青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

水曜日のダウンタウン「MONSTER HOUSE」3話

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これぞ、2018年のベストキスシーン。なんて醜く、なんて美しいのだろう。クロちゃんは「愛されたい」と叫ぶ獣だ。まるでこれまで誰からも愛されたことがないかのようだ。その欠落を埋めるようにして、どこまでも貪欲に愛を求めている。蘭ちゃん*1とのキスを成し得た時のあの狂おしいまでの歓喜、あれはもはや単なる性欲を飛び越え、自らの”実存”を初めて認識したかのような振る舞いではないか。

好きだよ、本当にもう・・・
俺は知らなかった
もう・・・本ッ当に
本ッ当わかってるようで
わかってなかった・・・
めちゃくちゃ好きだよ

忘れんなよ
忘れんなよ、俺
忘れんなよ
キスしたよ、忘れんなよ

観ていて、胸の奥がたまらなく苦しくなってしまった。多分、私たちもまた、クロちゃんと同じように寂しくてたまらないのだろう。本当は醜い存在なのだろう。「変な汗出るのはなんでしょうね」というたむらけんじ松本人志の言葉がそれを的確に表現している。獣になれない私たち。社会で適応していくために、私たちが必死で押し殺している部分を、解放し切っているのがクロちゃんという獣なのだ。


しかし、とんでもないシリーズが始まってしまったものである。「愚かで醜く、ゆえに愛おしい人間」という古来からあらゆるストーリーテーラーが言葉の限りを尽くしてきたテーマ。クロちゃんと藤井健太郎は、どこまでも敷居を下げながら、それを表現し尽くしてしまうのではないだろうか。



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*1:ミューズとしか言いようがない

Dr.ハインリッヒ『M-1グランプリ 2018 準々決勝』

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今年観た漫才で1番美しいと思った。イワシが炒飯を食べる時に胸鰭を使うとことか、「種がいっぱいあるんやろなー」とヒマワリの顔を覗くとことか、「まぁ焼きそばやわ」とか、「みんな何かを作るメンバー」とか、「この世はすべてはマル」とか、あらゆる細部がツボなのです。発声から立ち姿まで全てが素晴らしいな、と思うのだけども、やっぱりネタが凄い。あくまで2人の人間の"しゃべくり"でありながら、圧倒的な幻想感に包み込まれてしまう。いとしこいし師匠がつげ義春の漫画を漫才として喋っているみたいだ。文学的な発想が、数学的に編み込まれて、様々な円形が綺麗な循環を描いていく。気がつけば「チュドーン」と、"生命の誕生"とでもいうような質感に辿り着いていやしないか。よくよく聞き返せば、冒頭から"トンネルを抜ける"というフレーズが配置されていることに驚愕し、コンクリートの割れ目はもとより、「短かい目になった鉛筆の持つとこを長くする銀色のやつ」にすら"貫通"のイメージが託されていることに震えた。他のネタにしても"実存"をテーマにしたものが多く、双子というほんの少しだけ数奇な運命に生まれついた彼女達なりの、「自己と他者」への思考ノート。そんな珠玉の漫才が生み出されている。


ちなみに今年の3回戦のネタも秀逸なので、ぜひ。何も失ってないのに、何かを取り戻そうとしている。
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さくらももこ『コジコジ』

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誰がなんと言おうと、『コジコジ』はラブコメなのである。いや、もちろん『コジコジ』のジャンルは一つに断定できるものではない。たとえば、「コジコジは哲学である」という論調はいまだに根強い支持を得ている。

コジコジだよ
コジコジは生まれた時からずーっと
将来もコジコジコジコジだよ

第1話に登場したこのフレーズが、流れを決定づけた。確かに『コジコジ』というのは、"実存"をめぐる物語なのだ。登場人物の誰もがそのアイデンティティが揺らいでいる。飛べない鳥泳げない魚の半魚鳥である次郎君、記憶喪失のブルガリア人のジョニー、天使なのに不細工な自分に悩む吾作、天使なのに神様の事を知らないルル、正月という行事への自信が揺らぐ正月君、「オレってなんで頭に花なんて咲いてるんだろう」と疑問を持つ頭花君、メルヘンの国になぜか存在する悪者のブヒブヒ、三日月の夜だけ容姿と性格が変貌してしまうスージー、自分達が漫画のキャラクターと知り恥ずかしくて死にたくなるまる子と友蔵、勝手に沸騰してしまうやかんの頭を持つやかん君・・・
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そんな登場人物の中において、コジコジの放つ「あなたはあなたでしかない」というメッセージは確かに深く刺さるものがある。しかし、「コジコジは哲学である」としたところで、では「哲学とはなんぞや」という話になってくるわけで、一旦置いておこう。そもそも1話のオチは、「コジコジコジコジだよ」という言葉に感化され「次郎は今も将来もずっと次郎なのさ」とダメな自分に開き直る次郎くんが

