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青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

池辺葵『雑草たちよ大志を抱け』

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繕い裁つ人』『プリンセスメゾン』の池辺葵が手掛ける最新作は青春群像劇である。主人公に選ばれているのは、クラス(=世界)の中心となってキラめくタイプではない。『雑草たちよ大志を抱け』というタイトルが示すように、誰にも気づかれることなく、無邪気に踏みにじられてしまうようなか弱き存在。あまり好きな言葉ではないが、”スクールカースト”というやつの下の方にいるであろう女学生たちである。地味な彼女たちの最大の楽しみは、昼休みに食堂で食べる味付けの濃い親子丼、夕方の『必殺仕事人』の再放送、心酔するアーティストの表現に触れること。そして、身長、体重、太い眉、運動音痴、音痴、体毛etc・・・それぞれが他愛のない、だが切実なコンプレックスに悩み、どこか縮こまって暮らしている。

素直になったら恥かくだけや
私は
鋼鉄のバリアで
自分の心を守るんや

思春期時代の自分をそこに見つけ、思わず抱きしめたくなってしまう人も少なくないのでは。


スクールカーストの下の方(=雑草)という感覚は通学電車において、モブキャラクターがこぞって立っている中、椅子にチョコンと座る面々に重ねられる。また、”見下ろされる”という構図がそのフィーリングを高める。寝坊癖があり母親に寝顔を覗かれているがんちゃん、毎朝がんちゃんを迎えに家の下までやって来るひーちゃん、とびきり背の低いピコ、背中を丸めて歩くたえ子、などなど。そして、マラソンで転倒するピコ、膝を抱えて腕毛を剃る久子さん、地面にひっくり返るセミ、といったイメージも雑草性を高めていると言える。しかし、これはもう池辺葵という作家の色と言っていいと思うのだけども、下の方でくすぶり、本流から外れてしまったような者達を描きながらも、彼や彼女たちはそんな悲劇性に飲み込まれることなく、常に心躍るような(ピコとがんちゃんのスマートフォン越しのダンス!!)前向きさを纏っている。

背すじのばして胸はれ

ちょっとでもましに見えたいなーって
くさったりしないで
かわいく見えるように
せいいっぱい努力してみようって
思ったんだー

人の目を気にせず
一心不乱になれるんは
どうしようもなく
かっこいいっていうんや

まったくをもって素晴らしい。この池辺葵の筆致はもはや木皿泉のそれである。終盤における、合唱コンクールでもって、雑草である彼女たちのか細い”ヴォイス”が連帯し強く結ばれていく。下を向くような冴えない日々が続くかもしれない、でも愛されることだけは決して諦めてくれるなよ、という池辺葵のメッセージが、多くのボーイズ&ガールズに届けばいいと願う。やっと手に入れた愛は、もしかしたら儚い泡のようなものであるかもしれない、しかし、その一瞬のキラメキは永遠のように、貴方を生かし続ける、と語りかけるエピローグは、思わず小沢健二*1の往年のナンバー達を重ねてみたくなる。コマ割りのリリシズム、セリフ廻しの妙、キャラクターの愛らしさ、どれをとっても完全無欠な領域に突入している池辺葵、今後も名作量産に期待であります。



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*1:祝・完全復活!

レイモンド・ブリッグズ『さむがりのサンタ』

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寒い日があまりにも続くようならば、「クソっ!さむい さむい」てな具合に悪態をついてみるのもいい。そうでもしないと暖まらない、途方もない“寒さ”というのは確かに存在するのだから。イギリスの絵本作家/イラストレーターの巨匠レイモンド・ブリッグズの『さむがりのサンタ』という絵本がそれを教えてくれる。レイモンド・ブリッグズの揺るぎない代表作と言えばアニメーション作品も有名な『スノーマン』なのだけども、フェイバリットには断然『さむがりのサンタ』(と続編の『サンタのたのしいなつやすみ』)を挙げたい。私はこの作品がどうにかしてしまうほどに好きだ。

さむがりやのサンタ (世界傑作絵本シリーズ―イギリスの絵本)

さむがりやのサンタ (世界傑作絵本シリーズ―イギリスの絵本)

サンタのなつやすみ

サンタのなつやすみ



寒いのが苦手でいつでも夏の太陽ばかりを夢に見ているサンタクロース。丸っとしたフォルムに立派な白鬚はパブリックイメージどおりだが、このサンタはとにかく偏屈なのである。すべてのことに文句をつけている。

えんとつなんてなけりゃ
いいのに!

