青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

近藤聡乃『A子さんの恋人』4巻

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『A子さんの恋人』の待望の新刊が発売。あぁ、おもしろい。巻を重ねるごとに加速度的におもしろいではありませんか。コマの隅の隅まで楽しませ、心の柔らかい場所をこれでもかと刺激する、魔術的1冊だ。この作品の魅力は多岐に渡る。簡潔かつ官能的な線とコマ割り、ウイットとアイロニーに富んだ台詞廻し、底意地が悪く人間臭いキャラクター達、阿佐ヶ谷や谷中周辺をそっくりそのまま舞台に据えた東京ロケマップ的楽しさ・・・そして、何と言っても「わかる、わかるよ!あいこちゃん」といったような”あるある”を通り超したキャラクターへの共鳴だろう。想いを寄せる人の好みに合わせ、無理に荷物を少なくして外に出るあいこ、その華麗なる玉砕に涙した人も少ないないだろう。記号化(=単純化)しがちなえいこに対して、人の気持ちの複雑さを説くあいこの姿は実に感動的であった。

違うでしょ!
そんなひと言で言えるほど
簡単な気持ちの人なんていないでしょ!
身軽なところも好きだけど
もっと好きになってもらいたいっていうのも
どっちも本当のことなのよ!

何故だかテレビドラマと比較したくなってしまうこの『A子さんの恋人』の脚本術。複雑なものを複雑なままに提出するその筆致はあの『カルテット』(2017)と並べてもひけをとるまい。求むテレビドラマ化(A太郎は坂口健太郎、これだけは死守して欲しい)。さて、男心や女心の”お”の字も理解していない私のような人間が恋愛要素のいろはを語るのは困難を極めるであろうから、物語の枠の話に終始することにしたい。



A子さんというのは主人公の英子(えいこ)のことを指す。スカイツリーの土産屋でネーム入りマグカップを購入する際に、「英語のエイでえいこです」と伝えるも、英語の”英”ではなく、英語の”A”と勘違いされたことを端とする。冗談のような小話であるが、実際のところ、えいこは自らをA子、そして、友人をK子、U子、I子・・・というように、人の実存を記号的に捉えている節がある。

私が「英子」だということなんて他人にとってはたいした問題じゃないのだ
他人にとってえいことか けいことか ゆうこは漠然と
エーコ ケーコ ユーコなのである

記念すべき第1話の冒頭においていきなり下された結論だ。甘味処に女3人が集まりながら、「これはおしるこ?ぜんざい?」「これはみつ豆?あんみつ?」と、やはり”名前”というものへの信頼のなさをさりげなく論じている。10年来の親友の名前(の漢字)も覚えていないえいこはとても身軽であるが、と同時に、自己や他者の絶対性に懐疑的な人間であると言える。

A太郎:僕はえいこちゃんのこと
   「A子ちゃん」だなんて思ってないよ
えいこ:・・・何言ってるの?
    A太郎:えいこちゃんにとっては
   「K子ちゃん」で「U子ちゃん」で「A太郎」なんだな〜と思って
えいこ:はい?
A太郎:僕は寂しいよ
えいこ:何言ってるの?
A太郎:そういうところあるよねって話
えいこ:なんの話?
A太郎:えいこちゃんはどうでもいいんだよ
    けいこちゃんもゆうこちゃんも僕も
えいこ:・・・・なんで?なんでそういうことになるのよ? 
    ただのカップでしょ?私自身だって!(「A子」のカップを指して)
A太郎:自分のこともどうでもいいんだよ
えいこ:何言ってるの?
A太郎:いつからそうなったのかな

元カレであるA太郎がえいこの本質をズバリと指摘するこのスリリングな会話こそ、4巻のハイライトの一つ(A太郎がエプロンを着脱しながら喋るのが色っぽくいいのだ)。えいこはいつからそんな考え方を持つようになったのか。その原因は、それを問うたA太郎本人にある。2人がまだ付き合っていた頃、A太郎は締め切り間近のえいこの漫画原稿をよく手伝っていた。ある日、A太郎は善かれと思い、いとも簡単にえいこのタッチをそっくり模倣し、原稿の下書きからペン入れまでこなしてしまう。しかし、えいこはプロの漫画家、そのことがどんなに彼女を傷つけ、そのアイデンティティを崩壊させたことだろう。このことはA太郎自身

なんであんなことしたんだろう

と今でも後悔している。極め付けは、A太郎の「B子ちゃん家でシャワー浴びたから」という浮気公言だ。これこそ、現在のえいこの考えを構築したものではないだろうか。わたし(A子)の代わりは、B子、C子、D子・・・いくらでもいる。


