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野木亜紀子『逃げるは恥だが役に立つ』最終話

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みくりさんは自分の事を”普通じゃない”と言うが
今更です とっくに知ってました たいしたことじゃありません
僕達は最初から普通じゃなかった

という平匡(星野源)の台詞にもあるが、このドラマの登場人物はみな一様に、世間一般で言うところの”普通”に該当しない。故に「普通ならばこうあるべき」というレッテル貼りに苦しみ、傷つけれてきた。男らしくあるべき、いい歳なんだから結婚しなさい、女は子どもを産まなくてはならない、女は若いほうが優れている、愛の対象は異性に向けられるのが普通etc・・・こういった数々のレッテルをユリちゃん(石田ゆり子)は”呪い”と名付け、

そんな恐ろしい呪いからはさっさと逃げてしまいなさい

と、テレビの前の視聴者に向けて語りかける。このドラマにおける最も感動的なシーンの1つだろう。しかし、”呪縛”という言葉がある通り、逃げても逃げても、へばり付いて離れない呪いというのは往々にしてある。『白雪姫』や『眠れる森の美女』といったおとぎ話をヒントにするのであれば、呪いを解くにはときに”他者”の存在というのが必要なのかもしれない。みくり(新垣結衣)の自尊感情の低さからくる「私は小賢しくて誰からも嫌われる」という強力な呪いを、その小賢しさの裏に潜む優しさや気配りを拾い上げてやることで、平匡が解き放つ。レッテル貼りに敏感な今作のことであるから、当然のように”他者”というのは”王子様”に限定されることなく、性差や身分など関係なく、誰もが誰かの呪いを解き放っていく。平匡がやった呪いの解き方は、みくりが平匡にしたやり方の反復である事も劇中で示される。「みくりちゃんに会わせて!」と予定を立てると必ず子どもが熱を出してしまう、という日野(藤井隆)の実に小さな(とは言えドラマを転がし続けた)呪いさえも、最後に回収してみせる筆致が最高にチャーミングではないか。藤井隆の実嫁である乙葉が登場というサプライズも心憎い。



「呪いを解き放つ」という運動が、”ハグ”や”ドアをノックする”、もしくは風見(大谷亮平)によるユリちゃんのおでこへの”キス”といったアクションによって、しっかり可視化されているのも映像作品としての今作の優れた点だろう。ちなみに余談だが、ドアをノックして、ダッフルコート*1まで着る平匡に、小沢健二のイメージが重ねられているのは明白。

ONE LITTLE KISS
言葉にすれば分からないことでも
ONE LITTLE KISS
あっというま僕らをつなげる sweet sweet thing


僕はずっとずっと1人で生きるのかと思ってたよ
爆発する 僕のアムール
君の心の扉を叩くのは僕さって考えてる


小沢健二「ドアをノックするのは誰だ?」

これはもうそのまま平匡とみくりのラブソングではないか!!



また、”物語”もしくは”平匡とみくり”のメタファーとしてベランダに存在し続けた十姉妹にも注目したい。あの十姉妹が鳥籠の中で飼われ出した途端に、平匡とみくりのムズキュン生活はもろくも崩れ去り、身につまされるようなリアルなすれ違いが展開されていった。鳥は鳥籠に囲う、これも一種のレッテル貼りであるからだろうか。ここで、みくりの企画した地域振興マーケットの名が”青空市”であったことに我点がいく。「鳥籠→青空」という解放の運動が、さりげなく作劇に忍びこんでいるのである。とびきりにキャッチーなみくりの妄想パロディに目がいきがちだが、全11話の中において、こういった脚本の妙がいくつも点在している。

私たちを縛るすべてのものから
目に見えない小さな痛みから
いつの日か解き放たれて
ときに泣いても笑っていけますように

みくりの祈りが通じたかのような、大団円の最終話。世界の常識から外れた者達が、傷つきながらも、逸脱したままに、等しく報われていく。あまりに感動的!この変化球でありながらも、圧倒的なハッピーエンドの感覚は、まぎれもなく大島弓子作品におけるそれと言えるだろう。原作者である海野つなみが少女漫画出身の作家である事からも、そこに何の違和感もあるまい。

だれか もつれた糸をヒュッと引き
奇妙でかみあわない人物たちをすべらかで自然な位置にたたせてはくれぬものだろうか

という『バナナブレッドのプディング』における有名なフレーズをなぞるかのように、気持ちのよい抜けるよう冬空の下に開催される青空市に集った人々が、スルスルと自身を縛りつけていた呪いを脱ぎ、自然な位置に辿り着く。みくりをいびった感じの悪い「せんべい屋」の主人ですら!しかも、彼の作った”特大海苔せんべい”は、沼田(古田新太)と梅原(成田凌)という傷ついた2人のLGBTを出会わせる契機となる。『関口宏東京フレンドパーク』のビックチャレンジのコーナーを模して、ありえた(る)かもしれないあらゆる未来を否定しないという妄想のやり口は、これまでみくりが行ってきた数多の妄想の中で最も美しいものと言えよう。



そんな圧倒的なハッピーエンドの中で、契約結婚という普通とは少し違う形をとった平匡とみくりは、「1つの家で2人でいる」という道を選んだ(これは「永遠にすれ違うことを覚悟しながらも、同じ乗り物に乗って同じ方向を目指していく」という夫婦のあり方を示した、坂元裕二の傑作『最高の離婚』の境地と、そう距離はないと言えるだろう)。

生きて行くのは面倒くさいもんなんだと思います
それは1人でも2人でも
どっちにしても面倒くさいなら、2人で一緒に過ごすのもいいんじゃないでしょうか

「1つの家で2人でいる」を実践する為に、平匡とみくりは引っ越しを試みる。1LDKから2LDKへ。夫婦はそれぞれの部屋を持ち、寝床もちろん別々。朝、目が覚めたなら、それぞれの部屋の”ドアをノック”して、ハグをするだろう、キスをするだろう。「火曜日=ハグの日」というのは、それぞれの正しさの元に独立し、固有である事を祝福された2人が、ときにピタっと寄り添う瞬間なのである。驚いてしまうのは、主演である”時代と寝た男”こと星野源は、そのソロキャリアスタート時にして、すでに本作と同じテーマを奏でているという事実だ。

世界は ひとつじゃない
ああ そのまま ばらばらのまま
世界は ひとつになれない
そのまま どこかにいこう


あの世界とこの世界
重なりあったところに
たったひとつのものが
あるんだ


星野源「ばらばら」


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*1:どうせならガッキーに赤いダッフルコート着て、風切って走って欲しかったですよね