青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

『キングオブコント2018』ハナコのコントの魅力について

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今年も出前のお寿司をつまみがら、楽しく『キングオブコント』を観ることができました。さらば青春の光とザ・ギースの2本目が観たかった・・・などなど色々想うところはありつつ、何はなくともハナコである。全ての組が魅力を発揮し、秀作揃いの『キングオブコント2018』においても、ちょっと群を抜いているように感じた。彼らのコントはどこまでも洗練されていながらも、かわい気がある。完全に虜なのです。


<犬の気持ち>

このコントのおもしろさは、演じる岡部の”犬性”が担っている。動きも表情も最高にキュート。そして、「なんでこんなうれしいんだろ」「毎回うれしんだよねぇ 毎回なのよ」「あったら食うって感じ」「ジャーキーは食う!」「なんだこれ!?おもしれー」「ちょっと待って!誰!?」「やられたぁ」・・・その"犬の心"の言語化の絶妙さ。しかし、コント中における飼い主と犬の間では、言葉は通じていないというのがおもしろい。にも関わらず、飼い主と犬の間で意志の疎通は問題なく交わされているというのがリアルだし、スマートだ。このコントは、ディスコミュニケーションというズレの笑いではない。ゆえに登場人物がデフォルメされていない。登場人物らの"生きている人"という感じがたまらくないいのだ。友達の家の犬に吠えられる菊田のリアクションの"何もできなさ”もとい"何でもなさ"が愛おしい。


前述したように、「このコントのおもしろさは岡部の犬性である」としながらも、あえて細部に目を向けてみたい。彼らのコントが驚くほど繊細な演技に支えられいることに気づくだろう。外から帰ってきた秋山が玄関で靴を脱ぎ、背負っていたリュックをリビングに置き、洗面所で手洗いをして、タオルで手を拭いている。更に、手洗いを終え、リビングのダイニングチェアに腰掛けた秋山はリモコンでテレビをつけ、何となしに目線を画面を向けているではないか。ちょっと異常なまでの演技の細かさである。賞レースにおいて、ここまで笑いと無関係の所作に時間を割けたコント師がこれまでいただろうか。ハナコのコントには、本来であれば、"こぼれ落ちてしまう時間"がしっかりと描かれている。このコントが、「犬が主人の帰りを待ち、ソワソワしている」という、本来知り得ることのない、でも確かに存在している時間を切り取ったシーンからスタートするのも象徴的だ。



<私をつかまえて>

このコントもまた演技が非常に細かい。海辺で戯れるカップル。これまで何遍も目にしてきたようなシチュエーションなのだが、セーラー服を着た岡部がスカートが濡れないようにと裾を捲り上げ*1、同じく秋山の学生ズボンの裾がロールアップされている。このリアリティでもって、スッとコントの世界に没入できてしまうではないか。表情も抜群である。特にお気に入りなのは、隠れ身の術で彼の目を欺きつつも「でも、本当は見つけて欲しい」という心情を表現した岡部の顔と、彼女の様子が何やらおかしいことを走りながら悟った秋山の顔。岡部と秋山の2人はこんなにも見事なネタが書け、素晴らしい演技力も持ち合わせている。この2人さえいればいいではないか!と思いつつも、1番笑ってしまうのは、「チッチッチ」とやる時の菊田の顔なのだから、バランスの良いトリオである。菊田がいつどんな形で登場するのか、というワクワクもハナコのコントを大いに魅力的なものにしている。



そして、コント至上、あんなにも発生の喜びに満ちたキスがあっただろうか。こぼれ落ちていく一回性の時間の集積としてのハナコのコントが、あのキスに集約されていく。「女子むずぅ」というオチも素晴らしい。伏線なんて回収する必要ないのである。彼女がなぜ「私を捕まえて」と言いながらも、本気で走り、逃げ回ったのか。あのメガネの女は誰なのか。それらに明確な理由を用意せず、「女子むずぅ」の一言で処理してしまう。そうすることで、コント中での若者たちの"走り"は無色透明なままに保存され、青春の匂いを纏うのである。

*1:多分だけど女子を演じる岡部のすね毛がしっかり処理されている

TBSラジオ『神田松之丞 問わず語りの松之丞』2018年9月16日放送回

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最近の何よりの楽しみと言えば、ラジオ『神田松之丞 問わず語りの松之丞』(TBSラジオ 日曜23:00〜23:30)を聞くことなのですが、9月16日放送回、これがもう衝撃的に素晴らしい。とにかく誰彼かまわず聞かせて回りたい衝動に駆られているのです。まずはTBSラジオクラウドにてぜひともお聞きください。