へんてこりんなところにすんどるよ
まったく!

なんだいなんだい
このだいどころは

かいだん かいだん
また
かいだん

サンタクロースとしての年に一度の大仕事(しかし24日以外にも世界中の子ども達からの手紙の整理やプレゼント手配など、年中忙しい様子だ)においても文句三昧。子ども達がサンタの労を労って用意してくれた飲み物に対しても

ふん なんだ
ジュースかい

と一蹴する有様である(お酒を用意してくれた子どもには「わかってるじゃないか」とご満悦だ)。しかし、この悪態のつきっぷりが彼をどこまでも魅力的なキャラクターたらしめている。それだけが彼の孤独を癒しているような想いがするからだろうか。サンタの家には犬と猫が1匹ずつ(そしてトナカイと鶏)のお一人様。しかし、天涯孤独のフィーリングのようなものは微塵も表出していない。彼は悪態をつきながらも、人生を謳歌している。世界中の子ども達にプレゼントを配り終え、残りのクリスマスを一人満喫するサンタの生活ぶりときたら!ブリッグズの幸福感溢れるウォーミーなタッチも相まって「幸せってこういうことか!!」と唸ることでありましょう。美味しい紅茶を沸かして体を温め、ラジオで音楽を聞きながら、七面鳥と甘いケーキを調理してオーブンへ。焼き上がるまでにお風呂に入り(入浴剤だって入れる)、ご機嫌に歌を歌いながら体を洗う。風呂上りには、気持ちのいいサッパリした靴下を履き、一杯のよく冷えたビールを楽しむ。そして、ワインとたくさんのご馳走。眠る前は牛乳を温めココアを作り、お菓子と一緒に読書を楽しむ。眠る前には犬と猫にもプレゼントを。ここには老人の孤独のようなものは一切ない。愚痴も悪態もつきたければ、つけばいい。それは人生をより良くしたいという祈りの反動だ。ついたらついただけ、人生を楽しもうではないか。
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ま、おまえさんも
たのしいクリスマスを
むかえるこったね

余談だが、作家である長嶋有のインタビューを読んでいたら、「暗記するほど読みました」と幼少時代からの愛読書に本作を挙げていて、飛び上がるほどうれしくなってしまった。私は母親の愛読書であったこの絵本を引き継ぎ、実家を出る際にも箱に詰め、今なお何度も繰り返し読み、胸を温めている。サンタクロースは寒がりかもしれないし、偏屈なおじいさんかもしれない、という世界の在り方を垣間見るのはとても重要なことだな、と思ったりもする。

最近のこと(2017/02/11~)

少し早起きして、近所のミスタードーナッツでモーニングを楽む。原田治への追悼、というわけでもないのだけど。ホットコーヒーとハニ―ディップとシナモンオールドファッション。シナモンのドーナッツが好きだ。子どもの頃、日曜出勤の父を家族で駅まで見送る途中にミスタードーナッツで朝食をとった。幸福な家族の風景。甘いものを食べる印象があまりない父がいつも決まって注文するドーナッツがシナモン(プレーンドーナッツにシナモンがまぶしてあるやつ)で、何だかすごく格好良く思えたのだった。父がスーツ姿で口についたシナモンの粉をナプキンで拭き取るところまで含めて格好よく見えた。甘すぎず、スパイシーな、憧れのシナモン。シナモンはその後は廃番と復活を繰り返し、今は店舗に見当たらない。たまに思い出したように既存のドーナッツにシナモンパウダーをまぶして新メニューとして出してくれる。高校時代は、シナモンクリスピーというドーナッツを決まって注文して、小説や日本史用語集を読み込んでいたものです。シナモンクリスピーが復活してくれたら泣いちゃうかもね。やっぱりあのプレーンドーナッツにシナモンをまぶしたやつが1番食べたいが、シナモンオールドファッションも悪くないと思った。コーヒーを何杯かおかわりして、長嶋有『ジャージの2人』を読み終えた。

ジャージの二人 (集英社文庫)

ジャージの二人 (集英社文庫)

あれ、この小説こんなに面白かったのか。軽井沢の別荘地(カルテット!)の電波の入りにくさを巡るエピソードの巧さ、震えた。「はいはい、ユルフワ系ね」などと適当に流し読んでいたに違いない学生時代の己に渇を入れてやりたい。世間の言う「感度の高い若い内にたくさんの作品に触れておくべき」なんてのは嘘っぱちだから、焦るなかれ。ゆっくりじっくり人生を楽しめばいいと思う。