4巻のスタートを飾る「大人たち」は、まさにその”代役”というモチーフを巡るエピソードだ。面倒なクロッキー大会の現場監督を任されたゆうこは、代役を立てることを画策し、けいこに→A太郎に、と電話をかける。時を同じくして、えいこは原稿の締め切りに追われ、アシスタントを探し求めていた。けいこに→ゆうこに、代わる代わる依頼の電話をかける。一旦はアシスタントを引き受けたゆうこだが、きりたんぽ鍋の誘惑に負け、そのバトンをA太郎にタッチしてしまう。K子、U子、A太郎の役割が実に容易く代替していく。

はえいこちゃんみたいになりたいな
僕は君みたいになりたいんだよ

4巻にして、ついにA太郎の本音が零れ出す。A太郎とえいこが混濁していく。わたしたちはやはり「代替可能な存在」なのだろうか。そんなめくるめくスイッチングの中で、「キューピー3分クッキングのエプロン/野球盤のエプロン」、「きりたんぽ鍋/鍋焼きうどん」、「ダークのビターチョコ/アポロチョコ」、二股疑惑・・・というように、離れた空間にいながらも互いに影響し合ったかのような、妙な共時性が発生している。「原稿が遅れているえいこ/取引先の納品遅延のしわ寄せをくらっているけいこ」もそう。そこには直接的な関係はないはずなのだが。『A子さんの恋人』という作品は、わたしたちの代替可能性を描きながらも、他者と他者とが溶合する際に流れる”親密さ”を、常に掬い上げている。その活き活きとした描写に、何よりも心打たれてしまう。



1~3巻の根底に流れていた運動は”引き延ばし”であったわけだが、4巻ではのびきってしまった糸がややこしく絡み合い、グルグルと円環運動を描いている。

このまま帰ったら
山手線で永遠にグルグル回っちゃうよ〜

これでは繰り返しだ
私たちはまた同じところをグルグル回ってしまう

という台詞が象徴的だろう。それ以外にも、徹夜の眠気でえいことA太郎の思考がグルグル、ヒロくんの突然のプロポーズ(のようなもの)でゆうこの頭の中がグルグル、ゆうこを背負ったA太郎が阿佐ヶ谷のラブホテルの周りをグルグル。更にはあいこが台東区荒川区、文京区の区境をグルグルと奔走する。そんな「あいこの乱」での時系列をシャッフルさせた奔放な語りの異様な豊かさは何事だ。2巻の「バレンタイン顛末記」でもいかんなく発揮されていた近藤聡乃お得意の脚本術だが、これもやはり時間軸のグルグルだ。いくつかの三角関係を描きながらも、底のほうでは円を描くようにグルグルと回る円錐形の物語だ。ゆうこが4巻収録の106幕「夜のチョコレート」でアポロチョコレートを、2巻収録の36幕「ニューヨークの友達」でとんがりコーンを、すなわち円錐形のお菓子を食べていたぞ!という指摘はただの深読みか。しかし、1巻収録の4幕「チーズ」において、えいことA太郎の再会の場で振る舞われた鍋の中のチーズ、そのビヨーンという"のび"が2人の関係性の引き延ばしを予告していたことを思えば、なくはない話かも。



さて、最大の関心はやはり「えいこがA太郎とA君のどちらを選ぶのか」ということだろう。この社会の倫理からすれば、A君を選ぶのがベターに違いない。しかし、そんな当然の選択すらウダウダ悩むのがこの『A子さんの恋人』という作品なのだから、物語の倫理からすれば、A太郎にかなり分がある。えいこの書く漫画が「えいこにとってのA太郎」のメタファーになっていることに気づくだろう。最初に思いついた素晴らしいアイデアが途中で煮詰まってしまっても、なかなか捨てることができないえいこ。A太郎との関係の断ち切れなさそのものだ。A君は、「全部捨てて、新しく書き直すべき(=A太郎なんか捨てて、俺と一緒になれ)」とアドバイスするのだが、こうも言う。

でも本当のことを言うと
捨てないで
なんとか軌道修正して
うまくまとまるところを
見てみたい気もするなぁ

そして、珍しくA太郎に褒められたというえいこの漫画家としてのデビュー作について、こんな会話が為されている。

えいこ:いや大切というか
気になってるの
A君:気になる?
えいこ:うん
    もうちょっとどうにかできたんじゃないかと思って
    今でもたまに別の結末を考えてみるんだけど
    やっぱり良い案は思いつかないんだよね
    もう忘れてしまえばいいのかもしれないけど
    これでデビューしちゃったから…
A君:・・・えいこ
   それを「大切にしている」というんだよ

