青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

伊藤万理華×福島真希『はじまりか、』

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昨年末に開催された個展「伊藤万理華の脳内博覧会」にて公開されたショートムービー『はじまりか、』がYouTube上で閲覧が可能となった。掛け値なしに素晴らしい8分30秒なのだ。伊藤万理華によるファンやメンバーに対するストレートな愛のメッセージをして*1、「彼女のファンには感涙ものだろう」という感想もわかるのだけども、この『はじまりか、』という作品はなにかもっとこう普遍的な魅力を兼ね添えていやしないだろうか。乃木坂46というグループにまったく興味がないという方にもぜひともご覧いただき、この感動を分かち合いたく思い、少しだけ言葉を添えたい。


まずは、伊藤万理華というアイドルのヒストリーを少しだけ記しておく。2011年の乃木坂46結成当時からのメンバーであり、2017年末をもってグループを卒業している。人気メンバーと言ってしまっていいと思うのだが、おそらく乃木坂46ファン以外には、顔と名前が一致しない存在かもしれない。ムービー内の言葉を借りるのであれば「前から3列目のだいたい端っこ/真ん中にはなれなかったけど/ここが私らしいかなって」というように、センターやキャプテンといった立ち位置ではなく、メディアで目にする機会は多くはなかった。しかし、その類稀なる存在感と表現力は、いつだって観る者の目を惹きつけてきた。歌声は不安定(だが、味がある)で、ダンスの実力は随一。そして、個展を開催するほどの芸術家タイプであり、趣味に「苔 石 鉱物」を挙げるなど、グループ内において最もサブカルチャー的感性をくすぐるメンバーだったとも言える。CDの特典映像として収録されている個人PVでもその世界観はいかんなく発揮されており、「個人PVの女王」とまで冠されてきた。とりわけ、福島真希とタッグを組んだ作品群(『まりっか’17』『伊藤まりかっと。』など)は評価が高く、この『はじまりか、』はその一連のタッグの最高のフィナーレでもある。とにもかくにも、ムービーを観てみて欲しい。

伊藤万理華が、絶え間ないリズムに乗り、ラップとポエトリーの中間のような発話で詩を紡ぐ。乃木坂駅周辺のロケーションを舞い踊りながら、軽やかに移動していく。撮影は1カット長回しだ。突発的なダンスとは無関係に続いていく街の営み、連綿と刻まれていく生の一回性。長回しと”青春”の相性の良さに関しては、いまさら言及するまでもないだろう。リリックの序盤は、「私の青春」と語られるアイドル活動の葛藤が綴られていく。

15の時に乃木坂の オーディションを受けた
まさかの合格!?ハッピー!も束の間
選抜発表で名前は 呼ばれなかった
どうしたらいい?何が足りない?
焦りは空回り まわりまわりぐるぐる巡り


誰かが付けた順番に 泣いて眠れない夜もあった
周りを見ればみんなキラキラ 羨ましいないいないいな
でも違うんだ それはあの子だから出来ること
私にはできない ひとりひとりの眩しい輝き
ようやく認めた時に 何かが開けた!

それは”青春”という期間の普遍的な悩みのようでもある。自分という在り方の固有性を認め、その悩みを脱却していく。そして、リリックはありのままの自分を肯定してくれたファンへの感謝へと移行していく。

ファッションも趣味も全然 アイドルぽくなくて
こんな変な私だけど 見つけてくれてありがとう
どうして私を選んだの?
どこから巡って辿り着いたの?
どうしてそんなに優しく笑ってくれるの?
あの時あなたが手を 差し伸べてくれた
あなたの言葉にたくさん 支えられてきた
見ていてくれた
ブログ読んでくれた
コメントくれた
声援くれた
りっかタオル
緑と紫のサイリウム
ありがとうありがとう 全部全部ありがとう
会いに来て手を繋いでくれて ありがとう

アイドルとファンの間で結ばれる、か細くて小さい、でも確かな関係性。一度でもアイドルを応援したことのある者であれば、涙を禁じ得ないエモーションが、たしかにある。しかし、ビートが熱を帯びていき、流麗なストリングが空間を支配し始めると、そのミクロな関係性は、何か大きな流れと交差し始める。「見つけてくれてありがとう」という言葉が、より大きな力を纏いはじめるのである。

緑と紫のサイリウム
星みたいですごく綺麗だった
広い宇宙にあなたと私
ここで出会えた奇跡に ありがとう

そう、その詩情は”宇宙”へと広がっていくのだ。広い宇宙に、たった1人ぼっちで生まれて死んでいく寄る辺なさ。そんな人間という生き物の持つ”寂しさ”が、「1人のアイドルのグループからの卒業」という現象と結ばれていく。だけど、遠くのほうで誰かが、見てくれている気がする。その「終わり」を最後まで、見届けてくれる人がいる。もしそうであるならば、伊藤万理華(≒わたしたち)の、儚い生と死は、光の中で大袈裟に祝福されてしまうだろう。ハッピー・バース・デイ&ハッピー・デース・デイ。演劇に関心がある方であれば、お気づきだろう。この『はじまりか、』というショートムービーは、劇団ままごとの『わが星』(第54回岸田国士戯曲賞受賞作)という作品と、ラップとダンスというフォーマットを含め、多分にフィーリングを共にしているように思う。
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『わが星』では、”ちーちゃん”という1人の少女の一生が、地球の誕生と滅亡とに重ね合わせられている。そして、その一生を遠くから望遠鏡で観察している”誰か”がいる。眠りに着く前のたまらない寂しさの中で、ちーちゃんは言う。

ねぇ、手、つないでもいい?

アイドルビジネスの悪しき象徴になってしまった「握手会」という現象が、あまりに詩的に生まれ変わってしまう!会いに来て、手を繋いでくれて ありがとう。そして、差し出されたその手は、途絶えることのないそのリズムの上で、私たちをダンスへと誘う。定められた終わりまでの束の間の永遠、どうか私と踊りませんか?そんな風にして、伊藤万理華は今日も跳ねていくのだ。

*1:「大好きな、大好きな、大好きなメンバー、みんな凄くない?最高じゃない?」の振り付け、最高!!!