バカ言ってんじゃないよっ
ずっと次郎じゃ困るんだよっ

と、母親に猛烈なビンタを食らうというものである。真理めいたことを語るやいなや、すぐさまそれを壊してもみせるのがさくらももこという作家なのだ。コジコジが"宇宙の子"であることが発覚する作品のハイライト的7話「手紙を書こう」のオチはこう。

コジコジ「次郎君 昨日コジコジも手紙出したよ」
次郎君「えっ キミが一体誰に出したんだよ」
コジコジ「おとうさん おかあさん」
次郎君「へーキミの両親て何ていう名前?ガジガジとかっていうの?」
コジコジ「えーーとねぇ
     何だっけ?
     う・・・う・・・"う"のつく名前なんだ」
次郎君「う?うし?うま?うめぼし?」
コジコジ「ええと・・・ええと
     ・・・たしか・・・"う"の他に"ち"もつくような名前・・・」
次郎君「うんちっ」
コジコジ「もう少し長い名前だったよ」
次郎君「じゃあ宇野千代
    "う"と"ち"がついて少し長いぞっ」
コジコジ「うのちよ・・・ 
     そうかもっ!!」
次郎君「ホントかよ・・・
    じゃあ まァ母さんは宇野千代として・・・
    父さんは?」
コジコジ「・・・えーと
     なんか・・・
     チューっていうような名前」
次郎君「・・・ネズミかな?」
コジコジ「ネズミかも」
次郎君「母さんが宇野千代なら父さんがネズミなわけないよ」
コジコジ「じゃあ何?」
次郎君「宇野千代は人間界のえらい作家だから父さんも人間界の有名人だっ
    ひょっとして・・・荒井注!?
    キミ 宇野千代荒井注の子供だから 
    すげー個性的だったんだ」

あまりの会話の掛け合いの見事さについ長々と引用してしまった(コジコジと次郎君の会話は常に優秀な漫才なのだ)。このように、さくらももこはしっかりと照れ、ボケる。


そんな照れ屋のさくらももこの作品の中で、もっとも、ラブ要素が高い長編が『コジコジ』なのだ。実のところ、『コジコジ』は恋愛を巡るエピソードが非常に多い。ペロちゃん/やかん君、ハレハレ君/ジョニー、スージー/吾作、スージー/ロバート王子、テルコ/ふうた、おりひめ/ひこぼし、正月君/ひな子/バレンタイン君・・・いくつものラブストーリーが平行して描かれている。そこで登場する、ハート射抜かれるパンチラインの数々をいくつか紹介してみたい。



まずは、ナゾ怪人のスージーに恋に落ちている天使・吾作の独白。

なんでオレは天使なんだろう
こんなブ男なのに
ただでさえ恋愛なんてできないのに
ましてやたまたま好きになった人とは敵なんて
<中略>
結ばれないとわかっていてもスージーのことが知りたい
スージーは毎日どんな暮らしをしているんだろう


続いて、「ひこぼしは他の女と浮気している」と嘘を吹き込まれたおりひめの台詞。

愛する人がそうしたくてしてる事ならそれでいいの
愛は全てを認める事だと私は思うから
<中略>
わたしゃ待つよ
あの人が来ようが来まいが待つよ
今年も来年もずーっと待ってるよ
何万年も愛し合ってたんだから
ハンパじゃないんだからね・・・


正月君の恋のエピソードから。正月君のお見合い相手であるひな子さんには200年付き合った元カレのバレンタイン君がいる。ひな子のことを諦め切れないバレンタイン君は何度も2人の恋を邪魔するのだが、最終的に2人を祝福する。

ひな子・・・キミと正月君がうまくいくように祈るよ
それがオレの仕事だからなァ
あーあ
因果な仕事だよなァ
バレンタインデーの恋の守り神なんて・・・
でも ひな子・・・
キミが200年間オレを愛してくれたお礼に
今日はキミの恋を誰の恋よりも1番にオレは祈るよ

