青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

最近のこと(2020/06/28)

日曜日の朝。起きてすぐにもう一度『スイッチ』の録画を観て、机に向かって文章を書く。形になるまで机にかじりついた。テレビ画面に『スイッチ』を流しつづけていたので、すっかりカルピスが飲みたくなってしまう。ペットボトルで買えるカルピスウォーターではなく、劇中のように原液を買って薄めて飲みたい。氷をカラコロいわせたい。あのエントリーに書きそびれたこと。たとえば、序盤の坂元節のキレ。

石田常務が岐阜出身?ここ10年で1番いらなかった情報だなぁ

ドラマ仕立てのAVのドラマ部分を全部観そう

とか。AVを観るとか、ラーメンを食べる、というのも小さな罪の香りなのだろう。阿部サダヲ松たか子の住む部屋のスタイリングも良かった。気持ちよく暮らしていこうという気概のようなもを感じられる部屋。33階にあるようには見えない部屋。あと、中村アン出口夏希の素晴らしさ。石橋静河岸井ゆきのもいかにもという感じで良かったが、中村アン出口夏希が良いとわたしは言いたい。中村アンの「おもてなしの心からでしょうか」の発話の“やだみ”の完璧さ。出口夏希のカラオケでの歌声! 岡部たかしのあの感じはやっぱり抜群で、坂元裕二からの厚い信頼を感じる役柄だった。「やるしかないな、ね?」という松たか子のシーン、わたしは直感的に鳩に呼びかけていると思ってしまったのだけど、カメラ目線で視聴者に呼びかけているとも見れる。「彼女がされたことは私たちがされたこと」ということへのわたしたちの気づきのなさに直接訴えかける。それもありだと思うし、坂元裕二は『ハウス・オブ・カード』のファンであるらしいし、間違いなく『フリーバッグ』も観ているはず。しかし、だからこそ第四の壁を破るというネタを安易に引用しない気もするのだ。Twitterで、「事故で亡くなった両親に言ったのでは?」という指摘をもらったのだけども、としそうなのだとするとひどく凡庸な筆運びだなぁと思ってしまう。何が正解かはわかりません。「選んだ人生と同じだけ 選ばなかった人生がある」というのは、『マスター・オブ・ゼロ』からの影響だろうか。劇中に言葉として登場した味噌カレー牛乳ラーメン、そういえば先の春に青森で食べたな、と思った時に、“先”という日本語は、「過去」と「未来」の両方を表現してしまうのだ!といまさらながら気づく。「先に述べたように」「先を見越して」といった言葉を当たり前のように使っているのに。

サラ・クロッサン『わたしの全てのわたしたち』を読了。泣きじゃくる。奇しくもこちらも『スイッチ』と同じく、“決して離れることのできないふたりぼっちの1人"のお話だった。これを読み終えてから『スイッチ』の感想を書いていたら、よりエモーショナルな文章になっていたに違いない。珈琲を飲みに散歩へ。高速道路の下を流れる汚い川だけども、水辺の街というのはやはり気持ち良い。ベンジャミンに水をあげるための霧吹きが欲しいなと思い、「京阪シティモール」へ。100円ショップで植物活力剤というのも買った。radikoで『霜降り明星オールナイトニッポンZERO』(ニッポン放送)を聞く。せいやのzoom事件に一切触れずに乗り切った先週の放送も痺れたが、ちんちん事件を弄りまくる今週はさらにもしろいではないか。ちゃんと“みっともなさ”を受け入れた上で笑いにしているのがいい。「せいやの兄です」「せいやの弟です」といった便乗下層YouTuberの動画が乱立される中、「せいやのちんちんです。いきなり出されて驚きました」というYouTuberが誕生していたという話に腹が爆発してしまった。喫茶店で本を読み、日曜日の夕暮れが過ぎ去っていく。19時になってもまだ空は明るい。

お腹が空いたので、家の近くのお弁当屋でからあげ弁当を買う。これで550円というのだからありがたい。からあげは蓋が閉まらないほどのボリュームで、切り干し大根、煮物、ゆで卵、さらには魚肉ソーセージまでついているのだ。お店のおばさんも感じがよくて、いつの日か大阪のお母さんであったと振り返りたい。まだソファーがないものの、家具がひと通り揃い、部屋がどんどん居心地良くなってきている。ずっと部屋でゴロゴロしていたい気分。亡くなった叔母が「あんたには部屋のインテリアデザインの才能がある」と言ってくれたのを思い出す。何かの才能があると言われた記憶が他に乏しいからというのもあって、すごくうれしくて、20年経った今でも、わたしは部屋の家具の配置の才能があると自分で思い込んでいるのだ。