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坂元裕二『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』6話

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いよいよ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』の第2章がスタート。2011年から2016年へ、前話から5年という月日を飛び越え始まった6話は、現状説明といった感じの導入回ではありましたが(重要な回は並木道子が演出すると考えてしまっていいのかもしれない)、それでも目をこらすべき点がいくつかあったので、簡単に記していきたい。


<どんどん季節は流れて>

音(有村架純)の部屋が慎ましくもささやかに変化を見せている。朝陽(西島隆弘)の言葉を借りるなら、より「人の住める部屋」に。電子レンジ、棚、洗濯機。もうコインランドリーに行く事はないのだろう。そして、”つっかえ棒”であったはずの桃の缶詰は(目につく場所から)姿を消し、代わりに職場での写真が飾られている。店内にはティラー・スウィフトの「Shake It Off」が流れ、人々はチェスターコートやルーズパンツを身に纏い、280円均一の居酒屋でスマートフォンの画面を弾く。労働派遣法改正といった強いタームを持ち寄る一方で、時の流れ、そして2016年というものを実にナチュラルに日常の所作の中で演出している。


スマートフォン

しかし、いくらなんでもスマートフォンが画面上に出てき過ぎてはいないだろうか。まるで2011年からの5年間というのは、ガラパゴス携帯が消滅した5年なのだ、と言わんばかりである。

たまにこう、練の名前、検索しちゃったりするの

この会社の名前、検索したんです

もしくは木穂子(高畑充希)による焼鳥屋の検索など、携帯を使用した「検索する」という所作が頻繁に登場する。震災後には、練(高良健吾)から音と木穂子の元に「大丈夫です」という安否を知らせるメールが届いたという。彼女達は「大丈夫なのだろう」と何となく思う。ここで描かれているのは、なんでもその場で”わかったつもり”になれる社会だ。


<顔が見たかっただけ>

音はそんな”わかったつもり”に「No」を突き出す。練に直接会う為、行動する。いざ所在を突き止め、会ってみれば「何の用ですか?」と冷たくあしらわれてしまうわけだが、それに対して音はこう応える。

用があるくらいじゃ来ないよ
用がないから来たんだよ
顔が 見たかっただけですよ


私は 私はこっちにいたらから 東京にいたから
メールもらっても
人づてに聞いても
実際会うまでわかんないじゃないですか
大丈夫かどうか わかんないじゃないですか
顔 見たかっただけです
声 聞きたかっただけです
無事でよかった 居てよかった
それだけです

バーチャルな情報で「わかったつもり」になっていた。それでは練が、あの特別な練が”被災者”(もしくは”悪徳業者”)という記号になってしまう。”のっぺらぼう”になってしまう。会って、顔を見て、声を聞いて、確かめなくてはならない。練というかけがえのない固有性を。そんな音の勇気と健気さは実に感動的だ。しかし、そんな想いは練に無下にあしらわれてしまう。やはり、私たちはあの震災において部外者なのだろうか。被災者の気持ちは、いや、”人と人”というのはわかりえないものなのだろうか。



<ハリボテのシンデレラ>

王子様(朝陽)に誘われ、上質なドレスや靴、そして鞄をまとい、パーティーに出席する音は、さしずめ”シンデレラ”である。身づくろいを手伝う静恵(八千草香)はフェアリー・ゴッドマザーか。しかし、魔法のような出来事であるはずのこの靴や鞄が、音と練の距離をより遠ざけてしまう事になる。1話において音が易々と渡ってのけた橋。2人の距離を”対岸”として表現する橋が6話においても登場する。その場所に、練が「見たら いる」わけだが、その距離の縮め方は1話のそれに比べるととても無様だ。履きなれない靴のおかげで。また、音が持っていたバッグ(20万円を超えるプラダ)を見て、現在の境遇の差を感じとった練が

あんたにはもうわからないよ わからない
(2人は)もう違うから

と、言い放つ。2人には埋められない大きな溝がはっきりと横たわり、それがバーカウンターという形で可視化されている。前述の音の「顔が見たかった」という実直な叫びも、カウンターという障害越しに交わされてしまう。1章においてなされていた”顔を向き合わせた会話”はここにはない。肝心の王子様にもパーティーをキャンセルされてしまい、行く場のない音。おかしい、音はシンデレラではなかったのか。いや、この現代において”ファンタジー”は死んだのだ。5話における小夏(森川葵)の台詞を想い出す。

ちょっと一枚剥がしたら、ドロドロだべした

あの震災は薄皮をベリベリと剥がし、あらゆるファンタジーをハリボテに変えてしまったようだ。絶対安全な原発はない。給料が上がるという幻想も弾け、「サラダ記念日」も「なんだかんだで幼馴染と結ばれる恋愛」も存在しない。当然パーティーに行って王子様と結ばれる、そんなものも全て嘘。ハリボテのシンデレラだ。この国の”今”は夢見る事すら困難だ。