そうそう、先週ですね、グレーなマッサージのことを年中ブログに書いている「エステ猿」と間違えられたって話を延々とですね、30分使って言ってたと思うんですけど、ついつい先週言い忘れたのが、実は先週、「エステ猿」の話をした9時間前に・・・子ども生まれました。

という導入がもう最高かつ象徴的なのだけども、講談師・神田松之丞が"命"を語る。*1第一子誕生、産後の肥立ちで倒れる妻、胃が悪い母ちゃん、口が悪くて嫌われ者だった祖母、グレーなマッサージ、ストリップショーの女性器、吉岡里帆のおっぱい・・・生と性が入れ乱れながら、凄まじい迫力で駆け抜ける珠玉の話芸の30分。話は意図的に脱線を繰り返していく。爆笑問題高田文夫野末陳平吉田照美井上芳雄、蓮見アナと手当たり次第に悪意を振り撒いてみせたかと思えば、

うちのカミさんがねぇ、いいこと言ってたのが
「この子自身が自分の性別を決めるから、男の子か女の子かとかっていうのを人に聞かれた時にいちいち言わないで欲しい」
っていう風にカミさんに言われたの。で、俺一瞬、言ってる意味が分かんなくて。「え?」と思ったら、
「たとえば性同一性障害とか、男の子の体で生まれてきても、女の子の心があるとかいう時に、その子の性別はその子が決めるから、今、男とか女とかそういうのは言わないで欲しい」
って言われた時に、「お前ジェーン・スーより進んでるな」と思って。「22世紀の発想だ」と思って。

なんて風に誠実に照れながら、センシティブなトピックをスマートに忍び込ませていく。病院で出会った小市民の善良さを人情味たっぷりに描写してみせたかと思えば、身内を手厳しくこき下ろしていく。慎重に選ばれた言葉とスマートな語り口ゆえに、聞き辛さはまったくないのだが、どう考えても混濁している。それが、人間という生き物の"複雑さ"を掬いとることに繋がっている。「妻が倒れて混乱しているにも関わらず、たまの贅沢にと注文した出前の寿司を野菜室に入れてから救急車に乗った」という描写の秀逸さには思わず溜息が漏れた。この神田松之丞の語りには、ささやかな日常を営む人間の滑稽さ、愛おしさが詰まっている。

*1:ちなみに9月9月放送の"恋”を語る回も必聴。パトリス・ルコント的世界

日曜ビッグバラエティ『空から村人発見!パシれ!秘境ヘリコプター』

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ヘリコプターに乗ったオードリー春日が山奥に住む人々の夢を叶えていく。テレビ東京が9月9日に放送した日曜ビッグバラエティ『空から村人発見!パシれ!秘境ヘリコプター』が実に素晴らしい番組だった。「全てのロケ、そして総合司会まで、2時間すべてをオードリー春日に託す」という英断を下したのは『空から日本をみてみよう』『家、ついて行ってイイですか?』を手掛ける高瀬義和プロデューサーだ。この『空から村人発見!パシれ!秘境ヘリコプター』はまさにその2番組の発想を掛け合わせたものである。ヘリコ(プター)に乗った春日が、遥か上空から地上を見つめる。ヘリコ(プター)は凄まじいスピードで都心から秘境集落へ。春日は言う。

庶民の暮らしがはっきり見える

よく見ると 人がいるね

当たり前のことなのだが、どんな場所にも暮らしはある。空から見ると豆粒のような人々。カメラはそこにグーッとフォーカスし、想像しえないような"生"の多様性を映しとっていく。

最初のVTRから人間が映ってたから
人間賛歌があったのよ
だからちょっとジーンときて

このオードリー若林の言葉が、この番組の魅力を的確にプレゼンしている。人間が"いる"ということを、ありったけの善良さで祝福している。自分の住む家を上空から見たいあまり2万円もする航空写真を買い集める夫婦、壁やテレビのない家で生活する弟と宮大工修行の兄、25年間に渡りランドマークタワーの写真を撮り続ける男、『コード・ブール』の映画に恋い焦がれる7歳の少女のひと夏の冒険・・・人間の生き方というのはなんて様々で、なんて豊かなのだろう。
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とりわけ痺れてしまったのは、「憧れ25年!横浜のランドマークに生きたい」のVTRだろうか。山梨の奥地にある家からかすかに見える横浜ランドマークタワー。その魅力に取り憑かれ、年代ごと、季節ごと、時間ごと・・・と25年間で1200枚の写真を記録する男性が登場する。彼が言うのだ。

うちから見えるってことは
むこうからも見えるはずなんですよ

本人は何の気なしに発した言葉なのだろうけども、彼の想い描くその視線の交差は、"人と人が生きていくこと"を的確に切り取っていやしないだろうか。細田守サマーウォーズ』を彷彿とさせる一族総動員の狼煙作戦も楽しい。苛立って舌打ち、と思いやのんびりとソフトクリームを舐める*1・・など、まさに人間が映っている。



