青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

ルッソ兄弟『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』


70年間氷漬けで眠っていたキャプテン・アメリカが放り投げる盾が描く放射線。それはブーメランのようにキャップの元に戻ってくる。過去から未来への往復運動。それは、この映画の構造そのものだ。ロバート・レッドフォードを召喚し、70年代のポリティカル・スリラー映画への目配せや、マイケル・マンウィリアム・フリードキン、更にはスピルバーグやルーカスらのマスターピース群の参照。古き良きアクション映画のルックと最新の技術の幸福な融合がここにはる。懐かしさと、観た事のない映像が同居している。間把握に長けたキレのいいアクションシーンの数々は、今作の比較対象として挙げられている『ダークナイト』の数段上であろう。


オープニングにクリス・エヴァンスのしなやかに美しいランニングショットを配置し、この映画はキャプテン・アメリカの”走り”を信頼し、進んでいく、と宣言する。どんな壁であろうと、突き破り進む。ファミコン風横スクロールでの疾走。また、その”走り”の後のジャンプが一度たりとも上昇の素振りを見せず、すべて”下降”の運動を見せている点(エレベーターやエスカレーターでさえ下降しか映らない)も見逃せない。

そして、対照的にて自由に飛び回るファルコン(アンソニー・マッキー)。冒頭の飛行機から船上への落下からはじまり、数え切れぬほどの”下降”のアクションを重ねていくキャップは、当然のように時間をさかのぼり、70年前の恋人と再会する。更に、前作『キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャーズ』における、あの重要な落下と同期し、親友との再会も果たす。魅力的なアクションが物語のトーンを決定づけ、牽引する。これぞ映画である。キャプテン・アメリカ記念館、レコードプレイヤー⇔iPod、少年の憧憬の眼差=貧弱だった自分、亡霊(ウィンターソルジャーを指す言葉であると共に、キャプテン・アメリカとフェリー長官の事でもある)→墓場、といったモチーフの配置もいちいち気が効いている。70年前を『アンジャーズ』のS.H.I.E.L.D.の世界観と接続させてしまう脚本の剛腕ぶりに打ちのめされ、スクリーンを後にする135分間。もう少し短いとありがたいが、それを差し引いても傑作だろう。