土曜日。ミストから帰宅して、洗濯物干して、ヴァン・ダイク・パークスを聞いた。

Song Cycle

Song Cycle

そして、テレビの録画を消化。昨夜のMステは星野源の為のものだった。そういえば、年明けの『CDTV』で「恋」を疲労した時、さすがに「こんばんわー星野源でーす」ではなく「あけましておめでとうございまーす、星野源でーす」とくるだろうと思ったら、「こんばんわー星野源でーす」だったのでビビった。『山田孝之のカンヌ映画祭』は芦田愛菜がいるだけで最高さは確保されていて、実際おもしろい。我らがギヨーム・ブラック(『女っ気なし』『やさしい人』)が登場したのはブチ上がった。
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しかし、「そこはつっこまないのがこの作品のお約束なのだな」と思わせていた矛盾を突く河瀬直美でスリルを演出するのはズルくないだろうか。昨夜放送の『ドキュメント72時間』がまたしても別府温泉回が最高。男湯の様子もおもしろいのだが、妙に美人ばかりが登場するのがよかった。風呂上がりの彼女たちは化粧が落ちた状態なのだけども、暖簾をくぐる前より何故だか更に美しい。特にボディセラピストの人、よかったな。家にいるのにも退屈してきたので、自転車でブラブラする。小学校時代の友人が住んでいたあたりを通過するとどうでもいい記憶がどんどん蘇ってくる。どうしても『ファイナルファンタジーⅥ』でフィガロ城でどう進めればいいかわからないと嘆いていたら、「オレが教えてやるから、ソフト持って遊びに来な」と言ってくれたオクムラくん。彼はスイスイとゲームを進めてみせてくれたのだが、「じゃあセーブしといて」と言うと、「君が自分で進めたわけじゃないからそれはできない」と言って、データをセーブせずにスイッチを切った。なんて意地悪な奴なんだ、とプリプリしながら家に帰って教えてもらった通りにフィガロ城を攻略した。今、思えばオクムラ君なりの正義みたいなものがあそこにはあったのかもしれない。という話を、自転車で辿り着いた先の荻窪、で友達と飯を食いながら話していたら「ねぇだろ」と返された。ヴァーチャル空間の検索に長けた友人にフェイスブックでオクムラ君を探してもらったところ、関西のほうでファミレスの店長をしているらしい。この日、適当に入った台湾料理屋で食い散らかしたら、凄い金額を請求される。ボッタクリじゃねぇか、と帰り道に悪態をつきました。



日曜日。花粉が飛んでいて調子が悪い。新宿に出掛けてタイ料理を食べて、バルト9でロバート・ゼメキスの新作『マリアンヌ』を観た。
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す、素晴らしい。2017年は大豊作の予感。バートンの『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』は”見ること”の映画であったが、『マリアンヌ』は”見ること”の困難さの果てに、音の映画となる。音響、素晴らしかった。主演の2人も抜群に美しい。タワレコと本屋を覗いて、帰宅。近所のサウナで心身をととのえる。何かの誤作動で、10分間ほどテレビと照明が消える時間があり、精神が統一されてしまい、神さまはいると思った。しかし、清水富美加の件は驚いてしまったな。こんな事があって書くのも何なのだが、実は私は清水富美加がとても苦手だった。「こっち側のふりしているけど、こっち側じゃないぞ」という感じ、いや、自意識の強烈な捻じれが透けて見える演技が嫌だった。しかし、こんな結末が待ち受けているとは。もし、戻ってくることがあったら応援したいな、と思う。長嶋有『泣かない女はいない』 

