青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

松田沙也『明日、ママがいない』


何かと物議をかもし出している日本テレビの水曜ドラマ『明日、ママがいない』だが個人的には2話を終えた段階では今期NO.1の面白さだと思っています。病院関係からの抗議に関してはまぁ色々とあちらの事情もあるのであろうし、デリケートな問題ではるので、強くは言えないが、外から便乗して「取材不足だの!」「視聴率主義」だの叩いて輩を見るのは忍びない。「取材不足」なんて言葉はそもそも自身も取材した人間からしか発せられない批判のはずである。凝った脚本と演出、そして優れた役者陣に支えられた良質なドラマ作品であると胸を張って言える。この段階で過剰な批判を行う人間には想像力の欠如を疑ってならない。



『明日、ママがいない』のイメージポスター。

当然のようにTHE WHOの「Kids Are Alright」のオマージュである。

捨てられたんじゃない、わたしたちが捨てたんだ。

この価値観の反転が全て。モッズコートを勇ましくきたポスト(芦田愛菜)はアンダーグラウンドからの反逆のヒーローなのだ。2話におけるお誕生会での乱闘の勇ましさよ。現在のところ、対立軸として存在する魔王(三上博史)だが、彼は何も幼児を虐待する悪魔のような存在ではい。実のところ、彼女達を「社会」というものに巧く適応できるようにと、全うな事しか発していないという所は見逃してはならない。巧く泣きまねができなければ飯はやらない。ペットショップの犬ように里親になつけ、気に入られろ。勿論、言葉に過激さはあれど、「演技力」と「愛嬌」それは社会で巧くやっていくにはどうしても必要なものではないだろうか。つまり魔王は「悪」などではなく「社会の常識」なのである。そして、それに刃向かうポストはやはりモッズヒーローなのだ。その資質は、例えば2話であれば、「ベランダの柵を乗り越える」「窓ガラスを割りドアを開く」といった運動に託されている。演出に意味が何個も重ねられている。だから泣けるのだ。決して「お涙頂戴」と批判を受けるような安易な演出ではない、という事を理解していきたい。また、魔王の「チッ」という舌打ちは子どもたちに伝染している。そして、そこからシームレスにポストの「ごめんね(ペロ)」という舌出しが接続していたりするのがいい。1話、2話ともに「母の香り」が香水やシャンプーに託され、1つは放射線を描き投げ捨てられ、1つは同居人の匂いとして継承される。こういったものを演出の妙と言わずに何と呼ぼう。マスコミも視聴者も一様に監修の野島伸二の名を挙げるわけだが、決しては彼が書かない、いや書けないような演出だ。松田沙也という脚本家をしっかりと評価するべきである。しっかりと謎を伏線として張り巡らしており、引き付ける技術もある。




坂元裕二脚本『MOTHER』の芦田愛菜と『WOMAN』の鈴木梨央の2人による演技合戦も、また期待通りに素晴らしい。

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鈴木梨央の巧さは劇団上がりのような非常にレベルの高い技術的巧さであり、それはそれで惚れ惚れしてしまうわけだが、やはり芦田愛菜だろう。やしろ優による「芦田愛菜だよ」メソッドからとうに脱却し、新しい境地に突入している。普通に巧いのとは違う。何と言うか異質なのだな。違和感が絶妙なひっかかりとなっている。ニューウェーブの演技。過去に例を挙げるのであれば鈴木保奈美木村拓哉が台頭した頃を思い起こして頂ければいいのではないか。三上博史、三浦翔平、木村文乃大後寿々花と言った脇を支える役者陣も素晴らしく(ゲストも豪華で2話の里親候補夫婦は松重豊と大塚寧々、長谷川朝晴江口のりこである)、子役人も含め皆一様にいい顔をしている。切替しカットが映える。そして何よりポスト、ドンキ、ピア美、ボンビの主役4人がいい。4人が揃うシークエンスが2話の段階にして、すでに多幸感に満ちている。とにかくよく動く。とりわけ歩くのである。彼女達が橋や土手を歩くウォークショットがロングで撮られ、1話に何度も挿入される事でいいリズムが生まれている。ボンビの「ジョリピー」と叫ぶ演出だけコミカルが過ぎて、いささか作品のリズムを崩しているのだが愛嬌でカバーだ。ピア美の『学校の怪談』シリーズを彷彿とさせる美少女感もいい。



重複になるが、2話の段階では今期のドラマではベストである。「打ち切り」という最悪の事態は何とか避けて頂きたいものである。『明日、ママがいない』断固支持!