青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

野木亜紀子『アンナチュラル』2話

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圧巻の完成度を誇った1話が沸点かと思いきや、続く2話もなんら緩むことなくおもしろい。恋はスリル、ショック、サスペンス(©愛内里菜)とでもいうようなエンターテインメント性を保ちながら、芯をくった人間ドラマが並走している。坂元裕二『anone』と野木亜紀子『アンナチュラル』、まったくタイプの異なる2本の傑作を同クールで鑑賞できるこの2018年の冬は、後のテレビドラマ史において語り草となるに違いありません。不明瞭で複雑ゆえに豊かな『anone』、単純明快でポップな『アンナチュラル』、というように対比させたくもなるのだが、実のところ『アンナチュラル』もかなり攻めたドラマである。その展開は目まぐるしいほどに速い。誰もが同時多発的に喋り出し、通常のドラマであれば”ノイズ”とされるような環境音や生活音が当たり前のように役者の台詞に被ってくる。2話で言えば、冒頭の会話を切り裂くパトカーのサイレン音の堂々たる響きや、被害者の胃の内容物の話題と老舗の玉露深蒸し茶が並行していく会話劇が見ものだ。ボーっと観ているとあっという間に物語に置いていかれるし、耳をすまさねば台詞が聞き取れないことも間々あるだろう。しかし、そういったリスクを冒しているからこそ、このドラマは圧倒的な生々しさを獲得している。「UDIラボ 不自然死究明研究所」という実在しない組織で働く架空のキャラクターたちが、どこまでもいきいきと”本当のこと”を話しているように感じるのだ。もちろん、役者陣の力量も大きい。前述の並走する会話の締め部分なども、たまらないものがある。

所長:ひとつ言っていい?ひとつ言っていい?
   誰もお茶の味 覚えてないでしょ
ミコト&夕子:あっ、おいしかったですー
所長:嘘つけぇ

この軽快なやりとりがバシッと決まる快感。松重豊石原さとみ市川実日子、三者ともに抜群に巧い。編集のテンポも文句なしだ。こういった要素がすべて、このドラマが紡ぎ出そうとしている「生きる」ということ、そのリアリティに寄与しているように思う。



<不条理と戦うヒーロー>

2話はUDIラボに舞い込んだ練炭自殺事件の調査から始まる。その調査は、ミコト(石原さとみ)の抱える心の傷とオーバーラップしていくが、当の本人はクールさを保ったまま。凡百のドラマであれば、大袈裟に泣き叫びかねないトラウマ。ミコトはその「絶望するには充分」な経験をあえて研究対象に選び、”不条理”に抵抗する為の糧とする。ミコトは不条理に飲み込まれたか弱き者の声を、決してないがしろにしない。

まぁまぁまぁ
犯人捜しは警察に任せるとして
花ちゃんが どこで凍らされて
何を伝えようとしたんだろう・・・

そんな・・・待ってください
助けてっていう彼女の言葉は?
生きてるときも助けられずに
死んでからも見なかったことにするんですか?

彼女達を
好きにしていい権利は誰にもない

死者の発したSOS。身体を切り刻むことで、ミコトはそれを受信する。絶望を未来へと繋げていくヒーロー、それが三澄ミコトだ。また、バットマンにおけるロビンのような、ミコトのサイドキック的存在東海林夕子(市川実日子)もいい。*1「女がいつどんな服着ようと勝手でしょ」「今月の残業時間合計が すでに勤務規定を超過しているため自主的に相殺します」といった現代的なテーマを内包した自由さが、新しくて強いのだ。


<ここにいます>

ガラケーですか?
スマホなら現在地分かって地図も見られるしメッセージのやりとりも楽ですよ

という冒頭の六郎(窪田正孝)とのやり取りは、やはり物語に深く浸透していく。スマホを端としたSNSの生み出す闇が事件の真相であり、ガラケーであるが故にミコトはより窮地に追い込まれていく。しかし、「目的地に着きました スマホなしでも」というミコトの堅実さもまた、ドラマを動かす。

ここです
ここにいます

誰もが見失いがちな自分の現在地は、スマートフォンに頼らずとも、知識と時の積み重ね(=「時間 計って!時間」)でもって、示すことができる。そう訴えているようだ。



<反転する空間>

空気穴が塞がれ、隙間を目張りされた民家。そこで焚かた練炭一酸化炭素を蔓延させ、死に至らしめる。この密閉空間は、「火/水」もしくは「一酸化炭素/二酸化炭素」など、イメージが反転した形で後半に再登場する。ミコトと六郎が閉じ込められた冷凍コンテナトラックである。水没していくトラックの内部で、テープや物で隙間をふさぐ浸水を防ぐミコトたち。“隙間を塞ぐ”という行為が、練炭自殺の民家におけるそれと、まったく逆のベクトルを向いている。

人間は意外としぶとい

というミコトの台詞もまた、練炭自殺心中から生き残った者としての言葉ではなく、生きることを諦めない者として響くからこそ感動的だ。この”反転”のイメージは、無数の死体に囲まれた解剖医の、固有の生命の煌めきを描こうとする『アンナチュラル』というドラマの構造そのものと言える。



<食べること>

1話に「こんな時だから食べるんです」という台詞があったが、ミコトの食事シーンはこのドラマの大きな見所だ。死のすぐ隣でミコトの食欲は旺盛だ。美味しいものを食べることで、“死”に取りつかれることを拒んでいるかのように。事実、母親からの身勝手な殺害からミコトを救ったのは、ラムネだと食べさせられた睡眠薬を、”不味い”と吐き出したからだ。2人の家出少女が分け合って食べた鹿肉のカレー風味おにぎりもまた強い印象を残す。死に場所を求める少女たちが、監禁されながらも、ご当地モノをチョイスしたのだ。人はどんな状況であろうと、美味しいものを食べたがる。そして、その鹿肉のカレー風味おにぎりは事件解明の鍵となり、1人の少女の命を救った。食べることは生きること、絶望している暇あったら美味いもん食べて、寝ればいいのである。


この2話のハイライトは冷凍コンテナトラックにおけるミコトと六郎のやりとりであろう。

ミコト:巻き込んでごめんね
六郎:・・・いえ
ミコト:お詫びに 明日の夜 空いてる?
六郎:明日?
ミコト:おいしいもの食べに行こう 何っでもおごる
六郎:・・・明日
ミコト:明日
明日、何食べよっかな~
六郎:あったかいのがいいな
ミコト:あったか~い味噌汁、飲みたいな
六郎:いいっすね
ミコト:何食べたい?
六郎:・・・チゲ

たとえばこれらのやりとりは、残業中のオフィスでの上司と部下の会話としても成立するだろう。しかし、だとしたらなんて退屈なことか。しかし、それが目前に死が迫ったシチュエーションに置き換わることで、かくもエモーションを宿す。「チゲ」というたった一言に涙が溢れるような生きる希望を託せてしまう。野木亜紀子によるまさにドラマメイクのお手本のような筆致である。「結構…かなり怖いっすね、死ぬの」という台詞も痺れた。また、窪田正孝が抜群にいい。「チゲ」の発話にはもうそれしかないというような凄味があるし、石原さとみの凍った手を包み込み、息を吹きかけて温めるシーンも悶絶もの。水に濡れ弱り切り、オールバックになった姿もセクシー。とにもかくにも、「窪田正孝はいいぞ」ということで、このエントリーを締めたいと思います。

*1:六郎もまたロビン的だ