A君よ・・・むちゃくちゃ敵に塩を送っていやしないか。間違いなく、今、最もその結末を期待される一作。その結びを、震えて待とうではありませんか。余談ですが、山田が日産JUKEに乗ってあいこちゃんを迎えに来るところ、かっこいいと思いました。

A子さんの恋人 4巻 (ハルタコミックス)

A子さんの恋人 4巻 (ハルタコミックス)

最近のこと(2017/09/02~)

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全日本コーヒー商工組合連合会という実にくどい名前の団体のポスターがかわいかった。この夏、喫茶店によく貼ってあった。しかし、もう疑いようもなく秋である。毎年9月は残暑の中で「秋はどこへ行った?」と大騒ぎだったのだけども、今年は確かに秋が存在している。感覚としては、8月31日できっかり夏が終わったという印象だ。過ごしやすいけど、少し切ない。情けないようで、たくましくもある。玄関のドアを1人で開けよう。90年代育ちなもので、気を抜くと、すぐに小室哲哉のフレーズが顔を覗かせてしまいます。いや、あの年代に思春期を過ごした者は誰しも心の中に小室ファミリーを養っているはずだ。



またしても「最近のこと」を書きそびれてしまった。先々週のこと、もう忘れてしまったな。せめて、週末のことだけでも思い出して記しておきたい。土曜日は友人らとドライブを楽しんだ。行先は静岡、「サウナしきじ」と「炭火焼きレストラン さわやか」というコースである。東名高速が事故渋滞の為、静岡に辿り着くのに、えらい時間がかかってしまった。しかし、車内では『オードリーのオールナイトニッポン』を聞いていたので問題なし。去年の放送で、若林さんが元カノとの結婚を意識していた話がとてもエモくて、車内が盛り上がった。ドン・キホーテでの買い物帰りに、ベンチでセブンティーンアイス(チョコミント)を食べながら嗚咽を漏らして泣いたというディテール描写がよかった。ぜひ映像化して欲しい。静岡に着くやいなや、すぐさましきじを目指す。3時間たっぷりサウナを堪能した。最近サウナに目覚めたという友人らはしきじの水風呂にいたく感動していた。しきじの水風呂はとびきり温度が低いわけではないのに、上がってもしばらくは身体中がひんやりと心地よい。薬草サウナがいつもより温度低めだな、と思っていたらすぐさま常連さんが店員に「温度上げて」と交渉しに行っていて、頼もしかったです。風呂上りに炭火焼きのお店に行くなんてナンセンスだ、と思いつつも、さわやかのハンバーグは相変わらず赤くて美味しかった。
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友人が「生肉は苦手だけど、これはしっかりとした食感があるから、食べられる!」と言っていて、うるせえな、と思った。久しぶりの運転で、腰が痛んだ。日曜日は自転車で阿佐ヶ谷へ。ナカゴー『地元のノリ』を観た。映画監督の今泉力哉が見事な河童ぶりを披露していた。土田亜有未さんのデフォルメはいつも吹っ切れていて最高だ。観劇後、中野のブロードウェイを散策。タコシェで宇曽川正和『HAND CLAP STORY』とスラッコ『しょうゆさしのフェイバリ飯』の2冊を購入した。どちらも自費出版(?)なのが信じられない豊潤さだ。宇曽川正和の漫画は何度読んでも全然わからないのだけども、それでも面白いから何度も読んでしまう。古本屋で安くなっていたサミュエル・ベケットの戯曲全集とリチャード・パワーズ『舞踏会へ向かう三人の農夫』を買う。後はもっぱら「茄子の煮びたし」を食べる日々でした。9月の前半は狂ったように茄子を食べた。



やっと先週のこと。月曜日は阿佐ヶ谷ロフトで『ロロ納涼LIVE2017』を観た。ゲストはEMC。3月に観た「演劇人の文化祭」と曲目などは同じだったが、今回のほうがワチャワチャしていて、文化祭ぽかった。なんたって、大喜利あり、特別フードありだ。そういえば、亀島くんが加わった6人バージョンのロロマップは今回が初めだだったはずだ。ロロとEMCによる楽曲「ミーツミーツミーツ」は超名曲なので、ぜひとも音源化して欲しい。まもなく始まる本公演『BGM』が楽しみ。もてスリムさんが書いているフィールドワークレポートや、対談はどれもおもしろいので必読。
note.mu
気が付いたら2日連続で阿佐ヶ谷にいる。阿佐ヶ谷姉妹は、阿佐ヶ谷駅の道路を挟んだ2つのスーパーの抗争に巻き込まれているらしい。江理子さんがイトーヨーカドー派、美穂さんが西友派だそうだ。ちなみに私は西友の陳列の無機質さというか工業感があまり好きじゃないので、イトーヨーカドー派かな。どっちでもいいわ。



