青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

坂元裕二『カルテット』7話

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素晴らしい!!6話ラストの怒涛の急展開をして、やはり『ファーゴ』なのか!?と盛り上がっているふりをしながらも、満島ひかりの「だいたい7話くらいで坂元さんは・・・ちょっとねぇ」という愚痴に共鳴している自分がいました。しかし、7話においても決しておかしな方向に舵を取らず、これまで積み上げてきたものを礎にしながら、物語が転がっていった事にホッと胸を撫でおろしております。物語の加速度はグングンと上がり、それらがカーチェイスアクションで発露されていく。めくるめくドライバーチェンジを積み重ねるカーアクションの連鎖(一体、この7話で何度の車の乗り下りがなされたのか)は出色の出来栄えだろう。6話、7話とすっかり蚊帳の外の男性陣もいい味を出している。倉庫に閉じ込められた別府(松田龍平)が通路に出した助けを求めるメモが無残にもひっくり返り、雪道でひっくり返っているピクニッククイズボードを家森(高橋一生)が拾う、というアクションの繋ぎ。「ひとりになりたい時に食べるケーキってな〜に?」、そんなクイズの回答である

ホットケーキ(ほっとけー)!

の言葉通り、男性陣2人が見事に物語から放っておかれてしまう脚本の手捌きにうっとり。あのすずめ(満島ひかり)の

夫婦が何だろう?
こっちだって同じシャンプー使ってるし
頭から同じ匂いしてるけど

という切実な台詞を前にして、時間軸が入れ替わっているなどという推論は吹き飛ぶのでは。あの台詞には確かに過去(3話)の記憶が重なっているではないか。家族や夫婦を超えるコミュニティを描いてきたこれまでの5話が、未来であってたまるか。

みんなおもしろい
みんなのおもしろいところを
みんなでおもしろがって
欠点で繋がってるの
ダメだねーダメだねーって言い合ってて

という真紀(松たか子)の台詞に潜む人間の業の肯定、その賛歌に泣く。ドーナッツに穴が空いているのは、そのほうが繋がりやすいからだ。人間はかくも滑稽で、ゆえに愛おしい。『カルテット』がグレーの色彩で描く、最も伝えたいメッセージはこれだろう。



さて、7話のテーマは実に明快。”巻き戻し”である。レモンのかけられた唐揚げのように、”不可逆”であるのが時の流れにいるものの常であるのだが、その律が破られたのが、5話だ。すずめが盗聴録音していた音声が真紀の手によって再生される。録音されていた”過去”の時間が空間を支配する。あの瞬間から、”不可逆”という律に則っていた『カルテット』というドラマが、それに抗うように”リバース”の運動を湛え始める。例えば6話における巻夫婦のかつての時間へのプレイバック。そして、思い出したいのはその回想において交わされていた会話。

真紀:この人たち、さっき別々の場所に居たのになんで一緒にいるの?
幹生:あ・・・これ実は時間が変わってて翌日の場面なの
   え、巻き戻す?

7話ではED曲が序盤に流れるという大胆な演出でもって「今話はリバース回ですよ」と宣言している。そして、有朱(吉岡里帆)が車に乗り込むと、彼女がギアのシフトレバーを”R(リバース)”に下げる瞬間を丁寧にカメラに収める。有朱が3度も披露してみせる、まるで逆再生を見るかのような見事なバック運転でもって、その感触は確かなものになるだろう。その他にも、「すばやく下りてみたから すばやく戻るね」という家森の傾斜でのアップダウン、夫の呼びかけごとに階段を上り下りする真紀、コンビニを順路と逆さまに出ていく真紀とすずめ、生き返る有朱、などリバースの運動は枚挙に暇がない。ガムテープで巻く、包帯を巻く、オムライス(卵で巻く)など、キュルキュルと巻き戻るリバースの感触を演出する小道具も充実している。



不可逆に抗ってまで巻き戻したかったのは、巻夫婦の関係性、いや、幹生の恋心ではないだろうか。つまり、真紀の”祈り”のようなのものである。1年ぶりの夫との再会に、思わず顔を手で覆う真紀。綺麗な状態で夫に再会したい、妻の恋心は今なお健在である。消毒液を取るついでに、真紀が鏡で髪型と化粧を直すシークエンスには思わず声を上げてしまった。なんせ、視聴者と(幹生)としては、殺人事件が宙ブラリにされている状態なのだから。そんな緊張状態の中で描かれる切なくも愛おしい恋心。

彼のことが好きなんだよ
ずっと変わらないまま好きなんだよ
抱かれたいの

と実にストレートにその感情を吐露し、東京へと舞い戻り、つかの間の夫婦の時間を取り戻す。バスローブを使った巻夫婦固有の、2人の間だけで通じる戯れ(1話で披露されたように、それはほかの人相手ではまるで功を為さない)。食の好みが似通ってきていること(おでんでご飯)、食卓を囲んで話題を共有すること。脱ぎ捨てた靴下もそのままに、1年前から”一時停止”されていたあの部屋に夫婦の愛が再生されていく。しかし、やはり幹生の気持ちは巻き戻らない。幹生は真紀を、愛しているけど、好きじゃない。柚子胡椒が、6話の回想に倣うようにリビングとキッチンの分断を引き起し、その残酷な事実を浮き彫りにする。大事に思っている、忘れたことはない、楽しかった、幸せだったetc・・・あらゆる言葉を駆使しながらも、幹生の口からは”好き”の二文字が出てこない。

こちらこそありがとう
結婚して2年…3年間
ずっと幸せだったよ...好きだったよ

と、真紀が最後の最後まで、幹生からの”好き”という言葉を誘導(期待)しているのが、切ない。尋常ならざる瞳の情報量でもってあらゆる繊細な感情を表現してみせる松たか子の熱演もまた涙を誘う。



結局、巻き戻ったのは名前(旧姓)。そして、カルテットという新しい家族(のようなもの)で囲む食卓である。カルテットの夕食にはこれまで決して並ぶことのなかった茶碗飯でお好み焼きを食べる真紀。そこには、おでんでご飯を食べた幹生との時間を引きずるような、慈しむような態度が見てとれないか。

彼が教えてくれる映画もね
どれもおもしろくなかった
こんなにおもしろくないもの
「おもしろい」って言うなんて
おもしろい人だなって
よくわからなくて 楽しかったの

趣味趣向から何まで徹底的にすれ違った2人を、やさしく肯定する。*1余談にはなるが、これは「君のオススメに面白いものはひとつもなかった それでもついていきたいと思った」(愛してる.com)と歌った6話ゲスト大森靖子への坂元裕二からのオマージュだろう。*2そして、燃やされる詩集。あのシークエンスは、女は吹っ切れるのが早い、とかいうような決別を描いているのではないだろう。

せっかく名前取り戻したのに
"巻き"戻ってる感がありますもんね

マキさんだと"巻き"戻ってる感ありません?

という家森のしつこい駄洒落に倣うのであれば、真紀は薪(マキ)をくべているのだ。燃え上がるような恋、それに伴う憎しみ、そんな気持ちはいつか燃え尽きて、全ては優しさの中に消えてしまう。しかし、その熱は冷めることなく、真紀を(あなたを)どんな時でも暖めるだろう。これまで坂元裕二が繰り返し描いてきたモチーフの変奏が、あのシーンに息づいている。

*1:サブカルクソ野郎が泣いた

*2:最高の離婚』のドストエフスキーをめぐる挿話などでもすでに描いてはいる