を読み終える。同時収録の『センスなし』も抜群。聖飢魔Ⅱをこう使うか。長嶋有をもっと早く読んでいたら、小説家を目指していたかもしれないくらい、憧れてしまう。『A LIFE~愛しき人~』の最新話、おもしろかった。牛丼食べるキムタク、ありがたいなー。武田鉄矢が目を覚ましてくれてよかったです。出鱈目なドライブ感があるので、金八シリーズの福澤克雄が演出に入ったら、もっとハマった気がする。間もなくニューアルバムがリリースされるReal Estateの新曲が文句無しに最高で安心。ルックスも衣装も完璧超スキ。
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月曜日。新しい職場環境にもすっかり飽きてきた。人間の適応能力もたいしたものである。しかし、トイレがハイテクで焦ります。スーパーにビリヤニが売っていて、期待していなかったのだけどもむちゃ美味でした。
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なんでもホテルで修行したインド人の方が作っているらしい。ボリュームたっぷりで580円とリーズナブルなのもいいです。見かけたら、また買いたい。ときに広瀬すずが”狙い撃ち”する風邪薬のCM好きだったのに、新しいのに変わってしまったな。広瀬すずは「多分人類至上はじめての~」とか言ってるソフトバンクのCMも好きだ。阿部寛が女達と円になって桃を称えるCMは好きだなんて思ったことなかったけども、梨に変わって以来、妙に恋しい。また観たいな。帰宅して、ご飯を食べながら『乃木坂工事中』と『欅って書けない?』を観る。それだけが月曜日の疲れを癒してくれるのです。『乃木坂工事中』はそろそろテコ入れが必要かもしれない、と思うほどにまったりマンネリ。『万年B組ヒムケン先生』の「バンドマンの巻」最新話むちゃくちゃおもしろかった。この番組、本当に凄いと思う。B組生徒だけのルール(法則)というのがあって、むちゃくちゃさがむちゃくちゃなまま肯定されてしまう。私はそういうのに滅法弱い。『万年B組ヒムケン先生』と『水曜日のダウンタウン』と『クイズ☆スター名鑑』が揃ってるTBS凄すぎる。しかし『クイズ☆スター名鑑』打ち切りの噂は本当なのだろうか。どうせ激戦区なら遊んで欲しいな。それに名古屋ウェルビ―のサウナのテレビでは激戦を勝ち抜き、チャンネルは『クイズ☆スター名鑑』に合わせられていた。裸のおじさん達の支持はあついぞ。ミツメの「霧の中」のMVが公開された。ミツメの中でも1番
Real Estateっぽい曲で大好きなのだ。
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火曜日。仕事後にタワレコでどついたるねんのニューアルバム『COLOR LIFE』購入。

COLOR LIFE

COLOR LIFE

リリック冴えまくりで、むちゃくちゃおもしろくて、音もかっこいい。嵐のベスト盤みたいっしょ。こないだのどつ×ミツメのツーマン前に公開された「煙突」のモクモクRemixやっと観た。
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最高だ。ワトソンの顔ずっとおもしろい。先輩の「おいミツメ、ちゃんと飯食ってるか?」に痺れた。そして、本屋さんで石黒正数それでも町は廻っている』最終巻を購入。わーん、最後の最後まで素晴らしかった。現行で1番好きな漫画でした。すごくさびしくなるが、思い出が環となって温めてくれることでしょう。1巻から再読しょうっと。スーパーで食材を買い込み、クリーニング屋に出したワイシャツとマウンテンパーカーを引き取る。大荷物で腕が痺れる。『マツコの知らない世界』にチャンネルを合わせる。この番組は残り4分とかからまだまだ終わりませんよ、というような顔で雪合戦を始めたりするので、いつも時計を何度も確認してしまう。22時。『カルテット』である。おもしろかった。1章閉幕。好みで言えば、3話、2話と4話、1話と5話の順である。見事に山を描いている。本編の感想に織り込めなかったのだけど、ハイバイの平原テツさんの登場に胸躍った。実にハイバイらしい役柄なのもよかったな。5話のあの感じであれば、悪態をつく平原さんも観たかった。あれ、むちゃ怖いのだ。6話に大森靖子が出るらしいのでたまげている。夫さん、瑛太じゃなかったけども、クドカン。やられた。その手があったのか。『レコスケくん』の間違えた刷り込みで、バレンタインの日はフィル・スペクタ―サウンド聞きたくなる。



水曜日。昨夜『カルテット』観たり、『それ町』読んだり、どつ聞いたりで、すっかり夜更かしになってしまい、寝不足。シンプルな理由でうたた寝した。クドカン登板を言い当てた、と話第になっていた『エキレビ!』というサイトの『カルテット』レビューを読んだら、吉備団子とか関サバのくだりも書かれていて、正直やってんなーと思ってしまった。他はまだしもそこは誰も書かない、という確信めいたいものがある。というかほとんどあらゆるところからの引用で成り立っているレビューなのだろうな、というのが書く側からするとわかる。一貫したエモーションみたいなものがないから(書いている人は凄く博識だな、とは思う)。でも、これでやってなかったら、無茶苦茶失礼だよな、とオドオドする(ふり)。エビ中メンバーのりななんに向けたブログを読んで涙。いつの間にみんなあんな立派な文章を書くようになったのだ。特に安本さんのがよかった。エビ中のカップリングやユニット盤曲をまとめたプレイリストで作って聞いている。ちなみに私の好きな私立恵比寿中学の楽曲トップ5(シングルは除く)。