火曜日。タワレコとユニオンでやなぎさわまちこ『わたしの向こう側』、小沢健二SEKAI NO OWARI『フクロウの声が聞こえる』を購入。

わたしの向こう側

わたしの向こう側

やなぎさわまちこはayU tokiOプロデュース。全曲好き。小沢健二はカップリングの「シナモン(都市と家庭)」もかっこいい。こっちをceroとコラボで両A面リリースしていれば、セカオワを毛嫌いする音楽ファンも納得してくれたことでしょう。Netflixで『ボージャック・ホースマン』のシーズン1を観終えた。
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まっことに素晴らしかった。アニメーションシットコムの極地。ラストの2話で、この作品にシュルツとディケンズが顔を覗かせていたことに気づく。間髪を空けずにシーズン2に突入することに。
月曜日の友達 1 (ビッグコミックス)

月曜日の友達 1 (ビッグコミックス)

阿部共実『月曜日の友達』1巻を読んで、その表現力に圧倒される。話が読みやすくなっているのもありがたいのだけども、とにかく雄弁な絵が凄い。『フリースタイルダンジョン』のFORKのバトルに打ち震える。「フレッシュなライムを届ける為に ラップして包むんだろ ちがうか?」に完全にまいってしまった。日本語の天才。



水曜日。疲れが溜まっている気がしたので、帰宅してすぐさま近所の銭湯へ。サクっとサウナを楽しんだ。肩凝りも解消。風呂上りに、サブウェイでツナのサンドイッチを齧り、シネコンジョン・ワッツスパイダーマン ホームカミング』を観る。前情報を入れてなかったので、ヴィランマイケル・キートン(元バットマン)なのに驚いた。スーツも車も乗りこなせない子どもである、スパイダーマンがいい。ジョン・ワッツの紡ぐこのモチーフは『COP CAR コップ・カー』から一貫している。ジョン・ヒューズリスペクトの学園ものパートだけでも観ていられた。でも、100分くらいならもっとよかったな。『水曜日のダウンタウン』の替え歌選手権の野生爆弾くっきーとハリウッドザコシショウに身体が熱くなるほど笑ってしまった。「全 全 全アバラ」と「恭平柴田の走り方」が頭から離れない。セーム・シュルトのボディで全砕けしたいので、野生爆弾の国際フォーラムで行われる単独ライブのチケットを購入した。Amazonプライムの『野性爆弾のザ・ワールド チャネリング』も少しずつ観ている。OP曲が電気グルーヴの「少年ヤング」なの、かっこいい。



木曜日。仕事後に新宿へ。紀伊國屋で本を見て回り、地下の「モンスナック」でサラサラのカレーを食べる。
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「モンスナック」は途中で飽きてしまう。テアトル新宿坂元裕二の朗読劇を観た。酒井若菜の熱演に感動。会場でたくさん芸能人・有名人を観た。「行きました!」とSNS等で発信が確認できた人に限るならば、サンボマスター山口と浅草キッド水道橋博士と佐久間プロデューサーを目撃した。山口さんと博士に関しては、トイレで並んで用を足した。頻尿なので、映画や演劇の前に飲み物が飲めない、というような話をしていてほっこりした。佐久間さんが開演前に小腹が空いたのか売店でウエハースを買い、ロビーで食べている姿が凄くよかった。よくわかりませんが、とても信頼できる感覚だ、と思ったのだ。家でお土産にもらった「湘南ハニーレモン」というお菓子を食べる。これがめちゃウマ。平塚市を中心に展開している「葦」という洋菓子屋さんの名物らしいのだけども、甘さと酸味のバランスが最高。元気が出るお菓子だ。HPをチェックしてみたら、商品説明も素敵だった。

しっとりとした口あたりの生地に、レモンの甘酸っぱいおいしさをぎゅっと閉じ込めました。レモンの爽やかな風味とハチミツのまろやかなコク・・・。たっぷりのレモングラス(レモン砂糖)で大切にコーティングしました。

全体的にいいが、「大切にコーティングしました」ってところが凄く良いですね。



金曜日。『ミュージックステーション』に小沢健二SEKAI NO OWARI乃木坂46が出演するというので、一目散に息を切らして帰宅。乃木坂46の新曲は、振付も含めて毒にも薬にもならぬ感じ。歌い出しのフロント4人の不安定な生歌はよかったけども。齋藤飛鳥さんのかわいさ、天井知らずだ。『あさひなぐ』の映画は、推しメンでもある桜井玲香さんと伊藤万理華さんに期待している。白石麻衣さんも女優として、ポスト真木よう子(いい意味です)だと思っているので楽しみ。服部オーケストラまで従えての小沢健二SEKAI NO OWARIのパフォーマンス、むちゃくちゃハートにきてしまって何度も観直した。深瀬慧の歌の上手さに、改めて痺れる。溜まっていた録画を消化していたら、あっという間に真夜中になってしまった。『ハロー張りネズミ』9話がまじでよくわからなかった。



