青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

青年団『月の岬』


舞台美術である縁側、階段、廊下等の設計が、戯曲の幾重のレイヤーを視覚的に補助していた。照明で怪しく光る床もいい。離島の日本家屋の居間という1シチュエーション劇ながら、その場にいる人間の背後に繋がった糸が激しく蠢き絡み合う様が、ないはずのその糸が舞台上に確かに見える不思議。


この『月の岬』という作品は家族の物語がベースであるのに、「母親」というのが形見の帯としてしか登場しない。嫁は流産という形で母親になり損ね、終盤に登場する母娘も連れ子であり、最終的に母としての役割を奪われてしまう。母親という役割だけに留まらず、劇中の人物達は劇が進むにつれそれぞれ役割が曖昧なものになっていく。彼や彼女が母、姉、妻、兄、妹、娘、教師、生徒なのかというのがボーっとしている何だかわからなくなってしまう。近親相姦、不倫、教師と生徒といった、この戯曲に通底する禁忌的な性の交錯が、このあらゆる境界の曖昧を可能にさせている。そして、その”性”のモチーフは血、水、潮そして月というイメージに拡散し、舞台上に立ち上がってくる。一見、小津映画のようなルックを構築しながらも、その生活の裏側に流れる血や愛液の匂いが漂ってきてしまう凄味。人間が普段生活の中で隠蔽せざる得ない欲望の生々しい手触りを再認識させられる、恐ろしい舞台だった。


今作は90年代の金字塔と呼ばれる演劇作品の12年ぶりの2度目の再演らしい。初演での時代設定は不明なのだけど、今回は台詞の中で「i-pad」や「タブレット」などという言葉が出てくるので時代は現代に設定されているようだ。しかし、舞台上には古めかしい黒電話が。ここに一瞬、違和感を覚えたのだけど、あの空間を不吉に切り裂き、不吉な報せを運ぶベルの音の発生源の色は、やはり黒でなくはなるまい。