青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

坂本慎太郎『ナマで踊ろう』と『ヒョンヒョロ』

ものすごく邪悪なものって、かわいかったり、フレンドリーな姿をしてやってくるという気がしてるんですけど、そういう本質的なところも表現したかったというのはあります。あと、SF的な設定とか手法にすると、ものすごく現実的な歌詞をストレートに言っても、意外と生々しくならない。ちょっとメロウに響かせることができるなと作りながら思って。

という坂本慎太郎のインタビューを読んで、最初に頭に浮かんできたのが藤子・F・不二雄の「SF異色短編」の傑作『ヒョンヒョロ』(1971)だった。

脅迫状。
ヒョンヒョロを差し出さないと誘拐するです。マーちゃんどの

という手紙と共にどこからともなく現れる大きなウサギ。

ヒョンヒョロが一体何なのかを一切説明せず、闇雲にヒョンヒョロを要求するウサギ。大人たちは、喋るウサギを、目の錯覚と思い込み、やり過ごそうとする。常識や慣習に囚われ、迫りくる悪意に気付かないふりをする”我々”の暗喩だ。その危険性をやっとこさ認めた時は、すでに遅し。ウサギはそれまでのファニーさを面から剥ぎ取り、“誘拐”を実行する。

マーちゃん以外が全て消えてしまった街。「シーン」という擬音と無人の街が見開き1ページで描かれるカットは恐怖の一言だ。そして、私はこの無人の街で鳴っているのが、坂本慎太郎の『ナマで踊ろう』なのだと想像するのです。




「人類滅亡後の地球に流れる常磐ハワイアンセンターのハコバンの音楽」というコンセプトの元に作られたというアルバム。これまで死んできた人、そしてこれから死んでいく人全てに向けた鎮魂歌のような不穏さがある。しかし、その音像は多分にエキゾチカを含んだ、モンドミュージック。その響きは、かつてのこの星にあったであろう甘美な記憶の結晶だ。メロウに、スウィートに、「この世はもっと素敵なはず」「素敵だったはず」とたっぷりのアイロニーを込めて警告する。この”まともがわからない”現代の日本に。坂本慎太郎が諦観と抵抗の間で揺れている。その感じがとてもリアルで私は好きだ。さて、ポップミュージックは現実に有効であるのか。坂本慎太郎の試みを見届けたい