<引越屋じゃありません>

練が音に対して初めて口を開くのが、

元々カラオケ屋だったんで

という台詞。練は「~屋」という言葉、つまり職業に敏感になっている事が窺える。2人だけの親密な言葉であったはずの「引越屋さん」という呼びかけに対しても、過剰に拒否反応を示す。現在の自分の仕事を後ろめたく思っているのかもしれない。余談になるが、あのシーンにおける

そこ そこの壁紙の若干色褪せてないとこ
カラオケマシーン的なやつあったんじゃないですか

という音の台詞に、どこかにかつての練の面影が残っていないだろうか、というようなフィーリングを感じ取り、涙しました。



<平坦な戦場で僕らが生き延びる事>

杉原ぁ、生き残れよっ!

元同僚が酔った勢いで音に呼びかける。生き残る?そう、我々が住む”ここ”はもう戦場なのだ。戦場のガールズライフ、もしくはボーイズライフ。なるほど、このドラマは岡崎京子ではないか。つまり「平坦な戦場で僕らが生き延びるための、僕らの短い永遠、僕らの愛」である。常に小沢健二的であった坂元裕二岡崎京子である事には、なんら疑問を抱くまい。夢見る事すら困難な時代を生き延びる、そのたった一つの方法が、恋をする事なのかもしれない。それがたとえ永遠でなかろうが、報われなかろうが。”恋”というのは二度と戻らないかけがいのない時間を過ごす事である。

この愛はメッセージ 僕にとって祈り 僕にとって射す光
いつだって信じて!


小沢健二「戦場のボーイズ・ライフ」

さて、このドラマにおいて、もう1つ、岡崎京子を引くのであれば、『リバーズ・エッジ』における吉川こずえである。

あたしはね、“ザマアミロ”って思った
世の中みんな キレイぶって ステキぶって 楽しぶってるけど 
けんじゃねえよって
あたしにもないけど あんたらにも逃げ道ないぞ ザマアミロって

どこか5話における芋煮会での小夏の叫びと共鳴するような気がするのだ。岡崎京子が20年前に書いた台詞の、その古びない強度に驚いてしまう。しかし、この台詞を書いた岡崎京子は絶筆し、小夏もまた心を壊してしまう。ガラスが割れる事でパニックを引き起こす様からは、震災のPTSDを患っている事が伺える。小夏もまた傷ついた天使である。


<そう無邪気な天使さえも>

そう無邪気な天使さえも殺されてしまう時代で

既に2話のエントリーで言及済みであるが、Dragon Ash「陽はまたのぼりくりかえす」の一節。6話において「生き残れよっ!」という台詞が登場した今、より重要なフレーズとして私の中に響いている。パーカーというアイテムで、練を(映像的に)天使たらしめていたファッションが、ダークスーツに黒いネクタイというまるで死神のような装いに変容している。黒という色を、1章における天使の練は決して身につけなかったはずだ。そして、重要なのはOFFスタイルにおいて、練が黒のフードダウンを着用していた点にあるだろう。”黒“という色ではあるものの、かろうじで天使の輪 (=フード)を留めている。それを着た練は、(一度は無視をするものの)音の呼びかけに応える。音に冷たく接するシーンにおいては、しっかりとそのコートを脱いでいる点にも注目したい。一方の音においては、5年の時を経て、都会的に洗練され、スタイルを一新しているわけだが、やはり首元においては、「ファッションのこだわり」であり、音を天使たらしめているマフラーが巻かれているではないか。食事やパーティーというマフラーを巻かない場面が登場する気配を見せると、その首元には静恵がプレゼントしたネックレスが巻かれている。音は常に”傷ついた天使”なのだ。忘れてはならないのは、前述の通り小夏も、そして木穂子や朝陽(おそらく晴太も)もまた、傷ついた天使であるという事だろう。朝陽に関しては、

まぁ駄目な時は駄目なもんだからね

そういうのは自己責任だから

など、かつての彼なら発さなかったであろう言葉が節々から漏れてしまっている。朝陽と練の2人が同様に派遣に携わる仕事についているのが興味深い。朝陽もまた練のように悪徳な派遣を行う死神に堕ちていってしまうのだろうか。



アルプス一万尺

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母(満島ひかり)と幼き音の間で交わされるアルプス一万尺。3話において、音と練の間でも交わされた幸福な身体的接触。しかし、この6話においてなされる身体的接触は、震える小夏をなだめる練は勿論の事、プロポーズをする朝陽と音でさえも、どこか物悲しい。あの幸福な時間は、再び彼らに訪れるのだろうか。そうであって欲しいと、祈ってやまない。