青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

劇団ひとり『青天の霹靂』


驚きである。正直、予告編を観た段階では「劇団ひとりは、こういう全うないい話を恥ずかしげもなく書いてしまう所から呆れる」くらいに思っていたのだけども、これがどうしてなかなか素晴らしい。劇団ひとりが登場するとどうしてもコントの匂いが漂うわけだが、大泉洋が演じるマジシャンによる生々しい質感のマジックと共に語られるイントロダクションからタイトルバックを切り裂く列車、オープニング10分は紛れもなく映画。雷に打たれてタイムスリップしているようでいて、しっかりと列車が大泉洋を運んでいる。昭和に戻って、若き父と母に出会うという、ロバート・ゼメキスバック・トゥ・ザ・フューチャー』、浅田次郎の『地下鉄に乗って』や大林宣彦異人たちとの夏』をそのまま拝借したようなプロットなのだけども、主人公をマジシャンに設定する事で、その超常現象すら、彼の奇術の一つである、と言わんばかりの大胆さというかハッタリが作品に流れていて、肯定できてしまう。空間を超えて渡される赤いバラに、今作の映画としての態度を観た。


ストレートな感動作のようでいて、しっかり捻じれている。憧れの北野武の持つ”照れ”が劇団ひとりにも継承されているという事か。父と息子の殴り合いの喧嘩はそれぞれがチンさん(中国人)、ぺぺ(インド人)というキャラクターを演じたまま行われ、真剣さと笑いが同居した揺らぎが巻き起こる。息子から母への愛の告白も、あくまで「他人事」という体を保ちつつなされる。このハイライトシーンは、はっきり言って泣ける。わざとらしいほどだが、シークエンスが進むに連れ、美しい光が劇団ひとり柴咲コウを包み、実存を肯定していく。柴咲コウを実に美しく撮った今作の照明は素晴らしい。


やはり多少喋らせ過ぎ、説明過多な気がしなくもない。だが、悲劇を飲み込む生命賛歌としての喜劇を96分という見事な尺で描き切った手腕は監督処女作としては出来過ぎの部類だろう。見世物小屋、貧困、出産といったモチーフの類似もあってか、本数を重ねていけば、森崎東のような強靭な作品性を獲得していくのではないか、という希望さえ感じさせてくれる。ただ1つ危惧されるのは、「劇団ひとり」の芸人としての印象からするに、今後、脚本のギミックにこだわっていくあまり映画を殺してしまわないだろうかという事だろうか。例えば『運命じゃない人』(傑作)

運命じゃない人 [DVD]

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以降の内田けんじのように。あぁ、どうか格好をつけ過ぎないで欲しい、と願うばかりです。