青春ゾンビ

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『劇場版まーごめドキュメンタリーまーごめ180キロ』

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『劇場版まーごめドキュメンタリーまーごめ180キロ』は傑作だ。不条理を支える研ぎ澄まされた言語センス、そして引用の多様さ的確さに、お笑いが新しい世代に突入していることを痛感させられる。2022/2/20(日)まで配信が延長されているとのことなので、ぜひとも視聴をオススメいたします。ここには間違いなく1500円以上の価値があるのです。


ここでは、“お笑い”であることを一旦無視して、ネタバレ全開で『劇場版まーごめドキュメンタリーまーごめ180キロ』を語ってみたい。原宿の喧騒の中に構えるワタナベエンターテイメント本社前、大きな身体を所在なさげに佇む大鶴肥満から映画は始まる。大鶴肥満はワタナベの所属タレントであるマルシアの出待ちをしている。なんでも、彼はマルシアに“謝りたい”のだという。ここで、大鶴肥満の存在を知らない方のために記しておくと、大鶴肥満というのはママタルトというコンビのお笑い芸人であり、大鶴義丹に顔が似ていて太っているから“大鶴肥満”と名乗っている(ちなみに学生時代には『笑っていいとも』に大鶴義丹のそっくりさんとして出演したこともある)。そして、彼が出待ちをしているマルシアというのは大鶴義丹の元嫁である。大鶴義丹の不倫が原因で離婚することになったのだが、その際に大鶴義丹が放った「まーちゃん(=マルシア)ごめんね」という言葉を、「まーごめ」と略して大鶴肥満はある種のギャクとして使っている。そんな大鶴肥満は、なぜマルシアに謝りたいのだろう?大鶴肥満は言う。

私のその、もう一人の私である大鶴義丹さんがお粗末なことをしてしまったので
一応、大鶴義丹さんが謝ったんですけども
まだ全然足りてないんじゃないかなって
ひどく傷ついたと思うんですよ、まーは
だからちゃんと謝りたいなって思いましてね すいません

大鶴肥満とマルシアの間には本来なんの関係性もないはずだが、大鶴肥満はもう一人の大鶴義丹であるからしマルシアに謝罪し、傷ついた彼女を癒す、ということなのだ。
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大鶴肥満は別のユニバースの大鶴義丹?傷を癒すために時空を超えてやってきた?ここで思わず、映画『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』を想起してしまったのだが、おおいに横道に逸れてしまうので止めておこう。重要なのは、大鶴肥満の「まーごめ」は、”傷をケアするためのもの“ということだ。この映画は、「まーごめとは何なのかというのをお伝えするドキュメンタリーである」ということなのだが、すでに冒頭でその答えは提示されている。であるから、ドキュメンタリーはこの冒頭以降、「まーごめ」についてはほぼ触れられず、大鶴肥満の口から「まーごめ」が発されることも稀である。この映画のカメラが収めるのは「まーごめ」ではなく、大鶴肥満の”傷“だ。大学の野球サークルでの傷、マッチングアプリでの傷(ロシア版 mixi Badooで裸の写真をばら撒かれたエピソードは出色)、祖母との関係性による傷、小学校時代の給食での傷(きゅうりリベンジ)、中学時代の告白で受けた傷、高校時代のイジメの傷、学生お笑いで抱くコンプレックスでの傷・・・そして、実家に赴いたことで露わになる父親との確執という傷。

ごめんな そんな子どもに育てちゃって
もうちょっと才能がある子どもに育ててあげればよかったのに

という父親の言葉が強烈だ。ここでの父親からの「ごめんな」と、「まーごめ」における“ごめん”は一線を画す。「まーごめ」が傷をケアするものであるのに対して、この父親の「ごめん」はむしろ謝罪に擬態した暴力だ。このドキュメンタリーのもう1つの核である大鶴肥満の恋物語のエンディングでMちゃんから発される

ごめんなさい本当にごめんなさいお友達です
ごめんなさい異性としては見られないです

この「ごめんなさい」もまた、謝罪のふりをして大鶴肥満を傷つける。大鶴肥満を癒せるのは「まーごめ」だけなのだ。傷ついたマルシアを癒すための「まーごめ」は、実は大鶴肥満の傷を癒すための呪文であるのかもしれない。であるから、前述のように傷だらけの大鶴肥満はお笑い芸人として「まーごめ」を唱え続ける。規則性を無視して乱発するのだ。


大鶴肥満が恋するMちゃんへの想いは実に純粋だ。余談になるが、大鶴肥満が愛を向けるものはすべてMである(Mちゃん、マルシアマクドナルド、漫才、松井秀喜名探偵コナン、Mother”お母さんやったよ!“、そしてママタルト)。

今 自分が嬉しいと思うことが全部取り上げられても
その子と付き合えるんだったら嬉しいってなりますね
僕はやっぱりね その子と付き合うことによって
今までその・・・
ずっともう凝り固まったもうなんか
あるんですよたぶん
奥の方に根付いてるこの青春という名の耳垢・・・
<中略>
スッキリすると思うんですよ 僕はやっぱり付き合えたら
本来の普通の人だったら
ずっと感じてた“青春”っていうものを
今29歳ですけども
僕は取り戻せると思ってるんですよ

傷ついた大鶴肥満の最大の欠落が語られるこのシーンには涙を禁じ得ない。「私は空っぽなんですよ」と言う、大鶴肥満の最大の欠落は“青春”であった。彼自身はそれを恋愛で補おうとしているのだけども、大鶴肥満が語る恋愛の定義はこうだ。

喜びを一緒に共有するっていう経験

それはつまり青春そのものであって、であゆなしるならば、大鶴肥満はまさに青春を謳歌している。その事実がこの映画には刻まれている。真空ジェシカ、さすらいラビー、ストレッチーズ、ひつじねいり、オズワルド伊藤、蛙亭イワクラ、森本サイダー、そして相方の檜原。

気づけば一緒に売れようっていう仲間になっていることが
僕は嬉しい

大鶴肥満にとって檜原は本当に
光 光ですね
檜原がいるから俺は突き進むことができるんだって思っています
時々眩しくてね
見ることができない時もあるけども
ずっと俺の前で輝き続けてほしいなって思ってます
ごめんなさい俺キルアみたいなこと言っちゃいましたね
キルアがゴンに対してみたいな
まぁけど本当にそうですね
なんかその「ありがとう」としか言えないですね

HUNTER×HUNTER』のパロディに忍ばせて照れてみせるが、「まーごめ」というギャグを手にした大鶴肥満に恋人はいなくても、『少年ジャンプ』的な喜びを分かち合う仲間がいる。とりあえずはそれで充分ではないか。しかし、大鶴肥満は今日もまた零す。まーちゃんごめんね、まーごめ。それはいつかまた別の誰かを癒す言葉になるのかもしれない。大鶴義丹がマルシアに向けた“ごめんね”がその矢印を変え、大鶴肥満の傷を癒したように。