①「ほぼブラジル」
②「ガリ勉中学生」
③「神さまの言うとおり
④「たそがれシアター」
⑤「売れたいエモーション!」

以上です。あぁ、全部ウットリするほどの名曲。でも、今は聞いてると涙ばっか出てくるなー。堅気じゃない人御用達のサウナに久しぶりに。90℃くらいなんだけども、ナイスな湿度が保たれていて、すごく汗をかく。近所ではやっぱりここがベストかもしれない。椅子に座っているヤクザの人の前を通ると、伸ばした足をスッと引っこめてくれたて、キュンとした。これがギャップ萌えか。サウナの中のテレビではローラが生き様を語り尽くしていた。ローラって努力の天才なんだな、と素直に思いました。頭が冴えたので、帰宅して『カルテット』流しながら、感想を書いた。ドーピングのようなものである。この日放送の『いろはに千鳥』が信じられない面白さだった。頭から終わりまでずっとおもしろい。ノブのお漏らしもさることながら、ハロー玉を完全に使いこなす大悟に腹筋壊れた。DVDになるまで保存版だ。単純なので、この日の夢に大悟が出てきた。



木曜日。たまごサンドとホットコーヒーのカルマから抜け出せなくて困っています。この組み合わせはもはや麻薬。ヤクルトがさっそく怪我人続出でウンザリしている。まじで頼むよ、川端さん。廣岡のサード転向で開幕あるな。明日、意味もなく思いつきで有給休暇をとったので、実質金曜日のような気持ちで過ごせた。本屋に寄って買いそびれていた『売野機子のハート・ビート』と『ゴールデン・ゴールド』と『ハイスコアガール』の新刊を購入。

間もなく乃木坂46を卒業される橋本奈々未さんのソロ曲「ないものねだり」のMVが公開された。
youtu.be
去年の乃木坂でダントツ1番良い曲。美しいな。ショートカットのななみんを見るだけで涙が出てきてしまう。今まで本当にありがとうございました。

坂元裕二『カルテット』5話

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30分の放送を経て、やっとのことタイトルバックが現れる。その直前に披露されるのはカルテットによる実に幸福な路上演奏だ。1話のオープニングを思い出したい。路上でチェロを独奏する世吹すずめ(満島ひかり)に足を止めるものはいなかった。誰からも耳を傾けられることのなかったその音色が、彼女の運命共同体であるカルテットとして奏でられると、かくも”世の中”に浸透する。しかし、このシーンがほとんど夢のような鮮度でもって撮られているのが気になる。演奏するカルテットの表情、演奏に手拍子で称える人々。あまりの多幸感に、えもすれば覚めることへの切なさすら伴ってしまう、あの”夢”のような鮮度である。たまたま居合わせたノリのいい外人の煽りを端にして続々と道行く人が集まり、踊り出す。果たして、こんなことありえるだろうか?この過酷な現実においては、路上で無許可で演奏しようものなら、たちまち警察が現れるのではなかったか(3話)。カルテットが演奏する様がロングショットで撮られると、画面がミニチュアのような質感を帯びたのにお気づきだろうか。
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ジオラマのステージを彩るかのような街のイルミネーション。ここで思い出したいのが、ジオラマにて提示された"人気絶頂の天才ピアニスト"若田弘樹のコンサートの光り輝く舞台装置。カルテットにとって”夢のような”舞台であったはずの大きなステージ。

一人一人の夢は捨てて
しばらくはカルテットドーナッツホールとしての夢を見ましょう

カルテットドーナッツホールとしての夢を見せつけてやりましょう

奇妙なコスプレをしてダンスのような当て振り演奏を強いられるという、ひどく残酷な現実の直後に、カルテットはあの路上演奏にて、”夢”でもって”夢”を書き換えてしまったのかもしれない。夢の意味が溶けあうダブルミーニングである。そして、30分遅れのタイトルバック。カルテットの4人の歪さ、可笑しさ、ゆえのかわいらいさ、が混じり合い強く結びあったこれまでの4話、そしてこの幸福な路上演奏シーンまでの”夢”のような楽しさをして「カルテット第1章」であったのだと捉えたい。


裏表がある人なのよ

あの人はあなたの裏表に気づいてる?

