青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

シソンヌ『trois』

f:id:hiko1985:20150407215046j:plain

空港
息子の目覚まし時計
せいさくしゃ
先生の本性
じじいの杖
ナイト便所
リューヤの思い
野祭
母と息子
空港2

キングオブコント2014』の覇者による「シソンヌライブ」の第3弾『toris』が凄い。昨年の傑作公演『deux』から更なる進化を遂げている。メッセージ性、構成、細部の豊かさ、ネタのバリエーションや演技ソースの広がり、美術や音楽への徹底、どれをとっても一級品。何と言っても、留まる事を知らない2人の圧倒的な演技力だ。とりわけ、”じろう“のそれは芸人界において文句なしのナンバーワンではないでしょうか。その高い演技力が、「人がそこに”居る”」という当たり前の事象に、強い説得力をもたらす。シソンヌはコントを通じて、人が”居る”という事、つまり”生きる”という事を表現し続けているように思う。今作に収められた「野祭」というコントに以下のような会話が登場する。

"生きる"ってのはどういう事かわかるか?
"死ぬ"って事なんだ

生きる事は死ぬ事。コント内では、「全然上手くない」と切り捨てられるこの格言。実の所、シソンヌというコント師に貫かれる哲学ではないだろうか。「生きるという事は死に向かって進んでいく事」というのはよく聞く。しかし、果たして”死”というのはじわりじわりと忍びよってくるものだろうか?ひょんなはずみで、ふとこちら側に顔を覗かせる、そういう存在ではないだろうか。それは今公演のキーアイテムである"杖"、あの突如として凶器が飛び出す杖の構造によく似ていやしないか。"死"はいつも突然訪れる。つまり、生きるという事の裏側には無数の"死"が蠢いているのだ。今公演にもまた濃厚な"死"の匂いが漂っている。「空港」「空港2」には自爆テロ犯、「息子の目覚まし時計」には息子を失った夫婦、「ナイト便所」では明確に殺人が、「野祭」では心臓を煩った老人と死を伴う土着的な祭りが、「母と息子」では認知症に犯された年老いた母が登場する。今公演を観ていない方がこの羅列を読んだら、「本当にお笑いライブなのか?」と首を傾げるかもしれない。しかし、シソンヌはこれらの題材を見事に笑いに昇華している。


例えば公演内で最もキャッチーと言える「先生の本性」はどうだろう。
youtu.be

いつなの!?先生のXデーはいつなの!?

先生がいつ暴力教師に豹変してしまうかを心配する生徒。思春期をこじらせた少年を絶妙なワードセンスで切り取ったじろうの怪演が見物だが、これはいつ訪れるやわからぬ"死"に怯える人間のメタファーであるように思える。


コントのブリッジに流れるVTRにも注目したい。しずる池田が演じるサラリーマンの1日が映し出されるそのVTRは、10本のコントを見事に補完していく。10本のコントは、VTRにおいて印象的に映し出される時計の時刻に沿っている事に気づく。池田を朝から悩ませる鳴り響く騒音は、隣人家族の突如消えてしまった息子の目覚まし時計であり、彼が眺めるニュースでは空港の自爆テロが報道されている。彼が昼過ぎに用を足すトイレでは、人知れず死体が便器に流されている。何の変哲もない生活の裏側、いやすぐ隣に、多くの”死”が横たわっているのである。


人はいつでも死ぬ。であるからして、シソンヌのコントには、人がそこに"居る"もしくは”居た”という事、そこに流れてきた時間が、ありありと描かれている。"時間"もまた今公演を貫く重要なテーマだ。それが如実に現れているのが「リューヤの思い」だろう。家を購入して、引っ越してきたばかりの夫婦。あまりに入り組んだ場所に家が建っている為、妻はなかなか家の場所を覚えられない。何故、そんな入り組んだ場所に家を買ったのか?そこには夫の秘められた想いがあった。駅から彼等の家までの道のり。

16号線(2人が付き合い始めた16歳)をまっすぐ。
レンタルショップ(2人の死んだ親友のバイト先)を右。
映画館(初デートの場所)を左。
21号線(遠距離恋愛が辛かった21歳)をまっすぐ。
24時間営業(一緒に暮らし始めたのが24歳)の中華屋を右。
27号線(プロポーズをした27歳)を左(指輪をはめる方)。
30キロ(2人が家を買った歳)制限の標識で降りる

駅から家までの道のりは2人の歩んできた時間なのだ。前述の「先生の本性」での

今日という日をここに刻む!!

と日付印を机に押しまくるシーン、「息子の目覚まし時計」における”8秒間”というフレーズ、など時間に対する描写は今公演において枚挙に暇はない。そして、何と言っても「母と息子」だろう。認知症を煩った母は、自分が呆けている事を忘れない為に「ぼけてる」と書かれた紙を貼っている。とにかく明るい呆けた母と、乱暴だが明るい息子のやり取りが笑いと涙を誘う。2人の会話の中には明確に"時間"が積もっている。ラスト、母の書いた「息子がいる」という紙を見つけるくだりが圧巻だ。シソンヌはやはり人がそこに"居る"という事を描き続けるのだ。


『trois』という公演は「空港2」というコントで幕を閉じる。「空港2」には「母と息子」の認知症の母が登場する。彼女は結婚式帰りなのだという。そして、このコントは実はOPの「空港」に繋がっていく仕掛けになっているの。結婚式とはあの息子の式なのだろうか。母は前述の自爆テロに巻き込まれてしまったのだろうか。"死"と"生"が表裏一体になって、ループする『trois』、その完成度がDVD作品としてパッケージされた事を心から祝福しよう。

最後に『deux』に続いて今公演にもオークラが参加している点についても言及しておこう。バナナマンファンは少なくとも、3本目の「せいさくしゃ」というコントだけでも観ておくべきだ。じろうの役を日村、長谷川の役を設楽に置き換えても違和感なく観る事ができるのではないか、というようなバナナマンの黄金律がここにはある。かつてのバナナマンのコントの特別さを支えていた”ルーザー(負け犬)”への得もつかぬ視線を、シソンヌが見事に継承している。