青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

大橋裕之『太郎は水になりたかった』1巻

『週刊オオハシ』という漫画雑誌がありました。大橋裕之複数ペンネームで全ての連載作品を書き分けるというポジティブな狂気に満ちた自費出版作品で、多分10号くらいまで発行されていたのですが、これが後の大橋作品のマテリアルがたくさん詰まっているファン必携の初期作品集なのです。トーチwebで連載中、そしてこの度、リイド社より単行本第1巻が発売された『太郎は水になりたかった』も、『週刊オオハシ』の看板連載の1つ。ちなみに連載時におけるペンネームは”大橋おっぱい”でありまして、この作品に賭ける先生の並々ならぬ気迫のようなものを感じます。


大橋裕之はセンスの人だ。太郎の履いているズボンが制服、私服に関わらずベルボトムなのがいい。なんでも、単行本刊行記念としてトーチンwebで公開されている押見修造のインタビューによれば、太郎のベルトは他の生徒より細いらしい。これは、やられた。押見氏の鋭い審美眼と大橋先生のこだわりに感服。『太郎は水になりたかった』とはベルボトムと細いベルトの漫画である。なんせ太郎はガイコツですから、とてもスリムなのだ。何を言っているのかよくわからなくなってきたが、大橋漫画にはこういった”良さ”が細部に詰まり切っている。


中学生男子の”あの頃”が描かれているのだが、決して「わかる、わかる」という安易な共感に支えられた作品ではない。勿論、体育のサッカーの時間に為す術なくゴール前でウロウロしているとか、学校外での集まりに制服で行くか私服で行くか悩むとか、わかり過ぎるほどにわかり、ノスタルジーの墓場で悶絶してしまう。まさに青春ゾンビ。しかし、それだけじゃないのだ。例えば、妄想の彼女とどちらが長く付き合えるか対決だとか、手でお椀の形を作り、それを6時間維持する事でおっぱいの感触を再現だとか、想いを寄せる女の子に借りた傘が犬のウンコを傘で回す人の元に渡ってしまう、などといったエピソードの数々、これはもう決して「あるある」などではなく、大橋裕之という漫画家の絶対的なセンスである。私達の冴えなかった日常のフィーリングがエンターテイメントに昇華されている。その跳躍にグッとくるわけなのです。3年くらい前に、大橋先生が「共感できる漫画と誰も読んだ事のないような漫画のどっちがいいんですかねぇ」と悩んでいるのを聞いたのですが、その答えは『太郎は水になりたかった』で既に自らの手で描かれていたのだ。『太郎は水になりたかった』はまさにその2極の間を突く作品と言えるのではないでしょうか。


また、言及せずにはいられないのが、奥田亜紀子(『ぷらせぼくらぶ』)のお仕事。

ぷらせぼくらぶ (IKKI COMIX)

ぷらせぼくらぶ (IKKI COMIX)

『週刊オオハシ』掲載時はスカスカだった背景が彼女のマジカルなトーンワークで彩られている。トーンというのはここまでリリカルさを増幅できるものなのか、と唸る芸術的な手腕は更に冴え渡っております。天才×天才の競演には捨てゴマなし。単行本はトーチweb掲載時より更に加筆されているとの事ですので、「全話ネットで読んだしなー」という形もマストバイな1冊に仕上がっております!