という鏡子(もたいまさこ)の言葉が5話のテーマだろうか。すずめの前では魔女のようであった鏡子が、巻を前にして突如ラブリーさを伴った気さくな姑を演じ出すのには驚かされた。“友達のふり”をしてという依頼で巻(松たか子)に近づいたすずめ、夫が失踪した直後にパーティーに参加して笑顔で写真に収まる巻、人懐っこいふりをして懐に入り込み突如牙を剥く有朱(吉岡里帆)。しかし、果たして彼女達は”裏表がある人”なのだろうか。表や裏、白や黒、赤や白、そういった対極を優しく混ざり合わせてきたのが『カルテット』というドラマであったはず。このドラマは執拗に”あいまいなもの”を描いてきた。例えば、巻真希という名前はどうだ。マキマキ。

別府くんはマキさんのこと
上の名前で呼んでるの?下の名前で呼んでるの?

という1話の家森(高橋一生)の言葉が思い出される。”マキさん”という響きは、名字か名前か、という二択すら否定している。もしくは、1話からすずめが多用する

みぞみぞしてきました

という言葉はどうだろう。実にあいまいだ。興奮してきたのか、緊張してきたのか、昂ぶっているのか、謙っているのか。いや、おそらくそういった両極が混ざり合った感情を示す言葉なのだろう。

ありがとぅショコラ*1
時すでにお寿司
よろしくたのムール貝
お兄茶碗蒸し

この坂元裕二の好調さを裏付ける"地球外生命体 戦闘型カルテット"の決め台詞も、ようは『おぼっちゃまくん』(小林よしのり)的なダジャレなのだけども見事に"混ざり合って"いやしないか。『カルテット』のこういった筆致に倣うのであれば、人間というのは、一極に寄ったものではなく、あらゆる要素が複雑な感情が混ざり合ってできているはず。であるから、何がしたいのかさっぱり見えてこない有朱の

そこ白黒はっきりしたら
ダメですよ
したら裏返るもん オセロみたいに

という認識は、ある意味で正しい。しかし、私はそれよりも巻がすずめに聞かせるパーティーでの「クソ野郎」の挿話を支持したい。そのはっちゃけた笑顔は、裏表と呼ばれる人間の多面性、言い換えれば”業”のようなものを優しく肯定してくれるようだ。



さて、5話の問題は有朱である。言葉にならないはずの想いを、繊細に、できるだけ遠回りをしながら交錯させていく坂元裕二のドラマにおいて、あきらかに異端者である。しかし、彼女のようなキャラクターは近年の坂元作品にいおいての定石となっている。有栖は『問題のあるレストラン』(2015)の川奈藍里(高畑充希)、『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』(2016)の市村小夏(森川葵)の系譜に並ぶ女である。彼女達をして、いつも思い出すのは岡崎京子『リバーズエッジ』

リバーズ・エッジ オリジナル復刻版

リバーズ・エッジ オリジナル復刻版

の吉川こずえだ。日常に突如現れた川べりの死体に対して彼女はこう叫ぶ。

あたしはね、“ザマアミロ”って思った
世の中みんな キレイぶって ステキぶって 楽しぶってるけど 
けんじゃねえよって 
あたしにもないけど あんたらにも逃げ道ないぞ ザマアミロって

坂元作品における岡崎京子的女の子達は、建前やオブラートを許さない。剥き出しの”何か”を暴こうとする。ズボンの下はノーパンだ、と。ズボンを脱がした時に現れるのは生々しい何かだろう! と。巻の秘密を前に、対立するすずめと有栖であるが、スパイを引き受け、巻を執拗に尋問する有栖の姿は、かつてのすずめが反復されている事に気づく。教会に入れ替わりで出入りするすずめと有栖が、それを明確に映像で表現している。つまり、すずめと有栖もまた、対極という構図ではなく、2人をして1人の人間のグレーゾーンを描こうとしているのではないか。有栖のスパイ行為への尋常ではないモチベーションは現在のところ不明瞭であるが、すずめと同じく貧困に起因するのかもしれない。そう考えると、所謂”女子力”のようなものを撒き散らしながらも、一貫して”黄色いダウン”という素朴な上着しか身につけていない有栖の在り方にも納得がいく。家森をとても裕福とは言えなそうな狭い間取りの実家に連れていった3話のエピソードがここで効いてくる。家森が好意(のようなもの)を向けているのもすずめと有栖であり、やはり2人は対極な人間のようでいて、1人の人間の多面性のように描かれている。