土曜日。時間に余裕があったので、念入りに掃除と洗濯をした。秋晴れで気持ちがいい。久しぶりに近所のとんかつ屋に行ってカツカレーを食べた。
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こんなに美しいカツカレーがありましょうか。ここはカレーもスパイスの効いた本格派の美味さなのだ。自転車に乗って、ユナイテッドシネマとしまえんへ。クリストファー・ノーランダンケルク』をIMAXで観た。なんて美しいショットの数々。そして、サウンドの迫力。ストイックな戦争体験の果てが、いい話っぽくまとまるのがどうも釈然としなかった。あとこれは自分の認識力の無さなのだろうけど、複数の時間軸が並走してラストで交差していく手法の感動ポイントが掴みきれなかった。一瞬だけ映る兵士がceroの髙城さんに似ているなーとか思っていたんですが、なんとスチールになっていた。
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どうでしょう、ちょっとだけ似ていませんか。そこから自転車で大泉学園まで移動して、レイトショーで黒沢清散歩する侵略者』を観た。ウルトラセブンジョン・カーペンターと『宇宙戦争』で「いやんなっちゃうなぁ、もう」(©杉村春子)な快作だった。苛立つまさみは今まで観てきた長澤まさみで1番いい。概念のない松田龍平の表情と身体性はあまりにもハマっているし、長谷川博己のサングラスは最高だ。1分程度の出演ながら観る者を虜にする東出昌大のおぞましさ。若い2人の宇宙人も、前田敦子満島真之介もよかった。夜の地方都市を散歩するシーン、好き。
hiko1985.hatenablog.com
クリーピー』に続いて、シネコン黒沢清が観られるのうれしいな。邦画の予告を大量に観たが、どれもしんどそうだった。中条あやみさんが変なバンド映画に出るみたいでかなしい。福田雄一ばかりが映画やらドラマを撮らせてもらえる状況、辛い。日本のコメディ、全部殺すマンだ。『ユリゴコロ』の予告で聞いた吉高由里子の声が凄くて、感激した。ブックオフ練馬高野台店でSMAPのライブVHSを3本購入。どれもナイス選曲で観るのが楽しみだ。帰りにコンビニで買った湖池屋プライドポテトの「柚子香るぶどう山椒」が美味しかったです。



日曜日。草加健康センターへ行ってきました。久しぶりだったけども、やっぱり最高。熱々のサウナに、15℃とキンキンに冷えた水風呂。しかも、凄まじい攪拌で熱の衣を吹き飛ばすものだから、1分も入っていられない冷たさ。芯から温まった身体が、芯から冷えていく。その快感ときたら。陽光の入る露天で椅子に座っていたら、あまりの気持ち良さに寝落ち。サウナ後の餃子とビール(ノンアルコール)が美味い。
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あと、特製タレにつけて食べる手羽先も美味しかったです。食堂は今日もカラオケ大会中。基本、演歌か徳永英明なんですけど、この日はおっさんがスピッツの「チェリー」歌っていました。買い物して帰宅。YouTubeになぜかフルであがっている槇原敬之のライブ映像を堪能した。2002年の『THE CONCERT CONCERT TOUR 2002 〜Home Sweet Home〜』のファイナルである。復帰後初のライブということで序盤はマッキーのパフォーマンスがややぎこちないのだけども、選曲、歌唱、演奏とどれをとっても文句なし。いきなりスローナンバー6連発、それも「うん」「今年の冬」「まばたきの間の永遠」「ズル休み」「もう恋なんてしない」「MILK」である。生で聞いたら死ぬ。美麗なコーラスワークまでこなすバンマス小倉博和サザンオールスターズのサポートやBANK BANDでお馴染み)のギタープレイも最高。どう見てもヘヴィメタルプレイをかましそうなルックスなのに、実にアーバンなハーモニーを添える。あのルックス、ただそれだけでグッとくるので、ぜひこのライブ映像、観て欲しい。この日の『乃木坂工事中』は楽しかった。『欅って、書けない?』のツアードキュメントもよかった。ずーみんの復活パフォーマンス、泣いてしまった。

