青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

坂元裕二『リアルサウンド 〜風のリグレット〜』

本作は映像が一切存在せず、音だけでプレイする。基本的にはラジオドラマと同じでありプレーヤーは音を聞いてストーリーを楽しむものであるが、サウンドノベル形式のように選択肢によってストーリーが変わるマルチエンディングとなっている。ストーリーの分岐点でチャイムがなり、ストーリー進行が停止し、ここでコントローラを使って選択肢を選ぶこととなる。

1997年にセガサターンのソフトとして発売されたサウンドノベルゲーム『リアルサウンド風のリグレット〜』の脚本をあの坂元裕二(当時29歳!)が担当しているという事をご存じだろうか。ちなみに、昨年、企画・監督の飯野賢治が亡くなった事をきっかけに脚本がネット上に無償でアップされています。冒頭はこうだ。

少 年「──なあなあ、二人でさ、どっか逃げるってのはどう?」
少 女「え?」
少 年「学校とか行くのやめて、家とかも帰るのやめてさ、どっか行くの」
少 女「どっか?」
少 年「どっか」
少 女「どっかって?」
少 年「だから──ゴッホだよ」
少 女「ゴッホ? 何処、それ。遠いの?」
少 年「遠いかも。けど、すげえ綺麗なとこなんだよ。前にさ、絵で見たんだ」
少 女「絵で?」
少 年「うん、青い夜の絵。夜が青いんだ。海みたいに広い広い麦畑があってさ、ずうっと向こうの方まで何にも見えなくて、星があって月があって、他には何にもないんだけど、なんかさ、なんか起こりそうな感じがするんだ。どきどきしてさ、心臓が破裂するかと思ったよ。その絵のさ、下んとこ見たらゴッホって書いてあった」
少 女「ふーん」
少 年「ゴッホ、行く?」
少 女「うん、行く。ねえ、それって駆け落ち?」
少 年「え?」
少 女「駆け落ちっていうのよ、男子と女子が一緒にどっか行くこと」
少 年「じゃあ、それだ」

坂元裕二脚本の単発ドラマ『さよならぼくたちのようちえん』(2011)

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で”死”の恐怖に対抗するモチーフとして使用されていたゴッホの「青い夜」が既に登場している。『東京ラブストーリー』からの十八番である会話のリズム感のよさも、言葉と音のみで構成されるサウンドノベルというフォーマット故か、よりとぎ澄まされているように感じる。ゲームの性質上、時間や空間の移動を、ほぼ会話だけでプレイヤーに理解させねばならない。脚本を読んでみると、そういったテクニカルな面においても、20代にして熟練しているのが窺える。話の内容としては、小学生時代の夏休み(台風の夜)に交わした約束を思い返すという、岩井俊二的、つまりは『打ち上げ花火、下から見るか 横から見るか』(1993)
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を彷彿とさせるノスタルジックな感傷に、サウンドノベルの特性を活かしたちょっとしたサスペンスが加わった佳作である。海岸線に沿った町の両端にある黄色い灯台と青い灯台、それをつなぐ真っ赤なバス、という風に『さよならぼくたちのようちえん』と同様に”色”を駆使した脚本術が既に見受けられる。


女性主人公の声は菅野美穂(『わたしたちの教科書』主演)が担当していたそうだ。鈴木保奈美菅野美穂尾野真千子満島ひかり、坂元作品のミューズ達の声はどこかみんな素っ頓狂で、音符(=世界)を外れる。どこかはみ出した人々のメロディーを背負っているようだ。メロディーと言えば、このゲームの音楽担当は鈴木慶一、エンディングテーマは矢野顕子の「ひとつだけ」である。


特筆すべきはエンディングだろう。マルチエンディングという事なので、いつくかのバージョンの1つなのでしょうけど、これがもう実に坂元裕二。絶望的なまでの人と人のすれ違い。その諦観に、何らかのマジカルな形で拮抗する手段を示してくれる筆致こそが、坂元節である。今作におけるそれは、なんと「留守番電話の録音」との会話によってなされる。

留守電の声「伝言、一件です」
菜々の声「もしもし野々村くん──菜々です」
博 司「菜々──」
菜々の声「おかえりなさい。まだ家に帰って来てないのかな。わたしはさっき戻ってきたところです。野々村くん? 今どうしてますか?」
博 司「君の留守電聞いてるよ」


