青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

ナカゴー『堀船の友人/牛泥棒』

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ナカゴーの特別劇場『堀船の友人/牛泥棒』の2本立てをムーブ町屋にて観賞。おそろしいほどにくだらなく、暴力的で、下品。しかし、とてつもなく現代的な笑いと社会への強度を持った演劇だ。なんだか退屈でしょうがない貴方や、日々何かに抑圧されている君も、とりあえずナカゴーを観てみたらいいのではないだろうか。大声で笑い飛ばして劇場を後にすれば、多分どこか世界が違って見えるはず。


『堀船の友人』は「待ち合わせ」「バイト」「家飲み」「洗脳」というナカゴーのお決まりのパターンを踏襲した新作。「とんかつ和光」サーガー(何それ)の最新版でもある。「とんかつ和光」の本部が新たに下した方針。それは「社員の右腕を切り落とし、残った左腕の潜在能力を開花させる事で、よりよいパフォーマンスを発揮させる」というものだった。この圧倒的に無意味で強力なルールの元でてんやわんやする「とんかつ和光」のバイトクルー達の恋と友情の物語である。導入のバイトあるあるをまき散らす丁寧な日常描写からの飛躍がカタルシスをもたらします。『牛泥棒』は再演。再演されるだけあり、ナカゴーの中編のマスターピースと呼んでいいだろう。父の葬儀の為に旧家に集まる三人姉妹とその周辺の人々。まぎれもなくチェーホフであり、机と椅子や飲み物といった舞台美術のルックは青年団である。作品はその導入から一瞬ではみ出していく。一流のユーモアでコーティングされているが、描かれているのは、無意識の暴力に虐げられる人間についてだ。そして、作品は、"牛"にまつわる挿話をさかいに、西部劇の香りをまとい始め、クエンティン・タンティーノがトレースされる。

差別された者の復讐劇。西部劇という意味では『ジャンゴ』だが、タランティーノの作品は『キル・ビル』にしても、『デス・プルーフ』にしても、『イングロリアス・バスターズ』にしてもそういった構造を持っている。虐げられ続けてきた次女・楓(高畑遊)の逆襲のアクションの素晴らしさ。これは、坂元裕二が『問題のあるレストラン』でやろうとして、結局やらなかった事ではないか!と興奮を押さえきれなかった。タランティーノのスローモーションアクションやスプラッター描写を人力で思いっきりアナログに表現しきっている点も素晴らしい。


正直、数年前まではそこまで好きな劇団ではなかった。しかし、ここ最近は観る度にナカゴーの重要性が私の中で増していっている。ナカゴーの作品を観る事でしか得られない感覚というのが確かにある。3年前に観た『黛さん、あらわる』という公演に対して、ナカゴーのBGMはザ・ブルーハーツの「ハンマー」である、という風に書いた覚えがあるのだけど、これはわりと「ナカゴーを観る」という体験を言い表しているのではないかと思う。

ハンマーが振り降ろされる
僕達の頭の上に
ハンマーが振り降ろされる
世界中いたるところで

でたらめばかりだって
耳をふさいでいたら
何も聞こえなくなっちゃうよ

ナカゴーの作中に必ずと言っていいほど現れるハンマーや金槌といった凶器、そして荒唐無稽な暴力。それは実にバイオレンスかつ下品でくだらなく、目を背けたくなる人も多くいるだろう。しかし、ヒロトの言う通り、でたらめばかりだって耳を、目をふさいでいたら何も聞こえなり、見えなくなってしまう。そうならない為にも、とりあえず僕たちはナカゴーを観る事としようではないか。