
<A面>
映画『バトル・ロワイアル』が公開25周年を記念して、2週間限定ながら全国75館でリバイバル上映。スクリーンで『バトル・ロワイアル』が観られるだなんて!!2000年に公開された『バトル・ロワイアル』は、わたしにとってあまりにも特別なフィルムだ。というのも、公開当時わたしは中学3年生、劇中の登場人物と同い年の15歳であったのだ。この映画はその過激な内容から映倫によってR-15にレイティングされていて、15歳なら観てOKだったのか、中学生は問答無用でNGだったのか、そこらへんの記憶が定かではないのだけど、「中学3年生の俺たちが観られないなんておかしいじゃないか!!」と虚勢を張りながら、内心は「逮捕とかされないよね」とドキドキしながら劇場に足を運んだのを覚えている。年齢確認や身分証提示などはないとのことだったけど、念のため大人びた顔をしていた友人を連れていったのも覚えている。藤島くん、元気にしていますか。
ねぇ、友達殺したことある?
自分と同じ15歳の少年少女が、突如として殺し合いのゲームに参加させられてしまう。「自分ならどうする?」というのを己に問い続けるそれはもう圧倒的な映像体験だった。同世代の感情の叫び。15歳のわたしの脳内は『バトル・ロワイアル』と1999年から2000年にかけて放送していた『3年B組金八先生』の第5シリーズでいっぱいだった。ちなみに『バトル・ロワイアル』には、第5シリーズから阪本幸作(佐野泰臣)と平吹有里子(金井愛砂美)が出演して、そこもうれしかった。
公開から25年が経っているので、その間にレンタルビデオもDVD借りたし、サブスクでも観たけども、やはり劇場で『バトル・ロワイアル』を観るというのは特別な体験だ。川田(山本太郎)と桐山(安藤政信)と千草(栗山千明)、かっこよすぎだろ。三村(塚本高史)もいいよなぁ。前田亜季は同い年ということもあり、永遠のマドンナだ。15歳の自分に会いに行くような感覚になってしまい、終始涙目になりながらフィルムを見つめていたのだけども、エンディングで流れるドラゴンアッシュの「静かな日々の階段を」のイントロのギターが鳴った瞬間、涙が零れてしまった。そういえば、中学の卒業文集に「静かな日々の階段を」のリリックをすべて書き写した原稿を提出しているやつがいたな。顔も名前も覚えていない彼も、元気にしているだろうか。こういった思い出補正なしに、この映画が人生の1本になりえるのかは正直よくわからない。しかし、これが遺作となる当時70歳の深作欣二の演出は、アクションはもちろん、それ以外のシーンも実によく練られていて、ほぼすべてのシーンが強い印象を残す。序盤の教室、灯台での悲劇は特に出色。若き役者たち、それを捉える柳島克己のカメラもテンションは天井底抜け。突飛な設定にリアリティを宿す美術などを含めた細部の充実。ためらわずに、傑作と叫ぼうではないか。
<B面>
中学生同士の殺し合い。眉をひそめる人がいてしかるべき題材ではあるのだけど、この殺し合いが照らしているのは、現代社会の歪み、少年犯罪を引き起こす若者たちの潜在的な残虐性などではない。このフィルムに刻まれているのは、血まみれになりながら「愛されたい」と叫ぶ、いつの時代も変わらぬ思春期の切実で、懸命な脳内の具現化である。この『バトル・ロワイアル』において、殺し合いと並行して描かれるのは中学3年生の一つのクラスで巻き起こる無数のラブストーリー。恋する者たちの声が複雑に響き合うポリフォニーだ。
なあ秋也、いま好きな人いるか?
校舎の裏で待ってる
結局食べてもらえなかったな、クッキー
ごめんね、さくら
俺、何にもできなくて
幸子はね、ずっと七原のこと…
わたしずっと弘樹の前、走り続けるの!
弘樹、今好きな子いる?
わたしじゃないよね?
七原のことなら、なんでも分かる
ねぇ、この意味わかる?
あたし、みんなのこと好きなの忘れてた…
かわいいな、やっぱり
お前に会いたかった 本当はなんとか助けたかったけど
好きだったんだ琴弾 ずっと ずーっと前から
なんで?
一度も口きいたことなんてなかったじゃない
喋ったこともなくて・・・わかんないよ
これらは劇中の台詞であるが、台詞だけ抜き出してしまえば、ありきてりなティーン恋愛映画のよう。そんな10代の他愛のない恋愛感情が、極限状態にさらされることで、どこまでも美しく高められ、普遍的な”祈り”として観ている者の胸を捉える。藤原竜也、前田亜紀、山本太郎、安藤政信、柴咲コウ、栗山千秋、塚本高史、高岡蒼佑といった役者陣の若き身体の躍動も当然このフィルムの魅力を大きく担保しているが、やはりこの作品の肝はビートたけしだろう。彼が演じる“キタノ”という中年の悲哀は、壊れるゆく日本を象徴しているとともに、年老いてもなお「愛されたい」と叫ぶ、愚かなわれわれそのものなのである。中川典子(前田亜季)とのたった一度の、それも彼女の意図しない”触れ合い”に固執するキタノ。ビートたけしが静かな狂気を宿して演じるみっともなさ、切実さ。銃弾と刃物が乱れ飛ぶこの大殺戮映画の通奏低音が“愛”。実にありきたりな結論だが、それを血まみれになるほどに研ぎ澄まして描いた今作を人生の1本として抱えていこうと思う。