小沢健二とSEKAI NO OWARI『フクロウの声が聞こえる』

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約20年の空白を経て、小沢健二が再び表舞台にその姿を現した。しかも、とびきりの新曲を携えて、だ。もう「懐メロ出稼ぎおじさん」といったような揶揄は通用しないだろう。ニューシングルはまさかのSEKAI NO OWARIとのコラボレーション。度肝を抜く発想と行動力でもって人々の関心を弄び、視線を釘付けにする。小沢健二のポップスターとしての強度は健在である。しかし、彼は何故、一度は真っ向から否定した音楽シーンに舞い戻ってきたのだろう。2017年4月23日にフジテレビ系で放送された『Love Music』の中で小沢健二ceroの間でこんな対話がなされている。

cero「なんでまたポップスをやりだしたんですか?」
小沢「ceroの3人みたいな人がいるので、本当にそれが全てです」

これまであらゆる言葉でファンを欺き戸惑わせてきた小沢健二であるが、「本当にそれが全てです」とまで言っているのだから、言葉を額面通りに受け取ってみよう。小沢健二にとって”本当”という言葉はそれくらい重要なものであるはずだ。cero小沢健二を焚きつけたのである。ブラックミュージックへの憧憬と日本語表現との折衷、並行世界への眼差しなど、両者を繋ぐリンクは多々あるわけだが、復帰後の小沢健二ceroに対して何より共鳴したのはこのラインではないかと夢想する。

シティポップが鳴らすこの空虚
フィクションの在り方を変えてもいいだろ?


cero「わたしのすがた」

音楽を通じて”物語る”姿勢、その責任。そして、音楽には都市の在り方を変容させる力があるということ。そのことを改めて、ceroSEKAI NO OWARIといった若いミュージシャンらに気づかされ、小沢健二は”ストリーテーラー”として復活を遂げたのだ。そんな風にしてポップスの世界に戻ってきた小沢健二の新曲、そこに迸るパッションはちょっと尋常ではない。何とか物事を良き方向に導こうとする力、のようなものが全編に貫かれている。言葉や音楽を通じて、この国の都市の空虚を吹き飛ばしてやるのだ、というようなメラメラと燃える革命の意思が垣間見える。いや、そもそも90年代の小沢健二も「喜びを他の誰かと分かりあう!それだけがこの世の中を熱くする!」と世界を変容せんとす、革命家であった。しかし、当時の楽曲は「喜びを分かりあう誰か」を探し求める青年のナイーブなドキュメントの側面が強かった。それこそが「いちょう並木のセレナーデ」といった楽曲群が今でもなお私たちの胸を切なく締めつける秘密なわけだけども、家庭を持ち、”他の誰か”の存在が明確になった現在の楽曲は、また一段階ギアが変わったような力強さを備えている。

意思は言葉を変え
言葉は都市を変えていく


「流動体について」

都市と家庭を作る 神話の力


「シナモン(都市と家庭)」

小沢健二は都市を家々の連なりと捉え、都市のありかたを変える為に、まず家庭というものに魔法をかけていく。そこでリリースされたシングルが、まるで子どもに読み聞かせるかのような『フクロウの声が聞こえる』である。そのコラボレーションの相手には賛否両論があるようだが、シーンのど真ん中への浸透力はもちろん、ソングライティング、編曲センス、歌唱力・・・どこをとっても、SEKAI NO OWARIが若手ミュージシャンの中で群を抜いた存在であることは、現行のポップミュージックフリークであれば自明のこと。
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実際のところ、彼らの持つチャイルディッシュで全能感溢れるサウンドと服部隆之率いるオーケストラの相乗効果は聞いての通りで、”魔法的”と呼ぶにふさわしい、生命の躍動そのものみたいな音が鳴っている。ライブ披露時のXTCもしくはムーンライダーズ直系というような渋めのロックバージンも捨てがたいが、このシングルアレンジによって楽曲の持つスケール感が格段に底上げされた。リリックに目を向けてみると、チョコレートのスープ、怪物、スーパーヒーロー、クマさん・・・まるで童話のようなフレーズが散らばめられている。それらはかつて両親(小澤昔ばなし研究所)から読み聞かされたノスタルジーであり、子どもたちに未来に向けたまなざしでもあるのだろう。小沢健二SEKAI NO OWARI深瀬慧に、自らの息子たち(もしくは若い自分自身)の姿を重ね、読み聞かせるように歌っている。いや、読み聞かせるというのではなく、共に森の中を進むことで、何か”大きなもの”を伝えようとしているようだ。それには何より物語が有効だ。小沢健二は、子ども達の「虚構の中から"本当のこと"を探し当てる力」を信じ抜いてている。

いつか本当と虚構が一緒にある世界へ
いつか混沌と秩序が一緒にある世界へ
いつか絶望と希望が一緒にある世界へ
いつか孤高と協働が一緒にある世界へ
いつか残酷さと慈悲が一緒にある世界へ
ベーコンといちごジャムが一緒にある世界へ

