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あだち充『クロスゲーム』 あだちラブコメの"幽霊"という主題

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あだち充の『クロスゲーム』は何匹目の柳の下のドジョウなのか。連載開始当初の印象はまさにこれであった。国民的漫画となった『タッチ』、そしてキャリア最高傑作と言える『H2』、高校野球×ラブコメあだち充の鉄板とは言え、35年のキャリア(連載開始当時)を積みながらも、まだその金脈に挑み続けるのである。しかも、”幼馴染の死と甲子園”という『タッチ』のモチーフをそのまま踏襲して。*1

『タッチ』は和也が死ぬ前から、達也と南は両想いであったわけだけども、『クロスゲーム』において亡くなるのは、主人公と両想いのヒロインなのだ。より残酷。いくら物語にドライブをかけるためとは言え、その筆運びは鬼の所業、ゲスの極みである(とは言え、読むと泣いちゃうのだけど)。


ようは、あまりいい印象は抱いていなかったのだけども、実のところ『クロスゲーム』もまた傑作だ。

クロスゲーム 17 (少年サンデーコミックス)

クロスゲーム 17 (少年サンデーコミックス)

全17巻という『H2』のちょうど半分の長さで完結するタイトさも評価できる。もちろん、細部の充実という点では『H2』にはるか及ばない。野球描写は物足りなく、キャラクターの魅力にも欠ける。赤石と中西は立ち位置がダブつき、ライバルとして颯爽と登場した朝見水輝は作者に完全に持て余される。とりわけ、千田という三枚目キャラクターが『H2』の木根と比べられてしまうのが痛恨だろう。しかし、この『クロスゲーム』は、あだち充作品に通底している”幽霊的主題”の結実という点においてあまりに優秀なのだ。
QあんどA 1 (ゲッサン少年サンデーコミックス)

QあんどA 1 (ゲッサン少年サンデーコミックス)

クロスゲーム』と並行してあだち充は、死んだ兄の幽霊が弟に憑りつくという、まさに自身のモチーフそのものを物語に落とし込んだ『QあんどA』という作品を発表しているのだけども、こちらは気の緩んだ佳作に留まっている。


青葉:あの人が相手なら・・・許すってさっきワカちゃんがそう言ってたわよ。
コウ:おまえは”いたこ”か?

というやりとりがこの『クロスゲーム』においては登場するわけだが、まさに今作のテーマは”いたこ”なのだ。1巻の終盤で、主人公コウの幼馴染であるヒロイン若葉が水難事故で亡くなってしまう。その後、ヒロインの座は若葉の1つ下の妹である青葉に”タッチ”される。しかし、『タッチ』における和也と同様にして若葉もまた、姿を消しながらも、その存在は幽霊のように色濃く物語に残り続けることとなる。とりわけ、生前に何気なく交わされた姉妹の会話。

でも、(コウを)奪っちゃダメだからね。

その若葉の言葉は、青葉に”呪い”のようにしてこびりつく。コウと青葉は互いに惹かれ合いながらも、物言わぬ死者であるはずの若葉の存在が、2人を結びつけることを阻害し続ける。これがこの『クロスゲーム』というラブコメの”切なさ”の主軸だ。そこに、まるで若葉の生き写しであるかのような滝川あかねというキャラクターが登場する。それはもうあまりに唐突に。しかも、彼女が引っ越してくるのは、コウの家の隣である。

あかね:最初から樹多村くん家の隣に決まってたわけじゃないのよ。
コウ:へーそうなんだ。
あかね:その前にほとんど決まりかけてた場所があったんだけど、
    契約前に地主さんが脱税で土地を差し押さえられちゃって・・・
コウ:おやおや。
あかね:その次見に行ったとこは目の前で突然地盤沈下・・・
コウ:あらあら。
あかね:次の土地からは遺跡が・・・
コウ:はっは。
あかね:本当の話よ。
コウ:あーはいはい。
あかね:ね、誰かがあそこに引っ越すようにみちびいたとしか思えないでしょ?

“誰か”に導かれるように。とにもかくにも、あかねは死んだ若葉がそのまま成長したかのような存在なのだ。若葉を知り、あかねを初めて見た者は

幽霊もちゃんと年をとるのかなァ。

死んだ人間も年をとるのかなァ。

と一様に動揺してしまうほどである。あかねが若葉に似ているのはその容姿だけではない。何気ない仕草や物言い、考え方までそっくり。当然、あかねは”若葉がそうであったように”コウに惹かれていく。「コウ-若葉(故人)-青葉」という三角関係が、更に「コウ-あかね(≒若葉)-青葉」という複雑な様相を展開していく。しかし、彼女の役割は“いたこ”なのだ。

青葉:でも不思議よね。
コウ:何が?
青葉:世の中には似た人が三人いるとか言うけど、世の中広いし、
   そうめったに出会うもんじゃらないわよォ。
コウ:若葉がおれ達二人に言いたいことを伝えるために、
   あかねちゃんを導いたんだよ・・・きっと。
青葉:二人に・・・
コウ:時々やるだろ?あかねちゃん。若葉だったらきっとこう言うって。
   そんな時口調も表情も、まんま若葉なんだよなァ。