以下、留守電の菜々の言葉に合わせ、話す博司。


菜々の声「何となく話がしたくて、電話しました。でも留守じゃしょうがないね」
博 司「馬鹿、もっと早く電話しろよ」
菜々の声「別に何が話したいってわけじゃないけど──ただ、なんかさ──なんかね。なんか、なんかね──なんかさ、話したいなって」
博 司「なんかな」
菜々の声「野々村くんってさ、歯磨き粉何使ってるのかな?」
博 司「そんなことか」
菜々の声「この間安売りでホワイト&ホワイト買い過ぎてさ、ああいうのって腐るのかな?」
博 司「知るかよ、そんなこと」
菜々の声「夜、何食べた?」
博 司「これからコンビニの弁当だよ」
菜々の声「風邪ひいてない?」
博 司「大丈夫」
菜々の声「卵酒飲んだ方がいいよ」
博 司「だから、ひいてないって」
菜々の声「食べ物、何が好き?」
博 司「オムライス」
菜々の声「どうせオムライスとかだろうな」
博 司「(ぷっと吹き出す)」
菜々の声「それじゃあ──」
博 司「おい、待てよ」
菜々の声「あ、そうそう、ひとつ大ニュースがあります」
博 司「何何?」
菜々の声「ライカが見つかりました。あのあと、ふらふらお散歩してたら、見つけたんです」
博 司「良かったな」
菜々の声「実を言うと、ちょっとした大冒険があったんですよ。屋根の上に登ったりとか、散髪屋さんに虫取り網を借りたりとか」
博 司「(笑う)」
菜々の声「でも今は無事にわたしのポケットの中で眠ってます」
博 司「そうか──」
菜々の声「けど、またいつかどっか行ってしまうかもしれない」
博 司「大丈夫だよ」
菜々の声「その時は──ねえ、野々村くん、覚えてる? 忘れてるだろうな。はじめて会った時のこと」
博 司「思い出したよ」
菜々の声「もし、もしもさ、この鳥がいなくなってしまったら、そしたら野々村くん、またあの時のように──」
博 司「ああ」
菜々の声「わたしの星になってよ」
博 司「ああ、なるよ」
菜々の声「なんてね、嘘よ」
博 司「なるってば」
菜々の声「けど、もしそうなったら、わたしね、すごくわがまま言うと思うんだ」
博 司「言っていいよ」
菜々の声「遅刻したら許さないし」
博 司「しない」
菜々の声「待ち合わせ場所にはわたしより、十分早く来て欲しいし」
博 司「ああ、これから先、十分ずつ遅刻した十年を返すよ、だから──」
菜々の声「あとね、夜中に寂しい時は電話してくれる?」
博 司「飛んでいく」
菜々の声「毎日ちゃんと好きだって言って欲しいな」
博 司「──好きだ」
菜々の声「名前付けて言って欲しいな」
博 司「好きだ、菜々」
菜々の声「そんなこと言えるわけないよね」
博 司「言えるよ」
ふいにテレカ切れの発信音が鳴る。
博 司「あ──」
菜々の声「いつか、そう、また十年して、会えるといいね」
博 司「十年なんて言うなよ、今会いたいんだ」
菜々の声「それでもときどきは、電話とか」
博 司「電話じゃなくても」
菜々の声「手紙とか」
博 司「手紙じゃなくても」
菜々の声「わたしのこと」
博 司「呼び続けるよ、君の名前を呼びつづけるよ」
菜々の声「わたしね、あのね、野々村くん、君に会えて、よかったって思う」
博 司「ああ、君に会えてよかった」
菜々の声「好きよ」
博 司「菜々」
菜々の声「好きです」
博 司「菜々」
菜々の声「野々村くん、好きよ」
博 司「菜々──!」
ぷつんと切れる電話。
切れた受話器からプープーとだけ鳴っている。

平行線を辿っているように見える2人が交わる瞬間。坂元裕二の真骨頂だ。なかなか泣けるので、ぜひ全編を経た後にこのエンディングに辿り着いて欲しい。多少の気恥ずかしさはあるものの、限定性から浮かび上がる刹那の立ち上げ方の巧さ、会話のリズム感、そして一見無駄な細部が豊かさに繋がっている点(「なんか、なんかね──なんかさ」から歯磨き粉のくだりなんて見事すぎる)などなど、後々の大傑作ドラマの量産の兆候は見え隠れしているではありませんか。また、締めの言葉がいいのだ。

僕らは歩いていく。すべては長い長いひとつの時の流れの中にあって、どんなことも引き返すことなく、ただ前へ前へと進んで行く。僕らは歩いていく。過去と未来を繋ぐ線路に耳をあてながら旅を続ける

やはりまず感じるのは小沢健二のフィーリング。『最高の離婚』での光生の手紙でのオザケン節は、17年ぶりにぶり返したものだったのかしら。そして、坂元作品における「電車」が「過去と未来を繋ぐ」もの、である事がはっきりと証明されていた。