「いつか~へ」という構文から、「こういう世界を作っていこうよ」というように読めてしまうのだけども、よく考えてみると、これらはこの現実の世界そのままを歌っているように思う。本当と虚構、混沌と秩序、絶望と希望、孤高と協働、残酷さと慈悲、ベーコンといちごジャム、そういった二律がないまぜになっているのが、この世界だ。「いつか」という言葉は、子どもたちにかかっている。彼らは、今いるシェルターのような温かい場所から、バカバカしく混乱した(でるからこそ豊かで美しい)世界へと、いつかは1人で旅立っていかねばらない。

小沢健二は、その時に向けて、できるだけの準備をしてあげたい(≒生きることを諦めない強さを与えてあげたい)と考えているのではないか。できるだけの濃密な時間を過ごさせてあげたい、あとで振り返ったとき、その温かさで涙を流してしまうような。その記憶こそが、私たちの歩みを進め、次の家庭を作る。まさに、「愛すべき生まれて 育ってくサークル/君や僕をつないでる緩やかな 止まらない法則」である。

震えることなんてないから 泣いたらクマさんを持って寝るから
いつか残酷さと慈悲が一緒にある世界へ
ベーコンといちごジャムが一緒にある世界へ
はじまりはじまりと扉が開く

と歌うこの「フクロウの声が聞こえる」という最新ナンバーと、代表曲「天使たちのシーン」の間に大きな距離はない。

冷たい夜を過ごす 暖かな火をともそう
暗い道を歩く 明るい光をつけよう

涙流さぬまま 寒い冬を過ごそう
凍えないようにして 本当の扉を開けよう カモン!

どちらも等しく、「怪物をおそれずに進むこと」を教えてくれているのだ。コングラッチュレーション、今宵、僕たちは友達のように踊るんだ。

坂元裕二「朗読劇ーVOICE OF BOOK」第一夜『カラシニコフ不倫海峡』

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『往復書簡 初恋と不倫』の出版を記念して、「朗読劇ーVOICE OF BOOK」が、テアトル新宿で上演された。二夜限定の催しの内の、第一夜『カラシニコフ不倫海峡』を目撃することができた。読み手は豊原功補酒井若菜。この坂元裕二の朗読劇は2012年、2014年に続いて3度目の再演である。これまで様々な俳優の組み合わせで上演されてきたわけだが、唯一その3回全てに出演しているのが酒井若菜だ(しかも、必ず初日を任されているらしい)。「俳優は声で選ぶ」と公言する坂元裕二であるから、その”ヴォイス”に絶大な信頼を寄せられている事が窺える。その期待に応えるように、見事な声色のコントロールでもって、1人の女性に内包される”複雑さ”を演じ分けていく。


人間というのは、とにもかくにも複雑な生き物だ。子どもの頃に見たアニメのように「正義と悪」といった単純な二律は、現実においては存在しない。この戯曲においても、複数の女性との不倫を重ねる男がアフリカで地雷除去のボランティアに励んでいたりする。不倫をされたかわいそうなはず男が、世間に対して詐欺行為を働く。作劇としては親切ではないかもしれない。しかし、坂元裕二はそういった複雑な人間を描くことで物語と現実を深く結びつける。


複雑な人間の持ち得る感情は混乱している。どんな絶望に包まれていようとも、おかしい時は笑うし、お腹が減れば食事をする。つい先日、妻を亡くしてほどなくディズニーランドに行ったという歌舞伎俳優が、世間から「不謹慎だ」と叩かれた。実にバカらしいではないか。深い哀しみに暮れながらも、「プーさんのハニーハント」に乗れば、人は笑顔になる。同時に、いくら夢のような国にいようとも、哀しみは心の奥底にベットリと張り付き、彼を逃さなかったことだろう。人間の感情は決して単一ではない。しかし、その”複雑さ”に触れた時、我々は生きることの美しさを知る。序盤の全てを諦めたかのような酒井若菜の声に、ほのかに高揚の色が宿っていく。その瞬間の”音”を聞くという体験はこの上ない興奮であった。


とにかく役者としての技術に長けた酒井若菜だが、終盤の読み上げにおいて、もう堪え切れないというように、嗚咽を漏らし泣き出し、芝居を止めてしまう。この技術を超えた慟哭に深く心を動かされてしまった。それ自体が彼女の”演じるということ”に含まれていた可能性も否定はできないが、私にはそうは見えなかった。

