深田晃司『歓待』
外国人移民のようなアクチュアルな問題を気づいていたら描いていた、という佇まいがよい。はじめからそこに寄りかかって作ると映画は死んでしまう。家族という共同体について描くはずが、そこをひたすらズラしていったら、移民問題、いや他者との関わり方についての映画になっていた。
劇中の印刷工場で働く夏希は社長の後妻。前妻との子どもの面倒を見たり、英語を教えたりしている。しかし、出戻りの社長の妹に部屋を、母親としての役割は前妻に、英語の教師との役割を外国人の下宿人に、更には夫のセックスパートナーとしての役割もこの下宿人に奪われてしまう。人は絶対的な存在でなく、他者と代替可能である、という恐怖をこの夏希が体現している。物語中、子どもが大切にしていたインコを探し続けているのだが、夏希は最終的に色の同じ別のインコを買ってくる。「代わりでいいのだ」という諦念と肯定で物語は締めくくられる。この後味は嫌いでない。
異物をそうと捉えずに受け入れる、というのが主流の中、異物を異物として受け入れた際に生じたひずみが奏でるメロディーの美しさがこの映画にある。それに呼応するかのように、演劇的な(監督は平田オリザの青年団所属)閉じた舞台から、外へ外へ広がっていこうとする運動感が加速していく様子にすっかり興奮してしまった。それまで本作では映画的な描写に禁欲的であった深田監督のシネフィルっぷりが一気に開放される、祝祭のシークエンスを見逃すな!