しかし、それにしても有朱が巻とすずめを追い詰めるシーンの息苦しさときたらなかった。”ドーナッツホール”という、これまたドラマ全体を貫く”空洞”のモチーフに逃げ込もうと「バームクーヘン食べます?」と持ち出すも、冷蔵庫にはあるのはバームクーヘンではなく、穴のふさがったロールケーキ、なんて演出も心憎い。有朱のポケットから転げ落ちたレコーダーから、「唐揚げレモン問題」における”不可逆性”を語る家森の音声が流れる。空間が1話にリバースする。不可逆であるはずの時の流れが、巻によって巻戻って再生されてしまう。まさに、起きてはいけないことが起きた、といい感じ。凡百のドラマであれば間違いなく登場人物が感情を爆発させるであろうこの山場のシーンで、永遠みたいな沈黙が流れる。松たか子の表情ときたらどうだ。怒っているのか、蔑んでいるのか、悲しんでいるのか。その全てが混ざり合ったというような表情。巻にとってもこの暴かれた真実は寝耳に水というわけでもあるまい。

さっき来る時もすずめちゃん見えたんだけど声かけないほうがいいかなって(2話)

すずめちゃんってちょっと謎ですね
時々お線香の匂いがする時がある(2話)

わたし他にも真紀さんに隠してることあって(3話)

更に、別荘には鏡子の眼鏡があり、鞄の飾りの欠片があるのだ。いや、それどころか巻は、鏡子が別荘の前に姿を現した場に居合わせてさえする。本当にまったく気がついていなかったのだろうか。私にはあの何とも言えぬ巻の沈黙と表情は、3話におけるあの「いいよ いいよ」という”許し”を絞り出そうとしている顔に見えてしかたなかった。



そして、新たに階段(坂道)で転倒する男が現れる。“まさか”の宮藤官九郎の登場である。これはやられた。これ以上ない適役である。とても小さな声で二言三言発しただけで、これまで画面に登場せずにエピソードだけで語れていた”夫さん”像があっという間に肉付けされてしまったではないか。そんな役者そうそうおるまい。余談になっていくが、宮藤官九郎が夫役となると、2015年の岩松了の舞台『結びの庭』や「キリン 杏露酒 ひんやりあんず」のCM(妻は宮崎あおい!)での好演が思い出される。『結びの庭』も夫婦の愛と殺人が絡み合うラブサスペンスであった。いや、それよりなにより坂元裕二宮藤官九郎の邂逅である。ほぼドラマ一筋でやってきた坂元裕二とマルチクリエイタ―的なクドカン。まったく毛色は違うのだけども、やはりテレビドラマ界のトップランカーとして両者が並び立つ様には感涙を禁じえない。満島ひかり(『ごめんね青春』)、高橋一生(『池袋ウエストゲートパーク』『吾輩は主婦である』『11人もいる!』)、そして数々の宮藤官九郎のTBSドラマで演出を務めた金子文紀というピースが重なったことで生まれた奇跡か。とにもかくも、このキャスティングをまとめあげたプロデューサー佐野亜裕美の手腕には舌を巻くばかりであります。



最期に、”嘘”もしくは”演じること””ふりをする”というこのドラマ最大のモチーフに注目したい。偶然を装った運命のふり、友達のふり、演奏するふり。一見、ネガティブなそれらの行為は、嘘をつき続けること、演じきることで”本当のこと”になってしまった。

出会った時から嘘で結びついている

という鏡子の言葉が、ポジティブに反転する。この演じることや嘘は、演劇や映画やテレビドラマといった物語のメタファーとしても捉えられよう。この『カルテット』という作りモノのフィクションの中に流れる言葉は、どれも”本当のこと”として我々の胸を捉えている。むしろ、すべての”本当のこと”は嘘からしか語り得ないのではないか、とすら思う。物語が存在する理由のようなものである。『カルテット』の坂元裕二の筆致からは、”物語”への信頼と祈りが、垣間見れるのである。



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*1:アラサーっぽくの指示でフレンチっぽくなるの意味わからなくて笑った

ティム・バートン『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』

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バートンお得意のゴシック調のおどろおどろしいOPから一転、”フロリダ”というクレジットとともに、太陽が燦々と照りつけるビーチが牧歌的に映し出されるのには思わず笑ってしまう。主人公ジェイクが働くドラッグストアでのクラスメイトとの一連のやりとりを見るに、ティーンエイジャーの葛藤を描いた学園ドラマが展開されていくような予感に満ちているが、すぐさま画面はダークな質感を取り戻す。曇り夜空の下に現れる、どこか見覚えのある住宅風景に、ここでいう”フロリダ”というのは、つまりはあの『シザーハンズ』(1990)の舞台ということであるここに気づかされる。ハサミ男エドワードの孤独が、周りの同年代のこどもたちとうまく関係を築くことができないジェイクに重ねられる。であるから、今作もやはり”歪さ”を、”奇妙さ”を、”変わり者”を、優しく肯定する物語だ。その完成度はティム・バートンのキャリアにおいても、最高ランクに位置するのではないでしょうか。間に『ダーク・シャドウ』(2012)。『フランケンウィニ―』(2012)といったおおいに愛すべき作品も挟まれるが、

