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売野機子『ルポルタージュ』3巻

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この3巻にして、売野機子の『ルポルタージュ』という作品は特別な領域に突入したように思う。まず、簡単にあらすじを説明しておこう。作品の舞台は2033年、そう遠くない未来の日本。90年代の恋愛ドラマブームの影響で恋愛結婚をした世代は、不仲・DV・セックスレス・・・深刻な離婚率に悩まされていた。そんな時代の流れの中で、「”恋愛”は煩わしく、心を傷つけるもの」として、排除されるようになった。恋愛をしたことのない独身男女は70%を超え、マッチングシステムで収入や関心を条件に、合理的にパートナーを探し出し、堅実な家庭を築く、”飛ばし結婚“というスタイルが主流となっていく。「非・恋愛時代」の突入である。そんな中、シェアハウスで共同生活を送りながら、恋愛を持ち込まずに契約結婚の相手を探し出すというコミューンが誕生する。物語は、そんな「誰も恋愛にこだわらなくなった時代」の象徴であった非・恋愛コミューンがテロの襲撃に合うところから始まる。その事件を追い、テロ被害者の人物ルポルタージュを執筆していく青枝聖・絵野沢理茗という新聞記者の2人組が主人公。コミューンに所属していたテロ被害者の人生の軌跡を通して、多用な愛情の在り方が炙り出されていく。すなわち、今作は愛の報告書”ルポルタージュ”とも言える。


まず青枝聖が恋に落ちる。何の理由もなく、ただ視線(売野機子の描く"瞳"の尋常ならざる情報量がこの漫画の最大の魅力と言っていいだろう)と香りが混じりあうだけで、ごく簡単に。それでいて、決定的に。いくつかの被害者のルポルタージュの中で、非・恋愛時代においてもそれでも宿る愛情についての描写が続き、やはり人間は心の底では”恋”を訴求しているのだという展開が2巻まで続く。恋愛は確かにひどく困難でやっかい、でも、だからこそすべからく尊い。正直なところ、その目を見張る導入からすると、「まぁ、そう書くしかないよな・・・」というような筆致だ。しかし、前述の通り3巻からがグッと凄い。まず、テロ事件の犯人像が浮き彫りになっていく。作劇のセオリーというものに沿うならば、この犯人こそが主人公に据えられてもおかしくはないだろう。例えば、生きていく上でのたいせつな感情を失った「非・恋愛コミューン」を爆破し、恋愛至上主義を謳う革命家。物語のヒーローに実に似つかわしいではないか。しかし、『ルポルタージュ』においては、テロの犯人像はこう描かれる。誰かを愛したい/愛されたいと切望しながらも、どうしても恋愛の輪(=人の輪)にに加わることのできない孤独な若者。そして、被害にあった「非・恋愛コミューン」の参加たちは、お洒落でコミュニケーション能力の高い所謂”リア充”として描かれている。この反転が、放たれた銃弾に生々しいリアリティを生み、読む者の心を切実に掻きむしる。


更に強烈なのは絵野沢理茗というキャラクターの描き方であろう。飛ばし結婚の両親を持つ最初の世代の人間であり、”愛”という感情への理解に苦しんでいる。慕っている先輩が目の前で男性に恋に落ち、その実存を変容させていくことで、焦燥感が募っていく。自分自身の中に無理矢理に愛を発生させようと、青枝聖への恋愛感情を偽装していく。車内で青野の唇を奪うなど、その行動はどんどんエスカレートし、理性を失っていく様は何やら悲劇めいたものを予感させる。しかし、物語は彼女を”天使”として救済してしまう。いや、この物語に登場する全ての人物が天使である。恋愛感情を持たない代わりに、花の種、石ころ、鳥の羽根・・・あらゆる対象に愛を注ぐ藤啓斗、一面の雪景色に仰向けになり羽根を生やす青野聖、貧困層の若者の生活を支援するNPO法人の活動を行う國村葉・・・それは劇中のキャラクターが演説するように、「ジャン・コクトーの定義するところの天使」である。あらゆる境界線を行き来し、性差すら曖昧で分裂症君な、無邪気な精神を持つ自由人としての天使*1。つまり、未分化状態の感情を天使としての自由さと捉え、肯定してみせる。

決めなくていいのでは?と
誰に恋しているとか してないとか
その相手は聖先輩かもしれないし そうじゃないかもしれない
いつか誰かを好きになるかもしれない
それは男性かもしれないし 女性なのかもしれないし
そのどちらでもないのかもしれない
でも今はまだ
分からないままでいいんじゃないかって
ずっと分からないままでもいいなじゃないかって思うんです

あいまいなものがあいまいなままでいいように、という自由さへの切実な祈り。それを実践していくタフさ、心のありようは、観る者すべての心を勇気づけていくまさに「非・恋愛時代」前夜の今に最も切実に響くラブストーリーの誕生だ。

とにかく、むちゃくちゃかっこいい漫画なのだ。何やら連載誌での打ち切りといった情報も流れているが、未完のまま終わってしまうだなんて、許されることではないのです。その結末を見届けさせて欲しい。

*1:しかし、彼らは堕天使にもなりえる