とにもかくにも"いい顔"と嘘のない反応に満ちた、珠玉の人間バラエティである。オドーリー春日というキャスティングはまさに適任だ。春日は自意識というものをほとんど人前で見せない。それ故に、村人たちは存分にその"生"を発揮できるのだろう。春日はそれをただ静かに受け止める。オードリー春日というキャラクターは、若林の想う”父性”を託したものだ、ということを過去のエントリーに記したことがある。
しかし、上空から人々の願いを叶えていく春日の姿は、父性を飛び越え、徐々に”天使性”を纏わせているではないか。桃色の天使に再び会いたい。この番組のシリーズ化を、熱望してやみません。

*1:一抹の”水曜日”臭

あだち充『スローステップ』

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あだち充の最高傑作は『スローステップ』である、と言い切ってみたい。実際のところは、いや『H2』だろ、いやいやそこは『ラフ』で、いやいやいや結局は『タッチ』なのです、いやいやいやいやその作家性が爆発しているのは『虹色とうがらし」であるからして、いやいやいやいや・・・と延々に問答が続いていくわけですが(楽しい)、今日はなんとなく『スローステップ』の気分なのだ。あだち充自身も思い入れを口にすることの多いこの作品。「いちばん僕らしいかな」「好き勝手描いた」「リラックして楽しんで描けた」といった言葉の通り、定石にとらわれない"あだち流"のストーリーテリングが縦横無尽に展開されている。ベタからメタまでなんでもござれ。大々的に"本格ソフトボール漫画"と銘打ちながらも、ソフトボールの試合はほとんど描かれず、その実は"恋の四角関係"をめぐるスクリューボール・コメディだ。その恋模様はまったく一筋縄にはいかない。なんたって、主人公である中里美夏は1話の2ページ目にしていきなり告白されてしまう。

好きです
一目会ったその日から
あなたのことで頭がいっぱいなんです

しかし、何やら話が噛み合ない。門松直人は単に”告白の練習”をしていただけなのだ。いつか出会うはずの運命の人のために。彼は「人を好きになる」ということがよくわからない。

あんた異性を本気で好きになったことある?
どうしたらわかるんだろ?
本当に好きになるってどういうことなんだろ?

あだち充という作家はいつだってこんな風にして、コメディの中に"たいせつなこと"を忍ばせる。そんな門松直人がついに恋に落ちる。しかし、相手がややこしい。中里美夏がひょんなことから変装した仮の姿「須藤麻里亜」である。やっと恋に落ちた相手はこの世に存在しない女性、そんなある種の切なさをまとった事象が、コメディを加速させていく。中里美夏に想いを寄せるクラスメイトの秋葉習、ソフトボール部監督の山桜監吾が加わり、ただでさえ複雑な四角関係が複雑に絡まり出していくのだ。たとえば、美夏が1人2役を演じる羽目になるドタバタ劇「ホラー映画はお好き・・・!?」(コミックス3巻)、「男女6人(!?)夏物語」(コミックス5巻)の洗練されたバカバカしさ。ここに、あだち漫画を読む喜びが詰まっている。また、これらの作劇には、タイトルからもわかるように、あだち充が敬愛するビリー・ワイルダーの筆致がトレースされている。その他にも、作品で何度も繰り返される"エレベーター"という装置を使ったドラマメイク、メロウなコマ割り、1周回って現代にジャストなキャラクター達のファッション(連載時は1980年代後半)、尻すぼみに終幕していくミニマリズム、・・・見所はつきない。




ときに、『あだち充本』を手に入れましたでしょうか。かつて『クイックジャパンvol.62』*1にてあだち充大辞典を編んだ森山裕之による熱情跳ねっ返る1冊。全あだちファン必携であります。この本の中の、「編集者・市原武法が選ぶあだち漫画の名場面」というコーナーにこんな一文がある。

あだち充はよく「ラブコメ」の巨匠と言われるが断じて違う。
彼が書いているのは「青春」だ。

なるほど。では、あだち漫画における「青春」とは?それは「選択すること」と置き換えられるだろう。『みゆき』における2人のみゆき、『タッチ』における達也と和也、『H2』における・・・、『クロスゲーム』における・・・と枚挙に暇がないほどにほぼすべての作品で、若者たちがいくつかの選択肢の中からどれか一つを選びとる葛藤が描かれている。そして、あだち充はその決断がどんなに曖昧なものであろうとも、すべからく肯定してみせる。『スローステップ』の終盤、中里美夏と須藤麻里亜が同一人物であることに気づいた門松直人は、その想いを美夏へといともたやすくスライドしてみせる。

