青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

三四郎『一九八三』

一九八三 [DVD]

一九八三 [DVD]

ここに収められた11編の漫才には、確かな新しさが刻まれている。誰もやらない事をやる。これが三四郎の漫才だ。三四郎の漫才は小宮が「絶対頑張ります!」と叫んで登場する所から始まる。そんな事言いながら登場する芸人が他にいなかったらから始めた、というのが小宮の弁だ。お笑いの構造自体を弄くる”メタ漫才”を次の段階に一歩押し進めたのは間違いなく三四郎だろう。その最たる例が小宮の「相方だったらツボ一緒であれよ!」というツッコミ。もしくは「ファンファンファン(コントに入る時の効果音)」だとか「ボケた後、明るいなぁ」だとか「ツッコんだ時、身体固いな」だとか枚挙に暇はないのだけども、あくまで2人の“喋くり”の延長上にメタ視線が導入されている。彼らの漫才は、メタ的でありながらも、何よりも小宮と相田という人間の魅力(”業“やかわい気も全部)がガツーンと鳴っている。小宮の”お笑い”という芸術への知識と愛に支えられた発想力と文学の教養さえ感じられる豊富な語彙力、相田の若手屈指の器用さ魅せる歌やモノマネ。勢いだけのコンビに見える、彼らが持つ武器は実はとても多い。それらを持ち合わせながら、彼らは洗練を選ばず初期衝動のまま鳴らす。彼らの漫才は銀杏BOYZの音楽を想起させる。汚らしいボロボロの音質から聞こえてくるあのピカピカのメロディーを。実際、彼らは出囃子に銀杏BOYZ「SEXTEEN」を使用していたりする。「リア充に劇薬ぶっかけたいですよね」に代表されるようなマイノリティー側からの咆哮が、実にポップに消化されているのもグッとくると言わざるをえないだろう。この『一九八三』というDVDは「誰も観た事のない漫才」を追い続けた三四郎の約10年間の「既存のルール」への反逆の歴史の結晶だ。



おそらく初見の人はそこまで気にならないと思うし、大好きな漫才師の待望のDVDだったので苦言を呈するのは心苦しくもあるのだが、正直、三四郎のポテンシャルからすれば、この作品はどうにも出来がよくないように感じてしまった。ライブの生の迫力に劣るのは仕方ないにしても(だとしてもこのDVDの小宮さんの元気のなさはどうだろうか)、YouTubeにマセキの公式がUPしているライブ動画のほうが数倍いい。笑い声がリアルじゃないのが致命的だ。このDVDは客入れをしてのライブ収録と聞いていたのだけども、どうもこれは収録時の客席の笑い声は全てOFFにして、三四郎の2人についたピンマイクで拾った音と、既存の笑い声サンプルを組み合わせて作っているのではという気がする。ボケる→ツッコミ→笑い声。漫才ってそんな風に単調に笑いが起きるものではないだろう。間とか空気でも客は笑うし、ボケで小笑い、ツッコミで大笑いや逆もまたしかりな生モノであるはずで、こんなツギハギの笑い声ではグルーヴ感は絶対に損なわれる。もっと純然たるライブ盤がリリースされることを祈ります。