青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

オードリー若林正恭の結婚に寄せて

f:id:hiko1985:20191124013554j:plain
オードリー若林正恭が結婚。それはもう、かなり大袈裟に動揺してしまったのである。ナイーヴであることを唯一のアイデンティティとして、大人への一歩を踏み出せず、”青春ゾンビ”なんて造語と戯れながらダラダラと思春期を彷徨っている。そんな風にして自意識を拗らせたこの国のヤングアダルトの約7割が(当社調べ)、若林正恭の生き様に依存してしまっている。本人からすれば迷惑な話である。しかし、彼の自意識のあり方、その変化を、自分の現在地と照らし合わせることで、これからの生き方の指針としていたのだ。であるから、社会人大学人見知り学部卒業見込みの私たちは、『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』『ナナメの夕暮れ』を読みながら、自意識のあり方を少しずつアップデートしてきたつもりだ。それでも、41歳の若林正恭が深夜の公園でバスケットボールに興じている姿に、「私たちはまだ大丈夫だ」とどこか安心していたところがある。しかし、あのバスケ動画の撮影者が奥さんだったなんて!*1あまりに展開が急すぎるではないか。

大人になんかならないで…

情けないながらも、ラジオでの結婚の報告を受けて、最初に飛び出した感情である。藤子・F・不二雄の短編に『劇画オバQ』という作品がある。15年ぶりに町に戻っきたオバQが正ちゃんや仲間たちと思い出話に花を咲かせ、「おれたちゃ永遠の子どもだ!」と幼い頃に夢見た”子どもの王国“の建設を誓い合う。

しかし翌朝、正ちゃんの奥さんの妊娠が発覚する。正ちゃんは昨日の約束なんてまるで覚えていないようだ。そして、Qちゃんはこうつぶやいて町を去るのだ。

正ちゃんに子どもがね…
と、いうことは……正ちゃんはもう子どもじゃないってことだな……な……


まさにこの心持ち。読み方は違えど、奇しくも”正ちゃん”であることに少しだけ驚いてしまおう。


戸惑いの中で、2019年5月18日の『オードリーのオールナイトニッポン』を今、改めて思い返してみる。個人的に今年1番クラってしまった放送回だ。その頃と言えば、相方である春日の結婚の衝撃がまだまだ色濃く残っていて、若林はその流れで、自身の結婚に対しては

夢のまた夢のような話だけどな

と語っている。たった半年で夢が夢じゃなくなっている!それはさておき、重要なのは若林のフリートークゾーンである。センスを誇示したいという気持ちも薄れた今、一体なにを糧に生きていけばいいのか、と語る。

頑張るエネルギーが必要だと思って
やっぱり1人だし、なんか買い物とかかなと思うのよ、自分になんか買うとか
ブロードウェイ行ってさ、自分の欲しいフィギュアとか、ガラスケースの中見てたらさ
泣けてきてさ
なんか悲しくなって、眺めてたら
全然欲しくないんだよね
なんか1人で行ったし、休みの日
なんか泣けてきて
「これを買うために頑張ろう」ってのは無理だなと思って
<中略>
デパートでブランド物とか見ても
いい歳して着て、みんなにお洒落と思われようとするやつの気が知れねぇなと思って
それで頑張れるやつの気が知れねぇなと思って
なんか泣けてきて
なんのために、なにを燃料に走ればいいのか

家帰って風呂入って、風呂出て、寝るまでの間
この時間が1番怖い
もう怖いね
なに考えるかわからないよ、自分が
ろくなこと考え始めないから、ゲーム!
これはもう絶対眠くなるまでゲームなの!

聞いていて、心からゾッとしてしまった。このまま行けば自分も間違いなく、この死の匂いすらする孤独の境地に達するのだろうと。そんな思考を排除するためのゲームプレイの中で若林は、「誰かのために何かをする喜び」を見出していったことを語る。RPGでは自身のアバターである勇者ではなく、仲間たちの装備を充実させる。1番ハマったのが『ワンダと巨像』『人喰いの大鷲トリコ』でおなじみの上田正文がゲームデザインを手掛けた『ICO』(2001)だ。

この人の手を離さない
僕の魂ごと離してしまう気がするから

というキャッチャーコピーが鮮烈な、古城に閉じ込められた言葉の通じない少女の手を取り、守りながら城からの脱出を試みるゲームである。ゲームに没頭する中で、自分の抱えている空洞を埋めるのが、「何か人の役に立つ」ということなのだと掴みかけていく過程は実に感動的だ。恋愛や結婚が”幸せ”の絶対条件とは思わない。しかし、人はある時期を境に、自分のためだけには生きられなくなるのだ。10年前の僕らは胸を痛めて、「愛し愛されて生きるのさ」なんて聴いてた。

家族や友人たちと 並木道を歩くように 曲がり角を曲るように
僕らは何処へ行くのだろうかと 何度も口に出してみたり
熱心に考え 深夜に恋人のことを思って
誰かのために祈るような そんな気にもなるのかなんて考えたりするけど

誰かのために祈ること。それが大人になるということなら、そんな素敵なことはないだろう。若林正恭に、そんな相手が現れたことを心から祝福したい。私たちの自意識の葛藤は、誰かを愛する/愛される人間になるための旅なのだ。


発表の仕方も実に素晴らしかった。嫁の声が聞こえる、嫁が見えるから始まり、嫁に土産を買っていく、家に帰ると「おかえり」「ただいま」を自然体で言う、嫁の前では自然体でいられる・・・といった数ヶ月に渡る不可思議なトークの数々は、若様のご乱心だと、相方の春日ですら思っていた。あらゆるエンターテインメントというのは、嘘を本当にしてしまう芸術だ。漫才もそうである。ひとたび「ウィーン」と口にすれば、そこには自動ドアが現れる。「見えないものを見えるようにしてしまう」というこの結婚報告は漫才師オードリーの矜恃、ここにありという感じではないか。最後に、区役所に結婚届けを提出しに行ったくだりを。

若林:春日にもらった傘で歩いてたわ
春日:ありがたいね!3人で行ったみたいなもんだな、だからな
若林:あ、(親父の)時計してたから親父入れて4人だ

見えないはずの親父と春日を体に巻き付けながら、若林は誰かのために生きる大人への道を突き進んでいくのだろう。これからもその続きを聞かせて。ちょうだいよ、バカタレ!

*1:『ハライチのターン』の岩井のトークより