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あだち充『H2』 あだちラブコメの哀しさについての考察

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あだち充のラブコメこそが至高。それこそ小学生の頃から大好きな作家なのだけども、歳を重ねるごとにその想いが強まっている。まさにキングオブラブコメディである。あだち充への考察と言いますと、『EPOCH TV』というシットコムにおける設楽統の台詞に尽きます。

お前、何言ってんの?『タッチ』、ちょーおもしれえじゃん!
お前ね、いーい?あだち充先生はね、洋服の皺の描き方が絶品なんだよ、ばか

あだち充とは、洋服の皺である。これはもう蓮實重彦の映画評くらい鋭い。
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また島本和彦は『アオイホノオ』において、あだち充による「ムフ」の発明の偉大さについて熱く語っている。それらの偉大なる論には敵いっこないので、このエントリーにおいては、あだち充の服の皺と「ムフ」についての考察は省略しよう。


あだち充と言うと、一般的には「登場人物の顔、その差異のなさ」が最大のトピックなのだろう。人気バラエティ番組『アメトーーク!』において、各年代の作品の主人公を並べ、その中から『タッチ』上杉達也を選ぶというクイズが出題されたほどで、その回答は確かに困難を極めた。あだち本人が番組を観て「あんなのわかるわけないだろ」とコメントしたと言う。確かに顔はそっくりなのだけど、実のところあだち充の画風というのは時代に合わせて繊細に変化している。あだち充のそのシンプルな線と省略は、時流を読み取りながら、無数の個性を描き分け、肉体の躍動(スポーツ)を的確に描き切ってきた。この才能はもう、さながら漫画界のジュリアン・オピーである。


画風だけではない。セリフ廻し、物語運び、コマ割り・・・そのすべてがシンプルに洗練されている。登場人物は誰もが誰も恐ろしいまでに察しがいい。余白を残し、少ない言葉数でウイットに会話していく。甲子園を目指したり、幼馴染に恋をしたり、といわゆる王道な展開も枠としては用意してあるのだが、あだち充はその中でおおいに”照れ”てみせ、ボケやスカシでコマを埋めていく。この”照れ”のようなものこそ、あだち充を信頼せずにはいられない、その作家としての品性のようなものだ。『タッチ』最終回での「描かれない甲子園」などはそのクールネスの極み。そして、低温をキープしながらも、ときに”照れ”を飛び越え、とびきりにエモーショナルな瞬間を描いてみたりもする。そのギャップに、読者はまんまと心を奪われてしまうわけだ。見事な感情コントロール術、これぞ”粋”というやつであり、まさに憧れの世界。私たちは格好いい大人になる為に、あだち充を読み続けていくべきなのである。


そして、何と言ってもあだち充の漫画は切ない。基本的にはおとぼけラブコメであるわけだが、その根底には”切なさ”が流れているように思う。いくつかの作品では、”決して結ばれてはならない2人“とでも言うような、それこそシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』にまで遡る伝統的な悲恋喜劇が根付いている。*1そして、それらは「幼馴染」や「家族」というモチーフで描かれる。例えば、『みゆき』や『じんべえ』における血の繋がらない兄妹もしくは父娘、『タッチ』や『クロスゲーム』での死者としての幼馴染。

別の世界では 
2人は兄妹だったのかもね


cero「Orphans」

こだま『夫のちんぽが入らない』にインスパイされてceroが歌ったような”哀しみ”が、あだち充漫画にもまた貫かれているのだ。前置きがすっかり長くなってしまったが、本稿の主役は『H2』、そのあだち漫画の哀しみの系譜における最高傑作である。

H2 (1) (少年サンデーコミックス)

H2 (1) (少年サンデーコミックス)

国見比呂と雨宮ひかりの関係における疑似姉弟性、そして雨宮ひかりを葛藤させる「橘英雄か国見比呂か」という選択。これまでの作品の集大成であるかのようなモチーフの連なりが、『H2』には揃っているのだ。


同時に『H2』はあだち充の省略の美学がもっとも丹念に貫かれた作品であり、その大きな余白は、読者に委ねられる。特にその結末の解釈においては、今なお多くの論議がなされている。

人よりも成長が遅く、恋愛方面にも疎かった中学時代の比呂は、幼馴染のひかりを親友である英雄に紹介する。しかし、それから1年半遅くやってきた思春期において「俺は本当はひかりが好きなんじゃなかろうか」と気づいてしまう。その頃にはすでに英雄とひかりは文句なしのベストカップル、ましてや英雄は自分の親友で、最高にいい奴。比呂はひかりへの初恋をそっとしまい込む。2人とは別の高校へ進学した比呂は、そこで新たに出会う古賀春華に好意を寄せられる。比呂自身も春華におおいに惹かれつつも、ひかりへの想いを断ち切れずに煮え切らない態度をとり続ける。一方でひかりもまた、英雄というこれ以上ない相手がいながらも、比呂へ抱く特別な感情に葛藤し、それがまた英雄を悩ませる。

この繊細な四角関係こそが、恋愛面にのみを抽出した『H2』のあらすじである。単行本にして26巻、比呂は春華への明確な好意をやっとのこと示し始める。

比呂「I love you ちがうか?発音。」
春華「ううん。十分通じるよ。」

英会話教室を巡る騒動を経てのこの比呂の告白は、あだち充の美学が貫かれた屈指の名シーンである。比呂と春華/英雄とひかり、その2組に収まってくれれば誰もが幸せであるのだが、29巻におけるひかりの母の死をきっかけに、4人の恋物語は再び歯車を狂わせていく。そして、甲子園での直接対決を前に、英雄はひかりに告げる。

