青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

前田司郎『ジ、エクストリーム、スキヤキ』


プロット自体はよくできていて、映画の冒頭で自殺を試みた洞口(井浦新)が、スケートボードに乗って15年ぶりにかつての友人である大川(窪塚洋介)の元に訪れる。スケート=足が地面についていないわけで、洞口は”幽霊”的なものとして捉えられている。2人はカメラを買いに秋葉原に行くはずが、河童橋に辿りつき、そこで洞口は仏像を買い、更にスケートボードをそのお店に忘れてきてしまう。つまり幽霊状態から今度は“成仏”に向かおうとしているわけだが、洞口はその仏像を返品してしまう。その代わりに今度は、スキヤキ鍋を購入する。スキヤキ鍋を買ったからにはスキヤキを実行せねばなるまい、と映画が逆向きに始まっていく。「スキヤキをしたいからスキヤキ鍋を買う」ではなく、「スキヤキ鍋を買ったからスキヤキをする」というこの逆方向の運動は、どうにも「生きること」そのもののように思える。つまり、洞口はこのスキヤキの旅でもって”生”を再獲得しているわけだ。こういった優れた構造を、何の面白みもない脚本、いやそれどころか実に陳腐な青春ロードムービーの下で蠢かせているのは、さすが前田司郎という感じなのだが、いくらなんでもその上面のロードムービーがつまらなすぎる。登場人物が安易に”死”の匂いを漂わせ過ぎている所も雑だ。洞口を”幽霊”とするのであれば、「15年ぶり」という台詞にも象徴的だが、ARATA窪塚洋介、市川美日子を揃えて海に行かせる今作そのものが90年代邦画(もしくは岡崎京子魚喃キリコ)の亡霊と言えるのかもしれない。車の中にある、文庫本やカセットテープや写真、そして髪の毛といったアイテムが15年前と現在を容易に接続してしまう劇中の台詞にもあるように、読みかけだった小説を、その途中からまた読み進めるような感覚は秀逸だった。


五反田団として演劇界で確かな実績を刻む前田司郎が映画に挑む。この初監督映画作品は贔屓目に見ても、退屈だ。見所のない画面をフィックスの長回しで取り続け、ひたすらに時間が死んでいく。照明の暗さに意図を感じないし、ドライブの車窓からの風景に音楽をつけて流し続けられるセンスには頭を抱えてしまう。映画史に触れずしても映画は撮れる、と思い込むのはやはり思い上がりではないだろうか。そうなってくると井浦新窪塚洋介(映画『ピンポン』のコンビ)の会話が見所になるわけだけど、どうにもその発声やリズムに違和感がある。窪塚が妙なトーンでツッコム度に前田脚本のヌルっと持続していく感覚が停滞する。前田が演出を放棄しているのか、あれでOKと思っているのか定かではないが、個人的には楽しめなかった。