バレンタイン君ありがとう
あなたと愛し合っていた日々があったこと
私忘れない・・・


最後に、2年前に一度だけ出会った風の子供ふうたのことが忘れられないてるてる坊主のテル子の台詞。次郎君やコロ助に「もう忘れたいほうがいい」と言われるテル子。

でもね・・・
ある日なんとなく空を飛ぶ小鳥を見てたら
小鳥は空の事をただ大好きで空を飛んでて
空が自分の事を好きかどうかなんて別に気にしてなくて・・・
それでね・・・わたしも
ふうた君の事が大好きな気持ちは
小鳥が空を大好きな事を同じくらいうれしい事だから
ふうた君がもし
わたしの事を忘れても
わたしはふうた君の事を大好きなままでいたい
って思ったの


どうだろうか。さくらももこのラブストーリー作家としての筆致の強さが少しでも伝われば幸いだ。彼女の描く恋愛は、種族間や性別を軽々と超え、モブキャラクターであろうと、悪役であろうと、当たり前のように恋愛のステージに登らされる。そして、この世に発生したすべての恋をすべからく肯定してみせる。それが報われようが、秘められたものであろうが。そんな態度が瑞々しく結実した『ほのぼの劇場』シリーズの「陽だまりの粒」という傑作短編がありますので、未読の方はぜひ(『ちびまる子ちゃん』コミックス8巻に収録です)。さくらももこという作家の魅力は、恐ろしいほどにミクロな感情の機微を底意地悪く拾いあげる筆致と、すべてを包みこむようなマクロな愛の視線を持ち合わせている点にある。傑作『ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌』のあとがきにこんな言葉を残している。

ちびまる子ちゃん』ではまる子の世界をクローズアップして描いていますが、平行して動いているあらゆる世界のことを私は忘れないでいようと思います

この感覚である。カメ大明神に好きなものを問われたコジコジが答える。

じゃあ全部
全部が一番好き

『キングオブコント2018』ハナコのコントの魅力について

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今年も出前のお寿司をつまみがら、楽しく『キングオブコント』を観ることができました。さらば青春の光とザ・ギースの2本目が観たかった・・・などなど色々想うところはありつつ、何はなくともハナコである。全ての組が魅力を発揮し、秀作揃いの『キングオブコント2018』においても、ちょっと群を抜いているように感じた。彼らのコントはどこまでも洗練されていながらも、かわい気がある。完全に虜なのです。


<犬の気持ち>

このコントのおもしろさは、演じる岡部の”犬性”が担っている。動きも表情も最高にキュート。そして、「なんでこんなうれしいんだろ」「毎回うれしんだよねぇ 毎回なのよ」「あったら食うって感じ」「ジャーキーは食う!」「なんだこれ!?おもしれー」「ちょっと待って!誰!?」「やられたぁ」・・・その"犬の心"の言語化の絶妙さ。しかし、コント中における飼い主と犬の間では、言葉は通じていないというのがおもしろい。にも関わらず、飼い主と犬の間で意志の疎通は問題なく交わされているというのがリアルだし、スマートだ。このコントは、ディスコミュニケーションというズレの笑いではない。ゆえに登場人物がデフォルメされていない。登場人物らの"生きている人"という感じがたまらくないいのだ。友達の家の犬に吠えられる菊田のリアクションの"何もできなさ”もとい"何でもなさ"が愛おしい。


前述したように、「このコントのおもしろさは岡部の犬性である」としながらも、あえて細部に目を向けてみたい。彼らのコントが驚くほど繊細な演技に支えられいることに気づくだろう。外から帰ってきた秋山が玄関で靴を脱ぎ、背負っていたリュックをリビングに置き、洗面所で手洗いをして、タオルで手を拭いている。更に、手洗いを終え、リビングのダイニングチェアに腰掛けた秋山はリモコンでテレビをつけ、何となしに目線を画面を向けているではないか。ちょっと異常なまでの演技の細かさである。賞レースにおいて、ここまで笑いと無関係の所作に時間を割けたコント師がこれまでいただろうか。ハナコのコントには、本来であれば、"こぼれ落ちてしまう時間"がしっかりと描かれている。このコントが、「犬が主人の帰りを待ち、ソワソワしている」という、本来知り得ることのない、でも確かに存在している時間を切り取ったシーンからスタートするのも象徴的だ。