最後まで見届けろよ。―そして選べ。おれか比呂か

その言葉はひょんなことから、比呂の耳にも入ることとなり、試合は当日を迎える。

知ってるか?おれはひかりのことが大好きなんだぜ。

試合前、比呂は英雄を挑発してみせる。試合中においても、それまで見せたこともない”勝利”への執着を剥き出しにする。これらを台詞通りに受け取ってしまうと、それまで30巻以上にわたって積み上げてきた”比呂と春華”の関係性が一気に無視されてしまったように感じるのだけども、これはあだち充の”照れ”がなす読者へのミスリードだ。そして、その筆運びが、比呂とひかりの”決して結ばれることのない”関係性の切なさをより際立たせることとなる。


勝負の行方は、最終打席に持ち込まれる。比呂は英雄を三振に打ち取り、試合にも勝利する。比呂は英雄との勝負に何としても勝ちたかった。しかし、それは、ひかりを英雄から奪い取るためではない。試合後に交わされた、英雄とひかりの会話に注目したい。

ひかり「いつもカギを閉めてるものね。ヒデちゃんのその部分にわたしの居場所があるんだって。だから、なるべくドアは開けておくようにって。」
英雄「比呂がそういったのか?」
ひかり「ううん。比呂はヒデちゃんを三振に奪っただけよ。」

比呂は英雄を三振にとることで、英雄の心のドアを開けようとしたのだ。「負けてるヒデちゃんは想像できないな」と言うひかりの為に。大好きなひかりが、英雄のドアの向こうにいられるように。そして、それは自身の初恋の終わりを意味する。”三振をとる”というその行為に、幾重の意味を編み込む、これぞ、あだち充のドラマメイカーとしての真骨頂。そして、驚くほどに察しのいい登場人物は、その三振からあらゆる意図を読み取っていくのである。勝者がひかりを手にいれることができると考えていた、”何もわかっていなかった”英雄ですら。上記のひかりの台詞が「って」と伝聞調になっているのは、比呂が台詞としてこれらの言葉をひかりに話したのではない。「英雄を三振にとった」比呂の姿から、ひかりが察しただけだ。


野田「スライダーのサインだったぞ。」
比呂「曲がらなかったんだよ。」
比呂「お前こそなぜミットを動かさなかった?」
野田「…たぶん。曲がらねえような気がしてたんだよ。」
比呂「あんな球…二度と投げられねえよ。」
野田「投げさせられたんだよ。だれかに…な。」

という、その三振を巡る比呂とキャッチャー野田のやりとりも、論争の的になっている。比呂はあの時、どの球種を投げるつもりだったのか。この箇所においては、台詞をそのまま受け取っていいように思う。ストレートを投げさせられたのだ、神様に。しかし、野球の神様ではない。ラブコメの神様に、だ。比呂が春華への「アイラブユー」を放ちながらも、ラストにひかりへの”大好き”が詰まったストレートを投げて、物語が決着する。この結末にモヤっとしてしまう気持ちもわかる。しかし、『H2』には、こういった宛先の間違えを肯定するような態度がある。比呂にとってのひかりは、徐々に春華と混濁していく。たった1年の付き合いである春華に「だいたいお前は昔から・・・」と言ってしまったり、ひかりと雪の日の思い出である”かまくら作り”を春華とやり直したり、鞄につけていたひかりに貰ったキーホルダーを春華のお守りにつけ変えたり・・・葛藤しながらも、ひかりの存在は徐々に春華に上塗りされている。比呂のひかりへの”好き”の気持ちは消えることなく残りながら、宛先を変えて、春華の元に辿り着く。そんな恋のありかたをあだち充は許していく。



そして、この『H2』という作品の恋物語は比呂と英雄とひかりと春華の4人を巡るものに留まらない。意図的に、大小さまざまな恋が描き散らされている。主人公たちの四角関係から弾かれてしまった木根と小山はもちろん、その2人を巡る恋のトラブル、明和第一のエース石元の恋、春華に好意を抱く柔道部三善・・・終盤では千川高校のセカンド柳の古賀への秘めた想いも明かされる。

比呂「好きなのか?古賀のこと。」
柳「もちろん。でも、恋人にしたいとか、つきあいたいとかわそういうのとはちょっとちがうかもしれない。」

春華が比呂と一緒にいて嬉しそうにしている姿を見るのが好きだと柳は言う。そして、明和第一高校が誇る3番バッター中井が抱いていたひかりへの好意はどうだ。怪物・英雄がいたが為に、明和の4番の座も、ひかりへの想いも諦めた中井だが、英雄がいたおかげで「日本一の3番バッターになれた」と語る。

だれかを好きになった気持ちは、
報われようが報われまいが、
それだけでじゅうぶん意味があるんだよ。

このあまりにも重要な台詞を、ライバル校の影の薄い選手が言い放つ、その筆致のニクさよ。宛先不明で届かないかもしれない、報われないかもしれない。しかし、柳や中井が、そして比呂とひかりが互いに抱いた好意は、そこに発生しただけで、すべからく尊く、意味があるものだった。これがあだち充のラブコメにおける態度である。


ラストに何の伏線もなく突如してカラオケで歌われるのはゆずの「夏色」という誰もが知るヒットナンバー。そして放たれる紙飛行機。

春華「どこへ飛んでいったの?」
比呂「ちょいと大リーグまで かな。」
春華「じゃスチュワーデスは私だ。」 
比呂「たぶん な。」

この何気ない2つの事象が、「誰に届くかわからない」という感覚を最後の最後までうすぼんやりと振動させ、肯定している。




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*1:『ラフ』などはまさに『ロミオとジュリエット』であって、作品内においても言及される。