青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

安達奈緒子『G線上のあなたと私』8話

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やはりこのドラマは山場のようなものを意図的に回避していく。弱っている眞於(桜井ユキ)の部屋を訪れる理人(中川大志)。凡百の展開であれば間違いなく、2人は関係を持つことになり、也映子・理人・眞於の関係がこじれていくことだろう。しかし、そうはならない。

もう目が違うね
ずいぶん前からわかってたけど

という察しの良さと、抑制の効いた理性でもって部屋で静かに紅茶を飲むことになる。

紅茶、こうギューってやるやつじゃないの?

注がれる紅茶の湯気を見て、理人はかつての眞於との出会いの場面を思い出す。1つの現象を見つめ、複数の記憶が揺れる。その”揺れ”こそが人生の豊かではないだろうか。もし仮にもう2度と会うことがないとしても、理人はこれから紅茶を飲むたびに眞於と出会い直すだろう。人知れず、誰かが私を見つめている”Someone to watch over me”。そんな薄ぼんやりとした繋がりこそが、人間の孤独を慰めてくれる。紅茶を飲む、ただそれだけのシーンで、「理人が眞於を好きになったことに意味はあったのだ」と感じさせてくれる素晴らしいドラマメイクである。


まるで最終回のような回想と充実は何事だ。徹底した”名前呼び“へのこだわりや、也映子(波留)と理人の恋の行方も見逃せないが、1対1の恋愛ではなく、”3”という複数の共同体にこだわり続けたこのドラマの結実のような3人コンサートがやはり白眉だろう。赤ん坊や子どもの泣き声、身体障害者を抱える老人、それを介護する若者たち。誰も疎外されることなく混じり合う、これからの社会が目指すべき理想郷のような空間。年齢も立場も異なり、それぞれに様々な欠落を抱えた人々が一同に介し、バイオリンの音色と共に“わだかまり”が溶け合っていく。「そういった世界に向けて、”できる範囲で“、”ゆるやかに“、進んでいこう」というのが、このドラマの根幹に横たわるメッセージのように想う。


しかし、このコンサート会場には眞於だけがいない。それでも也映子は、ここに”居ない”人に向けてスピーチをする。このズラし、”照れ”がこのドラマをより奥深いものにしている。そして、3話での不在のはずの幸恵が"居て"しまう発表会を思い出すまでもなく、“音”は時間や場所を超える。そうやって届くべき人に届いてしまうのだ。1話のエントリーにおいて、「このドラマにおいて音楽はマクガフィンのようなものだ」と書いたことを訂正したい。この作品は紛れもない音楽ドラマである、と。

あの時、真っ暗な海に放り出さたみたいだった私たちに唯一投げられた浮き輪みたいに
このバイオリンが私たちをギリギリのところで救ってくれました
音楽は…そういう時出会うんだって