<私をつかまえて>

このコントもまた演技が非常に細かい。海辺で戯れるカップル。これまで何遍も目にしてきたようなシチュエーションなのだが、セーラー服を着た岡部がスカートが濡れないようにと裾を捲り上げ*1、同じく秋山の学生ズボンの裾がロールアップされている。このリアリティでもって、スッとコントの世界に没入できてしまうではないか。表情も抜群である。特にお気に入りなのは、隠れ身の術で彼の目を欺きつつも「でも、本当は見つけて欲しい」という心情を表現した岡部の顔と、彼女の様子が何やらおかしいことを走りながら悟った秋山の顔。岡部と秋山の2人はこんなにも見事なネタが書け、素晴らしい演技力も持ち合わせている。この2人さえいればいいではないか!と思いつつも、1番笑ってしまうのは、「チッチッチ」とやる時の菊田の顔なのだから、バランスの良いトリオである。菊田がいつどんな形で登場するのか、というワクワクもハナコのコントを大いに魅力的なものにしている。



そして、コント至上、あんなにも発生の喜びに満ちたキスがあっただろうか。こぼれ落ちていく一回性の時間の集積としてのハナコのコントが、あのキスに集約されていく。「女子むずぅ」というオチも素晴らしい。伏線なんて回収する必要ないのである。彼女がなぜ「私を捕まえて」と言いながらも、本気で走り、逃げ回ったのか。あのメガネの女は誰なのか。それらに明確な理由を用意せず、「女子むずぅ」の一言で処理してしまう。そうすることで、コント中での若者たちの"走り"は無色透明なままに保存され、青春の匂いを纏うのである。

*1:多分だけど女子を演じる岡部のすね毛がしっかり処理されている

TBSラジオ『神田松之丞 問わず語りの松之丞』2018年9月16日放送回

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最近の何よりの楽しみと言えば、ラジオ『神田松之丞 問わず語りの松之丞』(TBSラジオ 日曜23:00〜23:30)を聞くことなのですが、9月16日放送回、これがもう衝撃的に素晴らしい。とにかく誰彼かまわず聞かせて回りたい衝動に駆られているのです。まずはTBSラジオクラウドにてぜひともお聞きください。
radiocloud.jp

そうそう、先週ですね、グレーなマッサージのことを年中ブログに書いている「エステ猿」と間違えられたって話を延々とですね、30分使って言ってたと思うんですけど、ついつい先週言い忘れたのが、実は先週、「エステ猿」の話をした9時間前に・・・子ども生まれました。

という導入がもう最高かつ象徴的なのだけども、講談師・神田松之丞が"命"を語る。*1第一子誕生、産後の肥立ちで倒れる妻、胃が悪い母ちゃん、口が悪くて嫌われ者だった祖母、グレーなマッサージ、ストリップショーの女性器、吉岡里帆のおっぱい・・・生と性が入れ乱れながら、凄まじい迫力で駆け抜ける珠玉の話芸の30分。話は意図的に脱線を繰り返していく。爆笑問題高田文夫野末陳平吉田照美井上芳雄、蓮見アナと手当たり次第に悪意を振り撒いてみせたかと思えば、

うちのカミさんがねぇ、いいこと言ってたのが
「この子自身が自分の性別を決めるから、男の子か女の子かとかっていうのを人に聞かれた時にいちいち言わないで欲しい」
っていう風にカミさんに言われたの。で、俺一瞬、言ってる意味が分かんなくて。「え?」と思ったら、
「たとえば性同一性障害とか、男の子の体で生まれてきても、女の子の心があるとかいう時に、その子の性別はその子が決めるから、今、男とか女とかそういうのは言わないで欲しい」
って言われた時に、「お前ジェーン・スーより進んでるな」と思って。「22世紀の発想だ」と思って。

なんて風に誠実に照れながら、センシティブなトピックをスマートに忍び込ませていく。病院で出会った小市民の善良さを人情味たっぷりに描写してみせたかと思えば、身内を手厳しくこき下ろしていく。慎重に選ばれた言葉とスマートな語り口ゆえに、聞き辛さはまったくないのだが、どう考えても混濁している。それが、人間という生き物の"複雑さ"を掬いとることに繋がっている。「妻が倒れて混乱しているにも関わらず、たまの贅沢にと注文した出前の寿司を野菜室に入れてから救急車に乗った」という描写の秀逸さには思わず溜息が漏れた。この神田松之丞の語りには、ささやかな日常を営む人間の滑稽さ、愛おしさが詰まっている。

*1:ちなみに9月9月放送の"恋”を語る回も必聴。パトリス・ルコント的世界