この世界には理不尽な死があるの。
どこかで誰かが理不尽に死ぬことはわたしたちの心の死でもあるの。

この世界に起こる全ては、誰の身にも起こりえる。『カラシニコフ不倫海峡』はそういったことを執拗に訴え続ける物語だ。この世界は”哀しみ”に満ちている。イジメ、幼児虐待、少年犯罪、離婚、差別、偏見・・・(これまで坂元裕二がテレビドラマで取り上げてきたあらゆる負の描写だ)、もしくはカラシニコフ自動銃を握り殺人を犯す少年や、地雷を踏んで命を落とす少女。あらゆる“理不尽さ”の上に我々は暮らしている。あの瞬間、嗚咽をもらした酒井若菜は、役柄を超え、酒井若菜自身として、”わたしたち”の代わりに、この世界の痛ましさに涙を流してくれていたように思える。あの空間において、我々と酒井若菜は、「観客と役者」という枠組みを超え、確かな関係を結んでいた。そこから始めるべきなのだろう。この世界とのあらゆる繋がりを実感していく為に。



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ひめだまなぶ『クルマごっこ』

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姫田真武(ひめだまなぶ)の作るアニメーションの中で、この『クルマごっこ』が1番好きだ。各地の映画館で作品上映前に流れていたようで、ゲリラ的に遭遇したこのアニメーションと歌が、頭から離れず困ったという人も少なくないのではないだろうか。そんな方もご安心、2017年に入って、YouTubeに作品がアップロードされたようなのだ。
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わずか2分20秒の短編だが、楽曲とアニメーションの制作を兼ねる、ひめだまなぶの底知れ才能が迸っている。あまり意味のないことだが、アニメーションのあらすじを書き起こしてみよう。

右折も左折もできないペーパードライバーのぼく。(曲がったことが大嫌いというわけではないのだけども)曲がらず済むよう、真っすぐな一本道を作ることにする。完成したその道を、ぼくみんなを乗せてドライブに出かけます。何も遮るものがないその道を、猛スピードで飛ばします。100キロ、200キロ、100万キロ・・・そのあまりの速さに、乗車していたお父さんも、お母さんも、お姉ちゃん、おじいちゃんも、おばあちゃんも、みーんなみんな吹っ飛んでしまう。でも、ハンドル握ったぼくは吹っ飛ばない。「誰もいなくなってしまい、寂しいな・・・」とふさぎこむも、すぐに「スピードの出し過ぎには気をつけよう」と、反省の思考に至ります。どんなにスピードを出しても、ハンドルを握っているぼくは吹っ飛ばない、のだけども、洋服や髪の毛は風圧に耐え兼ね吹っ飛んでしまう。「すっぱ裸で恥かしい!」と赤面するも、「誰もいないから恥ずかしくない」ということに気がつきます。せっかく裸になったのだし、「お風呂に入ろう!」とハンドルを離したぼくがいよいよ吹っ飛んで、お風呂場にポチャン。そこには、先に吹っ飛んだ家族や友人が揃っていて、みんな裸でバンザーイ。

"ぼく"の思考は分裂気味で、物語にも整合性がない。絵柄は不気味だし、色彩感覚はサイケデリック、まるで子どもの頃に見た悪い夢のように不安な気持ちにさせられる。しかし、一方で内容自体はとことんポジティブだ。全体を貫くチャイルディッシュな万能感も心地よく、「誰にだって、なんだってできるのだ」というようなフィーリングを与えてくれる。フリーハンドの鼻歌のようでいて、ポップスとしての強度を兼ね備えた楽曲も相まろ、強い中毒性を放つあまりにもオリジナルな傑作だ。


あまりに強烈な個性で、その出自が掴みきれないわけだが、『クルマごっこ』のドライブシーンにあるアニメーション作品へのオマージュが閣員できる。

ちびまる子ちゃん?わたしの好きな歌? [VHS]

ちびまる子ちゃん?わたしの好きな歌? [VHS]

ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌』(1992)において、湯浅政明が演出を担当した「1969年のドラッグ・レース」(大瀧詠一)だ。「ひめだまなぶのルーツは湯浅政明か!」と思わずハタと膝を打ってしまう。いや、もっと辿っていけば『ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌』と関係が深い、さくらももこ、たまに辿り着く。さくらももこやたまの持つ、デフォルメ力、コミカルと叙情のバランス、童謡性は、ひめだ作品と強く共鳴している。ひめだまなぶは、音楽とアニメーションの融合という分野において金字塔を打ち立てた『ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌』の志を引き継ぎ、現代において更新しようとしているアーティストと言えるのではないだろうか。この『クルマごっこ』以外にも傑作揃いのひめだアニメーション、ぜひチェックしてみて頂きたい。紛れもない若き天才なのだ。


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