青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

坂元裕二『カルテット』4話

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軽井沢の別荘にゴミが溜まっていく。なるほど、カルテットのメンバーは皆一様にして”捨てられない人”だ。たとえば、すずめ(満島ひかり)ならば同僚からの”出てけ”のメモを引き出しが一杯になるまで溜め続けていたし、巻(松たか子)は失踪した夫の靴下をそのままの形で保存する。別府(松田龍平)は長年の巻への片想い、家森(高橋一生)は別れた家族への想い、もしくは”アジフライにはソース”というこだわりを捨てられない。この捨てられなさは当然、”呪い”というイメージと結びついていることだろう。捨てられないゴミは腐臭を放ち、別荘の部屋に侵食してくる。この”侵入”のイメージが4話のキ―である。ゴミに続いて、半田が、そして鏡子(の眼鏡)が、光太が、茶馬子が、次々に他者が別荘に侵入してくる。これまでカルテット以外に別荘に入ったのは、有朱だけ。しかし、それはすずめのみが在宅中の時であったはず。4人が揃った別荘に他者が侵入してくるのは初めてなのだ。であるから、この4話は徐々にチューニングのとれてきたカルテットの調和に再びノイズがきしむ。”侵入”のイメージはこれだけに留まらず、これまで映されることのなかった家森の部屋に3人が、巻の東京のマンションに別府が、足を踏み入れることとなる。そして、放送のラストにおいても何者かが巻の部屋に”侵入”してくる、というサスペンスフルな結びをみせている。余談にはなるが、半田の風邪のウィルスは家森に侵入し、床に伏せさせることとなる。半田が軽井沢の冬景色において、執拗にカーステレオで杉山清貴&オメガトライブの「ふたりの夏物語」を流す異物感も、どこか彼が”侵入者”であることを体現しているようだ。*1


4話の主役は家森諭高。足の臭い美人が好き。元妻である茶馬子は何故だか冬でもサンダルを履いているわけだけども、きっとそれは蒸れるとすぐに臭くなってしまう足を気にしているからで、家森はそれを察することができずにその風変わりな行動を咎めるし、茶馬子もまた自身の足の臭さがチャームポイントになりえることに気づけない。実にさりげなく絶望的な”すれ違い”が描かれている。トイレのスリッパを履きっぱなしにしてしまう、という所作(もしくは臭み)ですずめと茶馬子を結びつけてしまうのも、「茶馬子はおれのこと知ってるからねぇ」という一言で家森からすずめへの好意をさらっと表現してしまうのも実に巧みである。他にも、水を飲む時は身体を持ち上げてあげる、というかつての習慣が必要なくなっていることで子どもの成長(と家森との空白の時間)を表現したり、半田の「痛くして悪かったね」で家森の家族への愛情を妻に悟らす、などいちいち"ながら見"厳禁な渋い脚本と演出のオンパレード。

結婚ってこの世の地獄ですよ
婚姻届は呪いを叶えるデスノートです
毎日喧嘩して離婚届を持ってこられて、それでも息子と離れたくないから抵抗していたんですけどある時、駅の階段から落ちて…とにかく人生であんなに憎んだ人はいません

坂元裕二ファンであれば、誰もが『最高の離婚』(2013)のフィーリングを嗅ぎ取り、狂喜したことだろう。もともと家森の理屈っぽさは完全に光生(瑛太)だったわけですが、不思議と髙橋メアリージュンの佇まいも結夏(尾野真千子)のように見えなくはない。であるから、もう家森と茶馬子の喧嘩でのやりとりは『最高の離婚』の並行世界を観るようだ。それはつまりは『最高の離婚』の光生と結夏と同様に、まったくそりが合わないように見える家森と茶馬子の間にも確かに愛が存在していた(る)ことを想わされる。「20代の夢は男を輝かすけど、30代の夢は男を燻ますわ」「子をかすがいにした時は夫婦は終わりや」みたいなフレーズは確かにキレキレだが、これらはあくまで「NAVERまとめ用」と個人的には考えている。それよりも、ここである。

家森:茶馬子は俺のドラゴンボールだよ
   のどぐろだよ キンキだ クエだ
茶馬子:あと?
家森:あと・・・伊勢海老
茶馬子:魚!
巻:(家森に小声で)関さば・・・
家森:・・・関さば!