あかねは「青葉ちゃんには伝えてあげて。本当のことを」と、まるでそれが若葉の意志であるかのように、コウと青葉にまとわりつく呪いを、そっと剥がしていく。2人を正しい関係に導くために。



驚くべきことに、今作における”いたこ”の役割はあかねのみに託されているわけではない。例えば、月島家の長女である一葉が、自身の恋愛観を語る何気ないシーン。

別れたら忘れるの。
好きになったこと以外は—ね。

このような、一見あらすじから外れたような会話においても、まるでコウの呪いを解かんと、若葉が一葉の身体を借りて、語らせているかのようだ。他にも、”誰かの想いを引き継ぐ”という『タッチ』的主題でもって、多くのキャラクターが”いたこ”としての任務を全うしている。姉・若葉のコウへの恋心をシンクロさせていく青葉、怪我で選手生命が絶たれた兄の想いを背負いこみ甲子園出場にこだわるスラッガーの東雄平・・・そして、主人公コウである。実に多くの人々の”想い”を託されてしまういたこ体質なのだ。赤石が若葉に、東が青葉に、それぞれが果たせなかった恋心は、積もり積もってコウと青葉の関係に託される。また、野球においても、若葉と青葉の想いを身体に宿しているのだ。

東:おまえが背負うのは、亡くなった彼女が最後に見た夢と―
  公式戦のマウンドに登れないとわかっていながら、
  毎日毎日みんな以上の練習を続けるあいつの無念さだ。

コウ:あ、そうだ。おまえカットボールも投げられるんだよな?あとで教えろよな。
青葉:あのねェ!なんでもかんでもわたしから盗まないでくれる!
コウ:ケチケチすんなよ。
   おまえがおれの体を借りて投げてると思えばいいじゃん。


青葉:—なるほど、そういう手があったか。
東:あいつの足腰と肩の強さは投手としての理想だ。
  あいつの体を借りておまえも登るんだよ。甲子園のマウンドに―

若葉が見た”コウと赤石バッテリーでの甲子園出場”の夢。女性であるがために高校野球の公式試合に出場できないピッチャー青葉の想い。

純平:少しくらいプレッシャーを感じろよ。勝てば甲子園なんだそ。
   昔からああいう性格なのか?コウちゃんは。
青葉:いえ、昔はわたしに似てすぐ動揺する落ち着きのない男でした。
   あれはワカちゃんの性格です。

投手としての理想のピッチングフォームは青葉から、マウンド度胸は若葉から。”体を借りて”という言葉が本人の口から出ているように、コウはイタコとしてピッチングを続けるのだ。ちなみに主人公とヒロインが同じスポーツを志す、性差ゆえに断念されたヒロインの夢を託される、という設定は、『クロスゲーム』の前作にあたるボクシング漫画『KATSU!』での試みを、受け継いでいる。

KATSU! (1) (少年サンデーコミックス)

KATSU! (1) (少年サンデーコミックス)




そして、やはり今作におけるラブコメもまたあだち充の一流の省略と余白があり、”照れ”を根底とした粋な演出に彩られている。

青葉:好きなんだよね、あかねさんのこと。
コウ:ああ。
青葉:ワカちゃんとどっちが?
コウ:亡くなっちゃったやつとは比べられねえよ。
青葉:じゃ、わたしとは?
コウ:ウソついてもいいか?

読者は、この会話の結末を知らされぬまま、物語は甲子園出場を決める決勝戦へ。そこでコウは160kmのストレートを投げ、勝利を掴みとる。後に明かされる、上記の会話の続きはこうだ。

ウソついてもいいか?
甲子園に行く!160km出す!
―そして、月島青葉が1番好きだ—

すべてをウソとした上で、先の2つの公約を実現することで、最も伝えかたっかた言葉を”ほんとうのこと”にしてしまう。実にまわりくどいが、故にあだち充の書く野球にはドラマとエモーションが宿るのである。試合後の青葉とコウのやりとりもすごい。

青葉:あんたのことは大嫌いだって言ったでしょ!
コウ:ああ、知ってるよ。たぶん、世界中で一番
青葉:ずっとずっと、大っ嫌いだったんだから!
コウ:・・・知ってるよ。

まるで『ドラえもん』のひみつ道具”ウソ800”を飲んでしまったのかのように、気持ちとは逆のウソをつき続ける。もちろん、察しのいい登場人物たちはその真意を無言の内に読み取る。かたくなに真っすぐと”好き”と言わせぬそのズラしの中で、まさに胸キュンとしか言えぬ真っ当なラブコメが躍動しているのである。

*1:驚くべきことに2012年、あだち充は更に正当な『タッチ』続編である『MIX』の連載を開始する