青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

土井玄臣『んんん』


光のその眩しさを感じるには、まず闇を知らねばならない。2005年発売くるり主催のレーベル、ノイズマッカートニーのコンピレーションアルバムに「終点はあの娘の家」が収録され話題となった関西在住のシンガーソングライター土井玄臣が昨年『んんん』というアルバムを発表した。”セカイ”から疎外されこぼれ落ちてしまった女が男と出会い、歌い、恋をして、繋がって離れて、自ら命を絶つまでの物語が描かれたコンセプトアルバムだ。しかし、その時間軸は逆に流れる。自ら命を絶つ1曲目から始まり、2人の出会いを描いた「朝謡」という曲で終わるのである。時間軸通りに物語れば、それはルー・リードの『ベルリン』のような悲痛な愛のアルバムとなっただろう。しかし、そこに魔法をかけるように時間軸を曲げたことにより、曲が進むにつれ悲痛さが和らぎ、祝福のムードを増していく構成となった。暗闇から光へ。だが、2人は全てが終わってしまっている。そんな虚無の中でもなお、しがみつかねばならない”光”を、このアルバムは奏でているのだ。土井玄臣は今後もこの祝福とその「逃れられなさ」を紡いでいくだろう。


また、このアルバムは時間軸が狂っているだけでない。性差、感情、生死など全てが融解している。1曲の中で語り手がコロコロ変わるので、きっと初めは混乱してしまうかもしれない。しかし、あなたが少しでも今いる場所に居心地の悪さを感じているならば、この天地すら無化された場所で鳴り響く、その唄がどうにも心地よくなってくるはずだ。




1「んんん」

終わりにして始まり。本人曰く、Radioheadの「motion picture soundtrack」を意識したとか。いつも聞こえていた声が聞こえなくなってしまう歌。



2「Phantom Light」

疾走間あふれるギターと言葉が跳ねていくポップチューンだが、歌詞はどこまでも悲痛。次の「尼崎の女」と共に、土地に染み付いた哀しい”業”のようなものが刻まれている。

あたしの日々は続くの アンタとは違うの

3「尼崎の女」

なんたる美しい関西弁の響き。後半のインストも強烈だ。土井玄臣の強烈な体験と深く結びついている曲だそうで、彼の曲から感じられる「逃れられなさ」の核となる何がここに隠されているのではないか。



4「Blue Blue Blue Blue」

2人の物語の”綻び”の予兆。祝福だった唄は気づけば悲しいメロディーに。曲自体はどこかファニーさに満ちたポップチューンで、その陽気さには道化のような哀しさがある。

損なってちょっと経つ 君がいつもくれる
ソレは全部こんな言葉になる Oh Blue

5「Aurora」

破滅的な美しさを持つ1曲。

驚くほど わかりやすく 空には大きなオーロラ
君がアレに触れてみたいと そう言って走りだすから

6「天地が反転する夜」

バンド編成での演奏(土井さんが1人で演奏しているはず)で、最も普遍的なPOPSの体をなした美しいミドルチューン。歌い出しでぐっとつかまれる。

晴れると走る君は 手を振りながら 僕の知らない目をした

7「ファティマ」

不思議な音色に包まれたポップチューン。「天地が反転する夜」からの2曲で土井玄臣のメロディーメイカーとしての才能は証明されることだろう。

悲しくはない 悲しくはない だから上を目指してみた

8「ハルカ」

間違いなくアルバムのハイライト。ピアノに乗せた土井玄臣の独特の訛りと色気のある語り。

ハルカはうまく笑うことが出来ない
笑顔を作るのがとてもへたくそ

ピンクが嫌い 髪を切ったばかりの馴染むまでの数日間が嫌い
声の大きな人が嫌い あんたに媚びるアイツが嫌い
音楽が好き ぽってり太った曇り空が好き 晴れも好き 雨は普通
雨の日の音が好き アンタが好き

鏡の前で笑顔の練習をしてみる あまりの出来の悪さに 
思わず 本当に 笑ってしまう

どうだろうか。もうこのラインを聞くだけでこの信用できててしまう、という人が確かに存在するのではないか。そして、語りから歌に変わる瞬間、そしてギアが更に一段階上がる瞬間の空気の振動にゾクリとする。

光を受ける そうすると 
身体の不自由さを少しの間だけ 忘れていられる

というキラーフレーズに涙しないなんて嘘だろう。




9「海へ」

何かに気づかない振りをしながらの狂騒の日々がシンプルにギターと歌のみで綴られる。シンプルな分、土井玄臣の呼吸、言語感覚を存分に楽しむことができる。



10「ハトフル」

8分を越える大作ながら長さを感じさせないアレンジ力が素晴らしい。恋に落ちた万能感に満ちたサウンド。時間の流れなんて感じやしないのだ。冒頭の美しい水の音だけでもうノックアウトである。

歓喜ほらっ

11「朝謡」

アルバム中最も優しいメロディーで歌われる祝福の唄。

触れられない朝謡は いつも唄を唄う
何を語れば響くのか? とても迷いながら
あの娘通る度 祝福しよう 唄えば声は光になる様に

夜から転げ落ちてしまった2人に降り注いだ光の中、アルバムは幕を閉じる。



この『んんん』というアルバム、初めて聞いた時は「まるで七尾旅人『雨に撃たえば...! disc 2』の兄弟のようなアルバムだ!」と興奮した。土井玄臣七尾旅人の影響を受けている事は間違いないであろうが、その表現者としてのコアの部分はやはり関西という土地にあるのだろう。関西弁が曲のリズムやメロディーに染み込んでいる。関西弁で歌うソウルシンガーは以前にもやしきたかじん上田正樹などがいたわけですが、土井玄臣はその呼吸にすら関西の土地が匂ってくる。「大阪は街全体が悲しい、そういった個人の問題でないレベルで出口のない人の歌を歌いたい」と語る土井玄臣。彼にとっての「尼崎」は、中上健二の「紀州」、阿部和重の「神町」のような存在になっていくのだろうか。今後の土井玄臣の音源が楽しみで仕方がありません。