秋葉:相手がちがうんじゃないですか?門松さん
門松:ちがっちゃいないよ
   おれは麻里亜さんを本気で好きだった
   その気持ちは今も変わらない
秋葉:そいつは中里美夏だ!
門松:—そして須藤麻里亜だ
   カツラとメガネがないだけのな

さらに、最終話「そして、美夏が選ぶのは・・・!?」における、美夏の選択はどうだろう。門松と秋葉の2人から同日にデートに誘われた美夏。

秋葉:何なんだよ、これは!?
美夏:ね だからいったでしょ
   まだ海は寒いって
秋葉:そういうことじゃなくて!
   なんでここに3人いるのかということだよォ
美夏:2人が同じ日に誘うからでしょ
秋葉:だからァ
   ふつうそういう場合はどっちかを断って1人を選ぶもんだろが!
美夏:どっちもどっちだからなァ
門松:おいおい

宛先を間違えてもいい、曖昧でもいい、決断はしなくてもいい。懸命に"揺れ動くこと"、それこそが青春なのだ。あだち充はなるべく言葉にせずに、できるだけ遠回りをしながら、そのことを描き続けている。



関連エントリー

*1:山下達郎が表紙の2005年刊行号。山下達郎あだち充の二大特集という私にとってバイブルのような1冊なのです。ちなみにあだち充へのインタビューを担当しているのは磯部涼

藤岡拓太郎『コーヒー吹き出さないように気をつけ展』

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夏の終わりの高円寺に『コーヒー吹き出さないように気をつけ展』を観に行ってきた。奇しくもこの日の高円寺では恒例の阿波踊りが開催されていて、街は異様な活気に満ちている。私は踊らぬ阿呆であるし、またどんな顔で阿波踊りを視線を傾ければいいのかもわからない。仕方なしに、陽射しの照り返しによろめきながら、下を向きながら歩いた。翻弄されてばかりの人生だ。展示会場は「クラウズ アート プラス コーヒー」というカフェスペースだった。アイスコーヒーを注文して、一息の涼をとりながら、じっくり展示を眺める。展示されている作品はどれも何度も読んだものだが、溢れる人混みの中で(誰もがコーヒーを吹き出さないように)眺める、その奇妙な連帯感が心地よいのです。「エレベーターの中でボタン押し忘れてるおじさん」という作品の顔ハメパネルがあって、とても賑わっていた。「パネルに顔をハメている人を撮っている人」を撮っている人がたくさんいて、それを見ている私がいて、なんて複雑な視線のサークルなのだろうと思った。



写植も藤岡拓太郎自ら手掛けているという原画を眺める。原画で完成版の間には、細かい修正の跡が見られる。台詞はもちろんのこと、オチのコマの表情に皺を入れるか、入れないか、そんな些細な違いが作品の笑いの質を左右するのである。血の滲むような選択の痕跡の数々に身が引き締まるような想いがした。『夏がとまらない』という大傑作については、以前ブログに想いを綴っているので、そちらを参照して欲しい。
まだお読みでない方はすぐにも本屋さんに走るといいでしょう(うれしい予感をたたえながら)。こんなに素敵な本、そうそうないのですから。『夏がとまらない』刊行後にも藤岡拓太郎は精力的に1ページ漫画を更新していて、そのどれもがまた素晴らしい。何の意味もないことだが、とりわけ好きな作品のタイトルを羅列しておこう。「"おいしい"を"うれしい"と言うおっさん」「もらったプレゼントをすぐゆでる人」「美しい夜」「50018年4月、東京」「ラジオ大好き家族」「夏のこども」・・・また風見2との合作「夕方の作り方」「タクシー」の2本の美しさは言葉にできないものがある。中でも私の1番のお気に入りは「夏祭り」という作品だ。
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藤岡拓太郎 公式ブログ - 1ページ漫画「夏祭り」 - Powered by LINE
カメラワーク、"黒"の表現、人々の表情や仕草、すべてが大好きだ。例年になく人々で賑わう夏祭り。じゃがバター、クレープ、焼きそば・・・出店も多種多様である。その中の一つ、「腹筋」と書かれた屋台では、男がストイックに反復運動にはげんでいる。それを目にした1組のカップルが、ささやかな笑いに包まれながら大きな選択をいとも簡単に決断してみせる。このあらすじ、その脈絡のなさが凄い。藤岡拓太郎はたった1ページで世界そのものを描いてしまっているではないか、という気にさせられるのだ。この世界には、あらゆる人生がてんでばらばらに散らばっていて、それらが人知れずに意味も無く折り重なる。そんな時、わたしたちは何やら確信めいた"生"の実感を得るののではないだろうか。