをかじりはじめた。


『ベーグル・チームの作戦』

美術館への家出、図書館でのひそひそ話、バタースコッチの日の息苦しさ、指に通されたままかじられるベーグル・・・あぁ!こんな描写が一ヵ所でもあれば、それはもう忘れ難い本になってしまうわけだが、おそるべきことにカニグズバーグの文学はこういった素晴らしさで満ちている。脳みそが痺れるようにウットリとしてしまうではないか。



カニグズバーグが書く物語の舞台はえてして都市の郊外に設定されている。そして、中流家庭で何不自由なく育つも、自意識を複雑にこんがらがらせてしまった子ども達が主人公だ。彼女たちについて、訳者の松永ふみ子はこう記している。

生まれた時から快適な環境に慣れ、それをあたりまえのこととして受けとっている、洗練された、都会的なちょっと気むずかしい子どもたちです。情報たっぷり、知識いっぱい、めったなことにはだまされません。<中略>人生についてまだ何も知らないのに、何でも知っていると思いこんでいる。

カニグズバーグの初期の3作の舞台は1960年代。しかし、そこに登場する子ども達は、現代の”わたしたち”にどうにもそっくりではないか。大人が子ども向けの作品に夢中になっていると、「それは子どもの為のものですよ」なんてしたり顔で指摘してくる人がいる。そういう人というのは”子ども”であった自分というのを、現在の自分とはまったく別人か何かのように考えているのかしら。児童文学に描かれている”切実さ”が、大人にとっては「取るに足らないこと」だなんて思うのは大間違いなのだ。

どうしておとなは自分の子どものころをすっかり忘れてしまい、子どもたちにはときには悲しいことやみじめなことだってあるということを、ある日とつぜん、まったく理解出来なくなってしまうのだろう。(この際、みんなに心からお願いする。どうか、子どものころのことを、けっして忘れないでほしい。)

こんな言葉を作品に記したエーリヒ・ケストナーは、自らの作品の対象を「8歳から80歳までの子どもたち」としている。また『トムと真夜中の庭で』でおなじみのフィリパ・ピアス

私たちはみんな、じぶんのなかに子どもをもっているのだ

と書いている。児童文学を手に取るのに遅すぎるなんてことは決してないのである。「わたしたちの物語」として、ケストナーを、カニグズバーグを読もう。



『クローディアの秘密』という大傑作の影に隠れがちだが、『魔女ジェニファとわたし』もまたとりわけお気に入りの1冊だ。主人公はエリザベスとジェニファという2人の女の子。共に友達はおらず、学校から孤立した2人だ。「エリザベスは転校してきたばかりで、ジェニファは学校で唯一の黒人である」という外的な要因もあるのだけれど、物語はそこにフューチャーしない。彼女たちを”ふつう”から遠ざけるのは、半端に高いIQとプライド、そして魂の潔癖さだ。他の子たちのように、親や先生の前だけいい子のふりをするなんていうのは簡単なことだが、彼女たちにとっては、そんなインチキこそが1番許せない。うまくやれないが故に社会に対して常に悪態をついていく。出会うべくして出会った彼女たちは、学校や家とは別の空間に、自分たちだけの法則を作りだしていく。そこでは、ジェニファは魔女で、エリザベスは魔女見習いなのだ。ジェニファの指導のもと、エリザベスは立派な魔女になる為に修行に励んでいく。はじめの1週目は毎日なま卵を食べ、2週目は毎朝お砂糖ぬきのコーヒーを飲む。その後も、焼かないホットドック、なまのタマネギ、茹でないスパゲッティ・・・何やら不完全なものばかりを食べさせられる。見習いを経て、免許皆伝を受けるまでの修行は更に過酷だ。破ってはならない13ものタブーがある。

タブー(1)  ねむるとき、けっして枕を使わないこと
タブー(2)  けっして髪の毛をきらないこと
タブー(3)  夕方の午前七時三十分いごは、けっしてものをたべないこと
タブー(4)  けっして電話をかけないこと
タブー(5)  日曜日に家の中でくつをはかないこと
タブー(6)  けっして赤インクを使わないこと
タブー(7)  けっしてマッチをすらないこと
タブー(8)  けっしてまっすぐのピンや針に手をふれないこと
タブー(9)  けっして結婚式で踊らないこと
タブー(10) ベッドのまわりを三度まわるまでは、けっしてベッドにはいらないこと
タブー(11) けっして病院とおなじがわの道をあるかないこと
タブー(12) けっして朝食まえに歌をうたわないこと
タブー(13) けっして夕食まえに泣かないこと

果たしてこれらを守ることに何か意味があるのだろうか。それが”ない”のである。しかし、この意味のなさがあまりに素晴らしい。その無意味さは、息苦しい社会の価値観を無化させる。これらの修行には意味がないのでは?ということをエリザベスが指摘すると、ジェニファはこう答える。

もしあんたが意味のあるのことばかり求めているようなら、昇格はまだ早いわね

2人の世界においては、無意味さにこそ価値がある。エリザベスは、渋々とこの意味のないルールを忠実に守り、やがて「みんなとちがうこと」を楽しむようになる。寂しさの原因だった孤立が、彼女の大きな力になっていくのだ。はみ出し者たちが、社会一般のルールとはかけ離れた法則の中で、ゆるやかに肯定される。カニグズバーグは”ふつう”とは違うことを許す。いや、そもそも”ふつう”なんてものは存在しないのだ、と言い切るのである。

おかあさんは、わたしのいわゆる「社会性」につてい心配していました。ということは、わたしがお友だちをつくるべきだというのです。おとうさんは、ふつう体温は三十六度五分だけど、三十六度でも健康な人もいる、なんていっていました。その人たちにとってはそれがふつうなのです。「だから、なにがふつうだなんて、だれにもいえるもんか。」と、おとうさんはいいました。

こういった物語に勇気づけられる人がどれほどいることだろう。株、出世、レクサス、ゴルフ、ガールズバーに興味がないおじさんがいていい。そんな社会に疲れたおじさんにも、児童文学は有効なのだ。

*1:化学者、教師、主婦を経ての児童文学作家という異例のキャリアを持つアメリカの作家。2013年に83歳で亡くなっている。