青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

ゲスの極み乙女との「普通の恋」に寄せて

ゲスの極み乙女川谷絵音ベッキーの不倫熱愛報道の記事を読んでいたら、たまらない気持になってしまった。誤解しないで欲しいのは、何もここで倫理や道徳だとかタレントや報道のあり方について語りたいわけではない。登場する全ての人達が不幸になる話だな、とは思いつつも私をたまらない気持にさせたのは、流出した2人のLINEのやりとりである。これは誰にも知られるはずのなかった、2人だけの時間と言葉だ。そして、それらがとびきりに親密で、あまりに平凡である事に、胸が一杯になってしまったのである。

けんちゃん。素敵なイブとクリスマスをありがとう。シーに連れて行ってくれたり、色々ごちそうしてくれたり、オシャレなプレゼントくれたり、ほんとうにほんとうに ありがとう。幸せだった。ずーーーっと幸せだった。一緒にいられるだけで、ただただ幸せだった。

けんちゃん、私、ほんとうに幸せ。ほんとうにありがとう。大阪来てくれてありがとう。どれだけ心強いか。普通の人たちはパッと繋ぐ手も、なんか、すごく大切な素敵なことに思えたし、ほんとうに幸せでした。ありがとう。

このメールの”何でもなさ”に動揺してしまう。異様な熱が刻まれてはいるが、これは恋愛初期時に、誰もが発病しかねないはしかのようなもの。誰にだって平等に降り注ぐ可能性のある、ありきたりであたりまえな普通の恋。「普通の人たちは~」と、自分たちは特別であるかのように書いているけども、いやはや、紅白出場歌手とCM契約10社を抱える好感度上位タレントのカップルも、実はどこにでもいる普通の恋人なのだ。

大丈夫だよ!待ってる。だからけんちゃんも待ってあげて。大丈夫だよ!卒論提出できたら、けんちゃんにいっぱいワガママ聞いてもらおうっとー!笑

離婚届を「卒論」と呼び変えて会話をしているのも話題(批判?)になっている。その内容はさておき、2人だけにしかわからない単語、文法で話す恋人たちの姿。知られるはずのない当たり前の秘密。極めつけは「おやすみ」の挨拶だろう。

絵音:いきますか
ベッキー:はーい、せーの
絵音:せーの
ベッキー:おやすみ
絵音:おやすみ

どちらかが会話を切り上げる形になるのが嫌だからなのか、2人同じタイミングで「おやすみ」を送信する。たまらなくなってしまうではないか。平仮名だけで構成されたこのLINEのやりとりが、文学のように響いてくるのは、これが実にありきたりで凡庸なものであるからに他ならないだろう。この誰もが身に覚えのありそうな、誰にも知られるはずのない時間が、世界には無数に散らばっている。孤独で交わるはずのない我々の人生が、実はゆるやかに繋がっているのだという事実。なんだか音楽が聴こえてきそうな気がする。


youtu.be

二人が出会った場所は
この街にいくつもあった
聞こえていたよアーバン・ブルース
有線放送からのヒット・チャート・チェン

これはどこにでもある
誰にでもある
そんなありきたりな当たり前のお話
これはどこにでもある
聞いたことある
そんなありきたりなつまらないお話
普通の恋

このLINEのやりとりの真偽については、興味はない。たとえ、これが偽物だったとしても、2人の間に人知れず流れていたであろう親密な時間を思って胸を震わせようではないか。