『ビックフィッシュ』(2003)以来と言っていい、感動が今作にはある。こどもたちは震えるばかりに愛らしく、それも見守るエヴァ・グリーンも気高く美しい。


ティム・バートン至上最も奇妙、という煽りはどうかと思うが、確かに怪作であることには違いない。あまりに要素が詰め込まれ過ぎている。超人的な能力を持ったこどもを迫害から守るための施設、という設定はもろにマーベル・コミックの『X-メン』なのだけども、更に日本のアニメーション作品との強い親和性を有している。(その証左というわけではないが、一瞬だが、日本が舞台として登場するのだけども、それは秋葉原的な電脳都市だ)「1943年9月3日」という時間をループし続けるこどもたち、という導入からして数々の名作を想起せざるえないだろう。そして、全体を通してほとばしる、藤子・F・不二雄ドラえもん』大長編のフィーリング。現実世界ではボンクラの男の子が別世界ではスーパーヒーローに、というやつ。色々、混ぜ合わさった結果、最終的に新海誠の『君の名は。』的なラブストーリーに辿り着く。そんなもの面白いに決まっているのである。すぐさま劇場に駆けつけよう。以下はネタバレ。



祖父が、古めかしい写真を元に、たびたびベットで語り聞かせてくれた”おとぎ話”を端とする。両親らが「旅先で買ったインチキ写真だ」と一蹴するそれらには、宙に浮く女の子、怪力兄妹、透明人間、身体の中に蜂を飼う男の子、マスクをかぶった双子etc・・・あらゆる奇妙なこどもたちが映し出されている。人は、その写真を前にして何を”見る”のだろう。インチキ写真としてのトリックか、奇妙なルックの子ども達への差別感情か、はたまた、彼らに渦巻く豊潤な物語か。バートンは物語を”見よう”とする変わり者を支持する。前作『ビック・アイズ』(2014)から引き続き、”見ること”を問う作品であり、その主題を元に、物語が展開されていく。主人公ジェイクの能力は他の人の目には写らない怪物を”見る”こと。双子の見た者を石にする”ゴルゴ―ン”的扱われ方、怪物たちは能力者を殺し、その”目玉”を食べる。そして、ヴィラン達は一様に”白目”という特徴を付されている。”見ること”の困難さ、重要性が物語の中で説かれる。「1943年」という時間軸をことさら強調することからもわかるように、第二次世界大戦時のナチスの有様が物語に下敷きされている(これも『X-メン』と同様だ)。主人公のジェイクは(おそらく)ユダヤ人だし、怪物たちは、ホロコーストを隠喩した”ホローガスト”というあまり巧くない名称が与えられている。歴史を顧みた上でのこども達への継承、それらが今作をより重層的なものに仕上げているのは確かだが、そういった史実との関わりを”読む”よりも、やはり類まれなるイマジネーションに裏打ちされたカットの連なりを”見る”ことに注力するほうが賢明であるようにも思う。奇妙なこどもたちの1人にホーレスという少年がいる。
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片眼にカメラをはめ、スクリーンに夢を投影できるという彼の能力!!映画というメディアへの溢れんばかり愛が込められている(ホーレスが紳士の装いを好み、その能力が戦いにおいて何の役に立たないところも含めて最高である)。そして、オーソドックスであるが、繰り返される落下と浮上のモチーフ。ドイツ空軍が孤児院に投下した爆弾、海中に沈められた豪華客船(さらに巣から落下するリスまで!)といった”下降”の悲劇を、なかったことにしてしまう”浮上“のイマジネーション。その浮上の運動を一身に背負うのが主人公が恋に落ちるエマ。自らを地上に繋ぎ止める鉛の靴を脱ぎ捨て、重力に逆らい宙に浮く彼女の姿を観た時の心の動揺(トキメキ)が、そのまま物語を救済してしまう鮮やかさ。そして、ロープでくくられたエマを、ジェイクが凧のようにして海岸を歩くショットの美しさよ(その青の蒼さ!)。前前前世とは言わないまでも、70年の時を隔てた2人のラブストーリーは、「ロープを腰に巻いてあげる」「ネクタイを結んであげる」、という2つの運動によって、固く結びつけられるのだ!!