青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

マツモトクラブ×ランジャタイ『マツクランジャタイ』

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マツモトクラブとランジャタイによる合同ライブ『マツクランジャタイ』を千川ビーチブで鑑賞。各組がネタ5本、内1本はそれぞれマツクラ作のランジャタイ漫才、ランジャタイ作のマツクラコントというスペシャル感。ラストには、2組合同のコントもありました。マツモトクラブはSMA NEET Project所属のピン芸人。初めて観たのですが、音響を駆使したコントはピンであることを感じさせない豊かさがあった。発想も面白い。どうしても一人で帰りたい男のネタが好きでした。


お目当てのランジャタイ、一気に5本もネタを観るのは初めてで脳みそがグニャっとさせられる幸福な疲労感を覚える。ランジャタイの漫才が、立川談志云う所の”イリュージョン”である旨は、以前もブログに書いた。ランジャタイの漫才の興味深さは「現実には〝かけ離れている〟もの同士を繋いでいく」というイリュージョンの1つの側面に、身体性を伴わせている点だろう。それは例えば”扉を開く”という動作だ。ランジャタイの多くのネタで、突如として本筋とは何ら関係ない空間が現れたり、そこへ移動したりする。例えば、甥っ子の相撲の試合を観戦していたと思ったら寿司屋が現れたり、沼で釣りをしていたはずがお風呂に入っているし、家で炒飯を作っていたその1秒後に車を運転していたりする。それらは本来であればかけ離れた独立した空間のはずだ。しかし、ランジャタイ国崎は、その空間同士を繋ぐ”扉”を瞬時に作り上げ、「ドアを開ける」「暖簾をくぐる」という仕草で自由に行き来してしまう。そこには、”世界”の距離を縮めていくような豊かなイマジネーションがあり、不思議な親密さが宿る。”親密さ”と言っても、ランジャタイは安易な共感は求めない。国崎の”痙攣”と評したくなるような身体の振動、奇声とも呼べる甲高い発声、フリークス然とした発話はネタのわけのわからなさを助長させる。観る者を選ぶだろうが、「ナンセンス」「シュール」の一言で片づけられたくはない。理解不能の果ての”親密さ”、それがランジャタイの漫才ではないだろうか。


この日の白眉は2本目の超能力を題材としたネタでしょうか(5本目の「欽ちゃんの仮装大賞」も捨てがたい)。超能力者に念力で消された飼い犬がコンビニでバイトをしている、というまさにイリュージョンなネタでありました。人語を理解し、話し、そつなくバイトをこなしていた犬が、お弁当をレンジで温めるという所作を繰り返している内に、徐々に本来の犬性を取り戻していくというくだりの、あまりにバカバカしさ、その漫才内で生まれた勝手なルールのオリジナルな豊かさに、大笑いしていしまった。やはり凄いのは、国崎の動き。マツモトクラブに提供したコントは、しっかりと筋がありつつ、下ネタとリリカルさを合わせもったネタで、「こんなものも作れるのか!?」という驚きに満ちていた。個人的には今、1番刺激的な表現と言って過言ではないランジャタイの漫才。引き続き追いかけたい。