まったく意味のない高級魚の言葉遊びで微笑み合える家森と茶馬子(さりげなく巻も絡んでいるのも見逃せない)。これこそが、他人である2人が一緒に生きていく理由みたいなものではないだろうか。こういった愛の描き方こそ、坂元裕二の真骨頂だと思っている。愛を実に曖昧な繫がりがで描く。離ればなれに暮らす家森、茶馬子、光太を”家族”たらしめていたのは何だったろうか。”音”である。家森が口笛で吹くメロディーと光太のリコーダーの音色が共鳴したことで、すれ違わんとしていた2人の繫がりが結び直される。茶馬子の独特なチャイム音の鳴らし方で、家森が元妻の到来を確信する。音が3人を家族たらしめる。では、4人で同じ音を奏でるカルテットはどうだろう。やはり、曖昧な繫がりをより強固なものにしている。同じブランケットに包まれて震えるすずめと家森、当然のように衣装(ベージュのダッフル)を共有する別府と家森、並んで歯を磨き、並んで家森の涙を覗き見し、揃いの少女漫画風メイクで並んで写真を撮る(4話における並列カットのなんと多いことか!)。嘘と秘密が交錯しもつれ合う第4話*2でありますが、この”共同体の繫がり”の強さに偽りはない、と信じたい。



”捨てられない人”であるはずのカルテットメンバーだが、巻は夫をベランダから捨てたのでは、という疑惑が持ち上がる。これまで繰り返し演出されてきた、転倒や落下のイメージがここに集まってくるとは。巻は夫を殺したのか、つまり、彼女は善人か/悪人か、というのが視聴者の関心をリードしていると思うのだけども、そこにはっきりとした結論は下されないだろうと予想している。別府が、「これから本心を話しますよ」というメタファーを託しながら、甘栗の皮を剥いて語った言葉を思い出したい。

あなたといると2つの気持ちが混ざります
楽しいは切ない
嬉しいは寂しい
優しいは冷たい
愛しいは・・・虚しい
愛しくて愛しくて虚しくなります

2つの気持ちが混ざる。これは2話の”赤”と”白”で紅白、3話の”赤”と”緑”でクリスマス、と繰り返し演出されてきた構造。別府の叫びは、あいまいなものはあいまいなままでいい、という祈りの裏返しだろう。巻が善人か/悪人か、白か/黒か、というのは重要ではない。

ああ 白黒つけるのは恐ろしい 切実に生きればこそ

そう人生は長い、世界は広い
自由を手にした僕らはグレー

それはエンディング曲「おとなの掟」がすでにテーマとして鳴らしている。白と黒の混ざったグレーこそが、本作の描くものだ。ちなみに、この”混ざる”という演出は4話でも頻出している。半田が風邪薬にアポロのチョコを混ぜるのもそうだろうし、家森の手を振ってはしばし別れてからの涙拭き(高橋一生の一世一代の名演)、そして、子別れの涙の後に見せる笑顔もそう。涙の後にすぐさま笑いがくることがある。別れ話をしながらでも朝焼けのベランダで食べるサッポロ一番は美味しいし、実の父が死んだ直後でもカツ丼は旨い。坂元裕二の脚本は、悲しいのに笑うことも、「死にたい」と思いながら、ご飯を食べることも否定しない。この複雑な世界は、決して単一的な感情でできていないことを、徹底的に解明してくれるのだ。

*1:その証左というわけではないが、舞台が横須賀に変わると、半田が口ずさむのは山口百恵の「横須賀ストーリー」に変わる。ただの”物語懐メロ”大好き副部長なのだ。

*2:え、まだ4話なのか